第12話 佐伯の語りー6 勘定方
菱屋という呉服店から、お梅という女が八木邸に来るようになった。
お梅は凄く妖艶な女で、菱屋の奥さんとも妾とも言われている謎の女。
菱屋は芹沢の贔屓にしている店で、着物を仕立てをやっている。今まではそこの店の手代がツケの催促に来ていたのだが、芹沢の逆鱗に触れ、無礼打ちにされそうになり、その代わりに、お梅がツケの催促に来るようになったのだった。
噂によると、最初に作っただんだらの羽織も、大文字屋が元受けして菱屋に孫請けに出したとも聞いている。ならば結構な金額ツケが膨れがっているように思われ、催促もほうも頻繁にせざるを得なくなったのだろう。
「どうなっている佐伯。目障りだ」
いつもは大人しい井上さんに、注意された。
「なんとかしろ。女にうろつかれるのは勘弁だ」
道場内を、借金取りの女がウロウロとされるのはどうも、気になって仕方ないらしい。
井上源三郎は普段は「源さん」と呼ばれている温和な人で、天然理心流の中で一番年齢が高い落ち着いた人だ。
だが剣術に対しては厳しく、うまい下手は別にして、真面目にやってない奴を嫌う。正しいことを純粋に遂行する生真面目な品格が、みんなに好かれる要因だったりしている。
確かに誰もが妖艶なお梅が通るたびに、好きか嫌いか別にして、気になっていた。
「しかし借金があって、お梅はその取り立てに・・・」
「勘定は?」
「平間さんが取り仕切っています」
「平間か」
どうも芹沢一派の水戸浪士たちには言いづらいので、源さんでさえ困っている。
しかしそんなお梅に、近藤局長も気になっていたようで、ついに平間に釘をさすために新しい勘定方を連れてきた。
河井継太郎という大阪から来た商人の子だ。
剣の方はからっきしダメで、近藤の個人的支援をしている店の奥方から兄をと推薦され入隊してきた変わりダネだ。
「侍になりたいのです」
そう言って河井継太郎は自己紹介し、近藤局長は
「大阪だから佐伯と気が合うだろう」
無茶な意見で面倒をみるように言われ、押しつけられた。
別に拙者は大阪出身ではなく、ただ住んでいたことがあるだけで、言葉だってよく聞けば偽の大阪弁と判る偽大阪人だ。故に本物の大阪人をちょっと煙たく思っていたが、もう来てしまって同僚になってしまったのだ、仲良くやるしかない。
「まずはこちらへ」
河井を連れて、一番の責任者である平間に会わせる。
「よろしくお願い申し上げます」
いつも温和な平間が、珍しく冷たく対応した。
「いらぬよ。これ以上の勘定方は」
「そうも行かぬのです。近藤さんからの直々なもので」
局長の推薦となると、平間も渋々、従わざるをえない。
「そうか、なら言われたようにやるように」
効果てきめん、平間に釘をさした。やはり本物の勘定が出来るやつは厄介な存在なのだろう。
「ハイ。よろしくお願いもうします。それで帳簿・・・・・よろしいですか?」
控え目ながら勘定方の仕事を始める河井。
さすがに商人の息子、目が利く。すぐさま帳簿のずさんさを見抜き、困っている。
「・・・・・・」
「まだ、いい。おいおい教えてくれる。今はただ座っておれ。動くでないぞ」
「はい・・・・・・」
しかし芹沢が来て、赤い巾着袋を渡して、戻ってきて数えもしない平間。
また芹沢が来て持って行く。そういうことが繰り返される度に、河井がじれているのが判った。
ある日、意を決して拙者に聞いてくる河井。
「これは?」
芹沢用、新見用、近藤用の巾着袋をつまみ上げ拙者に聞く。
「しまえ。出すな」
「しかしこれでは、いつまでたっても勘定が出来ないでは、ないですか」
いずれ、いくつも帳簿が存在し、それを見ることになるだろう。
「平間殿が勝手にやっている。理由が解っても誰にも言うなよ。・・・拙者はいやなのだ。誰が何と言おうと詳しいことは知りたくもない。・・・河井、お主も分かったとしても判らないふりをしろ」
巾着のこと。帳簿のこと。平間が着服してること。
そして隠れて拙者も金を抜いていたりする。
色々な事情が混とんとしていて、誰も判らなくなっている勘定方は、まともには説明できないことばかり。
なので、「人に言うな」ということだけは河井に言って聞かせた。
しかし数日すると、やはり平間は勘定方から外されてしまった。
多分、拙者からも拒絶された河井が、こらえきれず誰かに相談してしまったのだろうと思う。
それから数日後。
「佐伯殿」
平間に呼び止められたので振り返って見ると、平間の額に殴られた傷が出来ていた。
「どうなされた?」
「ちょっとヨロけてコケました。歳ですかな」
そんな傷ではない。明らかに鉄扇で叩かれた傷だ。
それを見て、本当に芹沢のご機嫌取りは大変だなと感じた。
「これは平間殿、お役を変わられて、大変でしたな」
「いや勘定方をしていた時のほうが、どんなに大変だったか」
本当に晴れ晴れと笑っている。
平間が勘定方から外されたのは、多分、河井が近藤に言ったのが原因だろう。しかし根本は、平間が自分の欲で、金をチョロまかしていたのが間違い。自業自得なのではある。
「それで佐伯殿、聞きたいことがあって参った。あの巾着袋はあるのか?」
「あります。帳簿にもつけてない。別の金として保管されています。しかし今は変わったばかりなので持ち出すの難しいです。開けるなと封印していますが、ちゃんと近藤さんに説明してからじゃないとダメです。今動かすのはまずいと思います・・・」
「頼むぞ。あれは別枠にしてもらわないと、わしの首が飛ぶ」
「ほとぼりが冷めたら、芹沢さんに渡しますか?」
「後は頼む」
鴻池で保証人になって以来、近藤は金銭に敏感になってきたようだ。
しかし、元々緩んだザル勘定の隊だ。綺麗になるのが無理だ。
今、河井が懸命に帳簿とにらめっこして算盤はじいているが、金輪際合わない。
とりあえず今のところ俺は安泰。そして上の平間が居なくなってやり放題。
このまま行ってくれれば言うことない。
そのうち河井の泣きがはいり、勘定方に新しい隊士がもう一人、送りこまれてきた。そして二人は入れられて来て、最初に帳簿を綺麗に映し書き、毎日、計算として二人で必死に確認をし始めたが、うまくいく訳がない。
毎日持ち出される芹沢巾着が増えたり減ったり、それが開けないのだ。
やりようがないのである。
しかし夏が近づき気候が変わり暑くなりだした最近。芹沢の行動は常軌を逸していく。
「どうなっているの。払って貰わないと困るんだから」
菱屋のお梅が、頻繁に屯所に来て大声を上げるようになった。勘定方の拙者に食って掛かる。
「金は勘定方から貰えって、芹沢の旦那も平間のオヤジもそう言って逃げ回っているの」
「それは何度も言っているでしょ。芹沢さんの拵えは、個人のものだから、個人から貰ってください」
「そういってもね。金が勘定方にあって出せない。だからそっちから貰えって言うの。何とかして頂戴」
これがあって芹沢が全く八木の家の寄り付かなくなった。毎日花街に出て言って戻って来ない。
それにしてもいい加減だ。このお梅に大阪から金が入ると言ったのであろう。頻繁に聞きに来る。鴻池から借金が約束されたため、大風呂敷を広げて芹沢が言い放ったのだろうが、その金は隊に入り、しっかり管理されて各個人に回る金ではない。
大阪から来る大金は、勘定方に平間がいなくなった時点で、動かせなくなってしまったのだ。
だが菱屋としては、金は金。入って来るなら取ろうと、毎日にようにお梅が来る。しかし芹沢が居ない。ならばと誰構わず愚痴を言うので、八木邸の人間は、誰もが苦々しくしていた。
これには近藤や土方さんも閉口して居て
「佐伯、芹沢さんが預けている巾着袋というのは存在するのか?」
河井に聞いたのだろう。土方さんが尋ねて来た。
「たしかにあります。しかし今、巾着の管理は河井たちが行っている最中で」
「中身は幾らだ?」
「いえ平間さんが管理だったので全く知りません」
「もういい。いくら入ってようと構わん、渡してしまえ。とりあえずこの煩い女に八木邸をうろつき回られるよりはましだ」
河井から巾着袋を預かり、それを芹沢たちに渡して終わらすことに成った。
向こうに渡す前に巾着袋を開き見る。小判も銀塊も無造作に突っ込んであるので、いくらあるのか判らないが、ゆうに二百両は超えているであろう。
「どうせ平間だ。数えていまい」
そこから三十両くらい抜き出す。これぐらいなら誤魔化しても気付かないだろう。
そして姿をあまり見せない芹沢より、平間を捕まえて巾着袋を渡す。
そんなこともつゆ知らず
「すまん。助かる。これであの女から追っかけられずに済む」
と、言って持って行き、全てが終わった。
・・・・・・かに思ったが、いくらたってもお梅は相変わらず八木邸に来るのだった。それも芹沢と伴って現れる時さえある。
「借金の返済は済んだろうに。何用であの女は来るのだ?」
と、誰もがみんな不思議がるが、しばらくすると井上さんがひどく悲しそうな顔で、教えてくれた。
「哀れな女よ。芹沢に手篭めにされた。借金も貰えず体も取られ、不憫な事だ」
それもこの八木邸で、犯されたそうだ。
借金返済の為に巾着袋を渡したじゃないか?なぜ?疑問になり平間に聞きにいくと、
「あれは返済には使わん。返済はいつでも出来るそうだ」
「気が狂ったのか芹沢殿は」
するとそばにいた平山が笑いながらいう。
「何をいってんだ。元から狂っているよ。昔から病気だったのさ」
病気?なんの病気だ?癲癇か?
「ついに頭に回ったのだ。毒が。・・・・・・梅毒だよ。花柳病」
「はなやぎ病?これは・・・・・・生きたまま腐って鼻や耳がもげるというあれか」
別名・鉄砲と言われて「滅多に当たらぬが、当たると死ぬ」という病気だ。人には言わないが、結構の人数がかかっている。
「奴は病気なのだ。薬を飲んでいる・・・・・・きをつけろ。芹沢さんが抱いた女は抱くなよ。移るからな」
そういえば酒を飲みながら、何か頓服を飲んでいる時があった。あれが薬か。
これは驚いた。酒で酔っている訳じゃないのだ。本当に気が狂ってきたのだ。それが今、まさに頭に毒が回って本当に狂い始めている?
「怖いんだよ。いつ死ぬかわからないから、酔いつぶれまで酒を飲む」
「どうすればいいんだ?」
「まあせいぜい、巻き込まれなように、気を付けるこった」
「では飲みに行くぞ。これるものは付いてまいれ」
今日も島原に飲みに行く芹沢。
隊の見回りはしない。酒を飲み、女を買う。・・・・・・いや、女はみんな逃げる。花街に病気持ちと知れ渡ってしまったから、誰もが逃げてしまう。そりゃそうだ病気をうつされたくない。
それに腹をたてて酒の量も増えている。そして島原で暴力をふるって暴れていることが噂になって聞こえてきている。
「今、京都で嫌われているものは、汚い、暴れる、壬生狼(みぶろ)ども」
自ずと会津藩にも噂が流れ、芹沢たちが行きづらくなっていく。しかし行かない訳にはいかず、もう一人の局長・近藤だけが呼ばれて行くようになってしまった。
段々と水戸藩脱藩系の芹沢局長派閥と試衛館の近藤局長派閥に分かれてしまい、そのため明らか壬生浪士組は分裂していく。
そしてそんな分かれて出した派閥が、完全に決裂することになる。
それは7月4日、大阪の鴻池善右衛門が留守中に壬生浪士組が金を取りに来た。金30両、200両、二回に渡って金を借りた。
毎月、鴻池は大阪の派遣先、阿部の道場にお金を渡しているのに、なぜか京都からお金を取りに行く人がいたのだ。
「どういうことですか、近藤さん」
「聞いているか佐伯?」
「いえ勘定方では誰も動いていません」
その事について拙者と近藤、土方さん、山南さんが呼ばれて大阪に行った。
「七万二千両貸す約束はあり、少しずつ月々貸し出しも始まっているのに、それをなぜ違う人が、来られてお金を借りていったのですか?」
壬生浪士組の人間が証文を書き、借りて行ったそうだ。鴻池に残された証文を見せられ、そこ書いてある名前は「田中伊織」とある。
壬生浪士組の勘定とは別に、新見が芹沢の命で「田中伊織」という変名で金を借りて行ってしまったのだ。
「田中伊織と言う人は、どちらにいますか?聞いたことがまったくありません。本当に壬生浪士組の人ですか?」
まずいな。まさか局長の新見が、変名を使って、金を借りたとはいえない。
「どうなさったのです?近藤様」
近藤局長は言葉を返せなかった。
京都の八木邸に戻ってきて調べ、証文の文字がハッキリと新見の字と確認できた。
「せっかくうまく鴻池とつながりを得て、大阪にも浪士組の分所を作っている最中なのに新見殿が、勝手に金を引き出した」
「バラバラになっては困るんだ」
寄り付かなくなったとはいえ、八木家に戻ってきた芹沢を捕まえて、近藤は詰問する。
「これは芹沢殿が命を出したことなのですか?」
もしそうだとしても芹沢もまさか、そうだとはいえない。
「田中伊織とは、新見殿が使っている変名ですよね?」
「ああ、そう聞いている」
「新見殿には、局長を降りてもらいます」
するとあっさり芹沢が認めた。
「仕方なかろう」
新見を局長から降格。
それを伝えようと寄宿先の市川邸に行き、新見を探すが何処にもいない。
ここにもしばらく戻ってないと分かり、新見はしばらく前から、花街で泊まり歩いていて行方不明になっていることもわかった。
芹沢の水戸藩の仲間がバラバラになりだしてしまった。
これで近藤の率いる試衛館時代の派閥と、完全に分かれてしまった。
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