第8話:匍匐

 帰ってきた自分に驚きの目を向けたのは妹だけだった。



 2日目の宴会は、先日よりも落ち着いたものになっていたらしい。全ての人は意識があった。リビングは昨日よりも多くの人間でひしめき合っていた。親戚よりも両親の知り合いの方が多そうだ。人数が多いのに盛り上がりに欠けているのは妙なことだったが、母親を中心とするコミュニティに母親が不在であることに原因があるのだと考えられた。ほとんどの人間は自分に通り一遍の興味しか示さない。彼らにとって何も言わずに出ていったことは大した問題ではない。妹がいたからだ。彼らにとっては友人/親族の子どもがそこにいれば十分なのだ。人数は大した問題ではない。


 帰ってきた私に対して、叔母さんも従兄弟も、軽くしか反応を示さなかった。しかし何日も帰ってこなければ心配しただろう、というようなことは言っていた。元来、重要な問題を重要でなく捉えるのが得意な人々だ。特に従兄弟の兄にはその傾向が強い。そして兄に兄弟の主導権が握られているので、全体としてそういう印象が強い。それに救われた形になる。


 確かに、喪主なしで成り立つ葬式があってたまるかと思わなくて良いのか、と思わずにはいられない。情けない自分もいる。しかし、大人にもなって親戚から叱られることが無くてよかったと思う気持ちの方が大きい。歳を重ねる毎に怒られることが恥ずかしくなる。よくわからないプライドが今日も胸の中で膨らんでいるのが分かる。いずれこのプライドが、自分自身の表にまで侵食してしまう日が訪れるだろう。



 帰っていた時、外から見て、2階の数部屋には明かりが灯っていた。宴会を早々に退席して、2階に向かう。連続で酒に呑まれるわけにはいかない。そもそも酒にそこまで強くない。電気がついている部屋の一つは、先日自分があてがわれた部屋だ。ドアを開けると、クミはそこで布団を敷いてスマホを凝視していた。


 「お帰り」

 「ただいま」

 「今日やるべきことは終わったよ」

 「見ればわかるよ。お疲れ様」

 

 布団の周りには缶ビールが何本か置かれていて、その内の半分はプルタブが既に開けられていた。


「何してたの」

「札幌に行って、映画を観て、ご飯を食べて、帰ってきた」


 怪しがられると思い、中学生とのお出かけ部分はカットした。連絡先を交換したことの報告なんてもっての外だ。葬式で母親に事細かに説明しかねない。


 「信じられない。自分の親の葬式を他人にやられて悔しくなかったの。自分のけじめは自分でつけるべきでしょ」

 「恋愛映画を観たんだ。中高生しか観ないような、幸せが確約されている映画」

 「信じられない。今は喪に服すべきでしょ?歳を取るごとに常識を益々失っているわね」


 空き缶と一緒に飛んで来る言葉には返す言葉もない。「そうじゃないんだ」と絞り出すだけで精一杯だった。しかし何が『そうじゃない』のだろう。札幌に逃げ出す前よりも更に息苦しい。それでも一生涯息苦しいよりかは余程マシだと言い聞かせ、耐え忍ぶ。


 「昔から地に足がついていないような言動が気になってたのよ。帰ってこなきゃよかったのに」


 それを捨て台詞にして、クミは階下の宴会場へと去った。空き缶と一緒に部屋に取り残される。全くその通りだ。全ては妹の言う通りなのだ。クミの右側の布団が空いていたので、化粧も落とさず、パジャマにも着替えずに滑り込む。明日来る彼女の夫の為に敷かれた布団かもしれない。枕はパイプ入りで、家の柔軟剤のにおいがした。


 明日のことは考えたくないのと同じように、明日の肌の事もあまり考えたく無い。自分はもう若くはないのだということも考えたくはなかった。全ての未来への気持ちを跳ね除けるようにして目を瞑った。次第に眠りに巻き込まれていく。泥に沈んでいくように深い眠りだ。目が覚めたら子どもに戻っていればいいのに。何度も繰り返した願いを、この日も祈って眠った。

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