第9話:再生

 母親は生前、海洋散骨ないしは樹木葬を望んでいたものの、それを証明する書類がなかった。それに熱烈な希望、というのでもなかった。そのため、骨は近くの寺に納骨されることとなった。生前の故人の希望は通らなかった、ということになる。しかし親戚全体で関係の深い寺である。そこに居るのも悪いことではないだろうと言うことに、話し合いの結果なった。手続きに慣れているのも納骨を選んだ理由である。母は神も仏も信じていない、と口にし続けていたが、私はそうだったとは思わない。時代の潮流に表面上は合わせていても、精神は子どもの頃に教わった考えを大切に抱いていた。



 目を瞑った母親の顔を見たのは、北海道に来て以来初めてのことだった。周りの花は萎れ始めていて、縁が茶色になっているものが多い。顔の周りには白い菊が際立って沢山置かれていた。


 クミが両手に持つ遺影の中の母は、目が不自然に開かれ、口に力のこもった、必要以上にキマった写真だった。写真の撮られ方がへたくそな人だ。それに比べると本物の母親は自然だった。薄く瞼は閉じられていて、今にも起きだしそうだ。口元は緩んでおり、笑顔を浮かべているようにも見える。しかしもう、緩んだ口から小言が飛び出すこともない。写真だって実物だって、その点では変わらない。


 クミはは母の顔を見ると、声も出さずに泣いた。まるで昨日の感情を思い出したみたいに泣いた。目の下は隈で真っ青になっていた。彼女の口から酒の臭いがしたので距離を取ることにした。母の入った桐の箱は閉じられてしまい、火葬場に運ばれていく。焼き終わるまでにはもうしばらく時間がある。遠くの自販機でリンゴジュースを買って、しゃがみこんで飲んだ。電線の少ない空は広い。雲の進みもだらだらして、まるで時間が進んでないようだった。好き好んでは吸わないタバコが吸いたい気分だった。


 次に会った時にには、母親は骨だけになっていた。足を手術した時のボルトがそのままの形ででてきている。愛する人の骨を食べ、その人を忘れないようにする、という話を思い出し、馬鹿馬鹿しく感じた。すぐに体から出て行ってしまうに決まっているのに。昨日に比べて人の数が減ったため会話が少ない。箸で骨を掴む。少し力を加えただけで表面が崩れそうになった。箱に移しても移しても骨はなくならない。最後には銀色のスコップで粉々になった骨を骨壺に移した。大きな箱から小さな壺に移したところで、まだ骨に母の面影がある。



 家に帰り、スーツケース一杯にお供え物や北海道のお土産を入れた。お供え物はほとんどが缶詰だったが、果物も含まれている。『忌引 お土産 迷惑』で検索をかけると、お土産はあってもいいということが分かり安心した。スーツケースは飛行機の中に持ち込むには苦しい重さになった。その上、「捌ききれなかったら後で段ボールに入れて送るから」とのことだった。


 服も歯ブラシもスーツケースに詰めて、帰らなければいけない時間が近づいていた。



 「近いうちにまた来ます。有給を消化したいし、実家の整理はしないといけないし」

 「そうしてくれると助かる。部屋の掃除は定期的にしておくから。親戚同士の問題は色々あるかもしれないけど、さすがにそこまで手を入れてもいいものかな」

 「それは家族で何とかするべきことです。姉妹で、なるべく早く結論を出したいと思っています。大した遺産もない親ですが、わだかまりが残るのは避けたいです」

 「ほら、サトちゃんを駅まで送って行って。どっちが運転するの」

 「僕が運転します」


 名乗り出たのは弟のハレだった。兄の方は酒が抜けきらない顔をして頷くばかりだった。埃っぽい軽トラの中にはまだジャンクフードのにおいがほんのり感じられた。


 「約束、反故にしないでくださいね」

 「反故にするつもりだった」

 「だと思った」

 「人との関係って、意識しないと保てないものなんです。意識せずに会いたい人と会えるなんて贅沢は、歳を追うごとに失われていくものなんですよ」

 「そうかもしれない」

 「こんなにべらべら語ってしまって、馬鹿みたいですね。感傷に浸っているのかもしれない。本当に馬鹿みたいだ」


 栗町に行く途中の麦畑は、車の中の景色になった。麦は影なんかかかっていないような顔をして揺れている。塗りつぶしたような金色に、視界が埋め尽くされる。ハレはわざわざ、栗町駅から二駅先の九別駅まで送ってくれた。今までには無かった積もる話が、今日は存在した。駅のロータリーで止まった車から降りると、車はすぐに出発した。



 帰りに乗った車両は空だった。窓は少しも空いておらず、無神経な日が差し込むばかりだった。『田中登』君に会えるような予感がしながら電車に乗っていたのだが、札幌に着くまで車両には誰も乗り込んで来なかった。眠っているような、眠っていないようなところで景色を見ている。ビルが少しずつ高度を増す。最後も永遠もないのだ。続くだけなのだ。ただ明日があるだけだったのに。

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麦【完結】 おかお @okao

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