第2話 絵に書いたようなおっさんが作者ってマ?
人事部に到着し、壁に立てつけられた席順表を眺めていると、声をかけられた。
「およびしましょうか」
振り向くと、小さくて若いクソ美人な子がいた。新卒だろうか、歳は自分と数個しか違わないのに、ピチピチ感が違う。愛され女子というか、男好きのする容姿に、DNAの違いを感じずにはいられない。顔役として採用されたのだろうが、こういう人材こそ広報にくれと思うのはあたしだけじゃないだろう。
「山岸さん、っていらっしゃいますか」
「ああ、山岸課長代理ですね。少々お待ちを」
そういうとその子は振り返るなり「山ちゃーん」と小走りしていった。課長代理に向かってちゃんづけとは、美人は何をやっても許されるのか、クソ! と思いつつ、同室の主任の態度を思い出して腹落ちした。
女の子が向かっていった先には、ここから見てもわかるほど大きな男の人がいた。あたしは二重の意味で驚く。
「はい、私が山岸ですが」
額をハンカチで拭いながら出て来たのは、ふっくらしたお腹をサスペンダーで押し付けた、何からなにまで柔らかそうな大きな男性だっだ。はっきり言って典型的な肥満体型なのだが、不潔感はなく、笑顔の柔らかさも相まってキャラクターじみた愛らしさがある。驚きの一つ目は、こんな絵に書いたような人がこの世の中にいるんだ、ということ。そして二つ目は、あの物語を執筆していたのが男性だったのか、ということだった。
「すみません、突然。社内広報課の浅見です。記事について、お話を伺いたくて」
「ああー。その話ですか」
否定はしない。やはり、この人こそ、美食探偵たるねこ日記の作者様だ。
山岸さんは気まずそうにオフィスを見渡したあと、腕時計をみやってから、柔らかい笑顔で言った。
「浅見さん、ご昼食はもう?」
「いえ、まだですが」
「そうですか。それじゃあ、どうですか。ここじゃ、なんですから」
「お願いします」
笑顔につられ、即答してしまう。山岸さんがホワイトボードに昼食と書くと、さっきの若い子が「いってらっしゃーい」と馴れ馴れしく声をかけた。なんだかなー、である。
「仲、良いんですね」
エレベーターの扉が閉まると、気まずさ回避に何か話題を、と口を開けば、とんでもないことを口走っていた。即後悔である。
「ああ、初めて見ると、驚かれますよね。あの子、って言ったら失礼か。佐々木さんは、誰にでもああなんです。仕事場が明るくなって助かっています」
「確かに明るい」
ちゃらいのほうが正しい気もする。
「今の部長の方針で。ほら、最近、パワハラとかセクハラとか、女性の働きやすさを重視するために、まずは人事部の風潮から変えていこうということだそうで。私達の時代からすれば考えられないことですが、まぁそれも古いということなんでしょうね。実際、若い子達は伸び伸びとしてますし、離職も減りました。私からしたら娘みたいなもんですが、枯れたおじさんです、フレンドリーに接してもらって悪い気はしません」
山岸さんはゆるく笑った。
「枯れた、なんて。まだお若いのに」
「またまた。でもこれでも五十を超えていますから」
「え!? 見えない!」
ここでも驚いた。おじさんであることは否定しないが、そこまでとは。
「おや、これは嬉しい。若い子に褒められると、舞い上がってしまいますね。体も軽くなります」
そういう山岸はエレベーターが開くと、どっこいしょ、一歩目を踏み出した。
「せっかくなので、良いお店に。少し遠いですが、よろしいですか」
あたしがうなずくと、山岸は見た目より軽いフットワークでオフィス街を進んでいく。数分歩いて路地を曲がった先に、ひっそりと、オープンラウンジのあるカフェが現れた。
「嫌いなものはありませんか? 甘いものとか。ここはデザートが美味しいんです」
「甘いもの大好物です!」
「それは良かった、じゃあさっそく」
都内には珍しいリゾート風仕上げのカフェテリア。イーゼルに書かれたメニューが雰囲気バツグンだ。
世間話もそこそこに、おしゃれな昼食をいただく。デスクで弁当を掻き込む日々には、たまらなく贅沢だった。何より開放感がいい。主任と課長が喧嘩し始めたときはここに逃げ込むことにしよう。
「甘いもの、お好きなんですね」
運ばれてきた『本日のデザート』を幸せそうに口に運ぶ山岸さんに、口が出てしまった。
「いやぁ、お恥ずかしい。私も久しぶりだったもので」
「いいと思います」
「死んだ妻が好きでしてね。付き合っているうちに、こっちまでハマってしまって」
と、突然重たい話がなんの前触れもなく飛び出してきた。左手に輝く鈍色が目に痛い。
「あ、その、えっと、すみません。そんなつもりじゃ」
「ああ、いえ、こちらこそ。お気を使わせてしまいました。もう何十年も前のことですから」
まるで何事もなかったかのように山岸さんはスイーツを口に運んでいる。こんなとき、人生経験の足らぬあたしは、言葉を持ち合わせていなかった。無言の時間を埋めるように、スイーツに手を伸ばした。気を使ってくれたのか、山岸さんはそれを見て、ゆっくり話しだした。
「妻がなくなったとき、ひどく落ち込みましてね。食べる気力もなくなって、随分と痩せました。今からは想像できないでしょうか、体重も今の半分くらいになってしまって。そんなとき、ひょんなことから妻が大好きだったスイーツを食べましてね。不思議と、元気がでてくるような気がしたんです。気の所為でもいいから、その時の私には、気力が必要だったんです」
あたしが何かを言おうとすると、山岸さんはにこっと笑って、どうぞ食べていてくださいと手で促してくれた。
「それで、部のみんなに差し入れたんです。そうしたら、とても喜ばれましてね。特に、女性の反応がとても良くて。そういえば妻も、とても幸せそうに食べていたということを思い出したんです。そこで、妻のレパートリーの中から選んで、職場に持ち込みました。それを繰り返していたら、ちょっとした話題になりましてね。そんなときですかね、当時の広報部の部長から、書いてみないかって。今から二十年以上前の話です」
それが『美食探偵たるねこ日記』の始まりだったということだろう。
「こういうと女々しいと思うかもしれませんが、私は嬉しかったんですよ。妻との日々が、皆に幸せを提供できるという事実が。気づけば、こんなに長く続けていました。いやー、楽しかったですよ、リサーチして現地に出向いて、それを食べる瞬間は最高です。良い趣味ですよ。独り身の休日としては良い時間の使い方だったなぁと、そんな風に思っています」
「でも、それではどうして」
それだけに、そこがわからなかった。ここまでの話を聞くと、山岸さんが執筆を辞める理由が、どこにも見当たらない。
「それはですね、これです」
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