第5話:消滅

 下の従兄弟はという。晴臣の臣が抜け落ちてハレと呼ばれるのだ。誰に対しても平身低頭といった具合で、年下の私にも敬語を使う。実家暮らしでおばさんにいいように使われているのはいうまでもない。


 「今のうちにご飯食べないと、もう食べる機会はなさそうだ」


 町の人が杖をついて次から次へと現れる。人の切間を縫ってハレと私とは会場の裏にある親戚用の席についた。弁当が置いてある場所の都合上、横並びになって座ることになった。おばさんは来席者と心から楽しそうに会話をしていた。天井が少し低いので背中を丸めて部屋に入った。自分の身長が高い、というのではなく、圧迫感のある天井だっただけである。お茶が入ったポットと弁当が親戚分用意されていた。創作料理の店の弁当だ。柴漬けのショッキングピンクが米に色移りしていた。


 「元気だったんですがね」

 「転んじゃうっていうのはしょうがないんで。おばさんの家が近くにあって、すぐに見つかってくれて本当によかった」


 部屋は線香と埃のにおいが入り混じっていて、実家のにおいと似通っている。薄いガラス窓からは外が見えるが、細い電柱が何本か目につく程度の景色だった。ハレはハンカチで額をしきりに拭っていた。彼の低い鼻を厚ぼったい眼鏡が時に滑り落ちていく。顔周りが忙しそうだと思った。ハレは米を箸で一口大に切り分けて口に運ぶ。縦に5cm口を開けるだけで、米は口の中に収まった。弁当箱のへりとほとんど並行に米は進んでいた。時々ひじきも口に入れた。


 「ここには親戚が多いから、不安なことが少なくていいですよね」

 「確かに。全部妹と2人で手配すると思うとクラクラ来る」

 「二人とも東京に根を下ろしてますもんね」

 「この年になると、用事がないとここまでは帰ってこれないと思うね」

 「ないものがない街に住んでいるからですね」


 長い間連絡すらしなかった親戚、男女、という条件に合致する会話を何個も思いつけるほど、私の会話の引き出しは豊かではない。頭の中は大体がガラクタでできている。言葉にもできない言葉、言葉にしてはいけない言葉、社外秘。そういう言葉ばかり詰めて、この年齢になってしまった。


 沈黙も会話も苦になっていく。


 「東京にいられるだけで勝ち組なんじゃ無いんですか。サトちゃんを見るたびにいつも僕は『機会の均等』という言葉を思い浮かべる。いくら考えないようにしよう、考えないようにしようと思っても、サトちゃんの東京的な喋り方とか、濃い化粧を見るたびに、そう思わずにはいられない」


 ハレの言葉はもはや皮肉ですらない、正直な意見だった。それだけにまっすぐ痛かった。まっすぐ本音で、唐突だった。抑制のきいた声だった。ハレは私が会話の引き出しを開けたり閉めたりしている間、違う感情を段ボール箱から取り出してひっくり返していたらしかった。


 「自然にそうなった訳ではないから、その意見に、はいそうですね、とは言えないな。仕事はやりたかったことじゃない。分不相応な夢を描いて破れるのだって、別に自分だけじゃないんだ。悲しくなってしまうくらい、自分だけじゃない。都会には負け組ばかりいる。そもそも、大学だって行きたかったところには行けなかった。全てのことは自分の真横をすり抜けていってしまう。勝手に他の人が夢を叶えていってしまう」


 成長を旨とする価値観は自分にとって生来のものではないように思えた。そして実際、低い人口密度と遅い時間の流れと共に生きた自分にとって、それは生来のものではなかった。都会の生活は体の内側にある何かをすり減らして行く作業だった。人と話した夜には、会話の内容、表情を反駁した。自分の何が悪かったかを復習せずにはいられない。そういうのを知らず、自分の不満だけをぶつけて来るハレの態度に、不満を覚えないわけにはいかなかった。


 東京では、高校で札幌に通っていた時に感じた違和感が大きなうねりになって常に押し寄せていた。都会のネイティブではないから人よりも背伸びをしなければいけないのだ。高いビル群にはいつまで経っても慣れない。高層ビルが腰の部分から折れて、自分の頭上にコンクリートの雨が降ると錯覚する。満員電車で誰かが誰かの腹を刺していると思い込む。捨ててきた北海道への後ろめたさもあった。


 「軽率だったかもしれませんね。少なくとも久々に会った従妹にいうことではなかったらしい」


 ハレの米は残り三となった。


 彼の慎重さが彼の人生に良い影響を及ぼさなかっただけなのだった。場所と気質が噛み合わなければ、どこにもいくことはできないのだ。それはある程度運の問題なのかもしれなかった。


 「遊びにきなよ」

 「ぜひ」



 式場に戻ると、紺色の眼鏡が目についた。縁が太い。黒いスーツと並べてみると、思ったよりも眼鏡に使われた紺色が明るい色であることが分かった。それは昨日九別で電車に乗ってきたかつての同級生だった。


 「一日ぶりだね」


 枝のような手にビニールが巻き付いているみたいな細さのスーツを着ている。横に並んで立ってみると、自分よりはるかに身長が高いことが分かった。ヒールを履いていても圧迫感のある身長だった。


 「写真は得意?」

 「シャッターを押すぐらいならできる」

 「最後の方まで残っててもらえるかな」


 葬式の最後に遺影と一緒に記念写真を撮るのは全国共通ではないらしい。更にこの後、遺体と一緒に宴会をするのも、全国共通の葬式の形ではないらしい。


 「いつまで北海道にいる?話す時間とかとれるかな」

 「厳しいと思う」

 「喪主は忙しいからね、どうしようもない質問した、悪いね」

 「違うの、仕事と仕事の合間を縫って来てるから。紛うことなきブラック企業なの」

 「それならしょうがない。また栗町に来たら連絡して」


 彼は本当に可哀想なものを見る目でこちらを見た。連絡先を交換した。『田中登』。私が覚えていなくて責められないようなシンプルな名前だった。


 明後日には栗町にいない。

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