第2話

「どうせ、そうやってずっと受け身で生きてきたんでしょ」

 脳髄の中で、いつかの言葉が響いた。

 これは誰の声だろう。

 家族? 

 ああ、そうだ。

 母の声だ。

 そう思うと、ぼやけていた像が形を結んだ。

 もう彼女が不機嫌であることが、目を見て伝わってきた。

 私は目を逸らそうとしたけれど、視点は固定されたままだった。

「人の言う言葉に従って――責任を放棄しているだけじゃないの。自分で何も決めていない。貴方あなたはどうしたいの?」

 決める、何をだろう。

 どうしたいの――と、今更のように問われる。

 どうしてもっと早く聞いてくれなかったのだろう――そう思ったけれど、なぜか口が上手く動かなかった。

 私の意見なんて、一度も聞いてくれなかったくせに。

 言われた通りに動く人形のような私を、望んでいたくせに。

「いつまでも子どもじゃないんだから」

 そんなことは分かっている。

 私はもう二十六歳で、大人だ。

 一人で生きなければいけない、仕事をして、お金を稼いで、生きるための努力をしなくてはいけない。

「ちゃんとしなさいよ、いい加減」

 ずっとちゃんとしていたつもりである。

 ちゃんと、しっかり、世間ずれしないよう、人に迷惑をかけないよう、横にはみ出ないよう、自分を徹底的に殺して、びくびく怯えながら生きてきたつもりである。

 あとどれくらい、自分を殺せば良いんだろうか。

「将来のこと、少しは考えたらどうなの? そのままどうするの? 家にあなたを養うお金なんてないのよ」

 分かっている。だから私は、迷惑を掛けないために、大学で家を出たのだ。

 我が家のガンだということは、うすうす勘付いていた――私がいなくなれば、家は当たり前の家族に戻ることができると、知っていたから。

「本当、うちの子とは思えないわね、どうしてこんな差がついたんだか」

 妹は優秀だものな。私と違って。

「死にたいだの、もう嫌だの、いつまで甘えてるのよ。そういうの止めて、現実を見なさい」

 現実なんてもうずっと見てきている。

 死にたいけれど生きなければいけない。

 生きていることが全ての正義である。

 毎日無理して仕事に行って、人に媚びを売って、自分を殺して幸せを放棄して、他人に利用されようと笑みを絶やさず愛嬌よくして、そしてそのまま壊れるまで生き続けなければならない。

 死ぬことの許されない生き地獄、それが現実だろう。

 知っているよ、そんなの。

「いつまでも黙ってないで話したらどうなの? そうやって察して欲しいみたいな態度をされても困るからさ、喋りなさいよ。ねえ、これからどうする気?」

 私をこうした人たちは、誰も責任を取らず、私に全てを押し付けてどこかへといなくなってしまった。

 親も、家族も、小学校のクラスメイトも、中学校の担任教師も、高校時代の後輩も、大学時代の先輩も、これから先、私は私を治すために、自分で頑張らなくてはいけない。

 皆にバラバラに壊された私を、もう一度作り直さなければいけない。

 それがどれだけ大変か、分かっているのだろうか。

 ――病院通って、ある程度落ち着いたら考えるよ。

 ――今は休ませて。

 ――お母さんのせいでもあるんだから。

 そう反論しようとして、やっと口が開いた私から出た言葉は。

 悲鳴だった。


「黙れっ!!!!!!!!!!!!!」


 ――――


 午前四時、私は目が覚めた。

 どうやらうなされていたらしい。

 汗をびっしょり書いていた。

 電気を付けて、コップで一杯、水を飲んだ。

 鏡を見ると、ほっぺに涙の跡があった。

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