サイキンの冒険

常盤木雀

サイキンの冒険

「フミちゃんとも、もう一回会っておしゃべりしたかったなあ」


 つい先ほどまでお友だちと会って楽しそうにしていたヨリコさんから、そんな感情が漏れてきた。


 ヨリコさんは、あと半月ほどで仕事で外国に行く。二、三年は日本に戻ってこられないかもしれない、と会社に言われている。

 今日はヨリコさんと仲の良いお友だちとのお別れ会だった。趣味のヨガスクールの仲間で、寂しくなるね、忘れないでね、と楽しそうに話していた。

 一方で、フミちゃんは、ヨリコさんの幼なじみ。今は隣の町に住んでいるけれど、ここ数年はほとんど会っていない。フミちゃんが結婚して子どもを産んだ頃から、ヨリコさんは遠慮して声を掛けづらくなってしまって、フミちゃんもヨリコさんに嫌われたのかなと誤解して、次第に疎遠になってしまったのだ。


「でもフミちゃんはもう、わたしのことなんか忘れてるよね」


 ヨリコさんがまたネガティブになっている。

 ネガティブは良くない。変なやつらが増えて、わたしたちの生活環境が悪くなる。


 仕方ない。わたしが解決してあげよう。



 人間は全知全能のように振る舞うけれど、実態は不器用でできないことがたくさんある。

 そのひとつが、『第六感』とか『虫のしらせ』とかいわれる能力だ。

 わたしは人間から見ればその『虫』だ。人間が『虫』をどんな虫だと想像しているのかは分からないけれど。なぜ虫なのだろう。わたしは虫じゃないのに。


 わたしは、人間の呼ぶところの細菌の一種だ。

 わたしたちには、感情の受容器がある。他の生物の感情を感じることができるのである。知ろうと思えば一定範囲内のある程度の感情を知ることができるが、うるさいので、今は基本的にはヨリコさんの感情に絞っている。他は背景音。ヨリコさんの体表で生きているから、他に娯楽もないことだし、聞き流している。

 人間はまだ、わたしたち細菌が感情を感じ取っていることを知らないようだ。知ったら酷使させられそうだから、知られずにいたい。


 今回ヨリコさんを助けてあげるのは、特別だ。

 まあ、いろいろな子たちの特別が積み重なって、人間に『第六感』なんて言われるほどになっているのだけど。わたしがヨリコさんを助けるのが三回目なのも、気付かなかったことにしよう。大丈夫、人間は『妖精のおかげ』とか虫だとか、勝手に想像している。



  ○ ○ ○



 まず、ヨリコさんの指先に移動しておいた。

 お友だちと別れたヨリコさんは、スーパーに寄った。そこでわたしは指先から商品の陳列棚に乗り移った。


 しばらく近くの感情をぼんやり調べていると、近くに隣町の人間がやってきた。帰りに隣町のドラッグストアに寄ろうと考えていたから、バス代わりに使わせてもらう。


『すみません、そこの人間に住んでいる細菌の方。わたしを運んでもらえませんか?』

『分かった』


 細菌同士はもちろん会話できる。

 優しい菌だったようで、すぐに人間はそばにきて、商品を見ようと棚に触れた。


『ありがとうございます』


 知らない人間の皮膚は、不思議な感じがした。しかし健康な人間のようで、住んでいる菌が優しいのも納得できた。日頃から環境が安定しているようだった。

 居候のわたしを気遣ってくれる菌たちに事情を説明すると、親切にも協力してくれると言ってくれた。心強い。


 やがてドラッグストアに着いて、わたしはまた下り立った。

 近くの細菌に呼び掛けて、フミちゃんを探す。

 とりあえずは隣町まで来たのだ。ここからは数日かかっても仕方ない。



 ○ ○ ○



 三日目。わたしはついに手がかりを掴んだ。


『フミさんを探してるんだって?』


 他の細菌から噂で聞いた、と声を掛けてくれた菌がいたのだ。

 わたしは、そのフミさんがフミちゃんであると、情報を確認して確信した。隣町に結婚して引っ越してきたのも、年齢も、子どもの人数も年齢も一致する。食の好みも同じだ。


『君を少し分けてくれるなら協力してあげるよ』


 菌の提案に、少し悩んだけれど受け入れることにした。菌は環境改善を試みていて、善良そうな別の菌を取り入れたてみたいそうだ。

 わたしでありわたしたちである一部を、棚に触れた指に移動した。すぐにそれはわたしではなくなった。


『フミさんをここに連れてくれば良いよね。待ってて』

『ありがとうございます。お願いします』



 ○ ○ ○



 四日目。一日が半分以上過ぎたころ、待っていたフミちゃんがお店に来た。思っていたよりとても早い。


『うちのを探してる菌がいるって聞いたんだけど』


 そんな声が聞こえてきた。


『わたしです!』


 来たは良いものの戸惑っている様子の菌に、わたしはこれまでの経緯を説明した。もう時間がないのだと強く主張すると、菌は仕方がないと呆れながらもフミちゃんに働きかけてくれた。


「そういえば、もう何年もヨリコちゃんに会ってないな。……うん? どうして突然ヨリコちゃんのことを思い出したんだろう。今度の日曜日、お母さんに会うついでに、ヨリコちゃんのところに寄ってみようかな。でも迷惑かな? ……何だか落ち着かないし、行ってみよう」


 近くまで来ていたフミちゃんの感情が伝わった。

 ひやひやしたけれど、無事にヨリコさんを訪ねてくれそうだ。


『ありがとうございました!』

『探されてるって聞いて、せっかくここまで来たからね』


 フミちゃんの菌は、苦笑気味だった。

 わたしはようやく目的を果たした。次はなるべく早くヨリコさんのところに戻って、日曜日は家にいるように伝えなければいけない。せっかくフミちゃんが来たのにヨリコさんが出掛けていては、台無しだ。



 ○ ○ ○



 日曜日。家でのんびりしたい気分になったヨリコさんは、ハーブティーを飲みながらテレビを眺めている。

 本当に、間に合って良かった。



 わたしがヨリコさんのところに戻ったのは、二日前。やっぱり住み慣れたヨリコさんの体表は良いなあ、などと身体を休めていると、

「日曜日はカフェでのんびりしようかなあ」

というヨリコさんの感情が伝わってきたのだった。

 わたしの回復より、ヨリコさんを止める方が先だ。わたしは慌てて他の細菌に呼びかけた。


『日曜日にはヨリコさんのお友だちのフミさんが来るの。家にいるようにして!』


 本当に行って来たんだ、などのざわめきの後、

「やっぱり出掛けず家にいようかな。家にいられるのももう少しだし」

という感情が届いた。

 きちんと伝えてくれたようだ。


 わたしは、直接ヨリコさんに働きかけることはできない。わたしたちに人間の感情は伝わるのに、人間にはわたしたちの声も感情も通じない。

 しかし、人間の腸内に住む一部の菌は、人間を制御できるのだ。気分を変えさせたり、欲しい栄養を含むものを食べさせたり、何でもできる。人間制御のエリートだ。

 だからわたしたちが何かを望むときは、まず粘膜付近の菌に声を掛けて、粘膜上――特に消化器官に繋がる粘膜上の菌に依頼してもらう。そこから消化器官を伝言ゲームを腸内まで続けるのだ。わたしたちは、似た種の菌同士はある程度離れていても会話できるけれど、違いが大きい種だと近くにいないと伝わらないので、直接腸内に呼びかけることは難しいのである。



 玄関のチャイムが鳴った。

 ほとんど飲み終わったカップを置いて、ヨリコさんは立ち上がる。


「はい。どなたですか」

「あの、フミです。突然ごめんなさい。急に会いたくなっちゃって」

「フミちゃん!?」


 来てくれた!

 ヨリコさんは、驚きと嬉しい気持ちでいっぱいになって、慌てて玄関の扉を開けた。


「久しぶりだね。本当に突然ごめんね」

「ううん、わたしも会いたいと思ってたの! でもフミちゃんは忙しいかなと思って」

「そんな! いつでも声掛けてくれて良かったのに!」


 ヨリコさんとフミちゃんが手を取り合うと、フミちゃんの菌が少しこちらに移ってきた。

 ああ、懐かしい感じだ。フミちゃんはヨリコさんと仲良しだったから、フミちゃんの菌はなじみがある。何世代も前のわたしの記憶がよみがえる。


『ヨリコさんって、この人だったか』


 移ってきた菌が笑う。忘れるなんて酷い菌だ。

 

 ヨリコさんとフミちゃんは、楽しそうにおしゃべりをしている。

 しばらくは何も問題なさそうだ。わたしは少しの間、回復に専念しよう。



<終>

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