第十四話 青色(伊東夏樹)

これまでの「告白なんていらない」は、


 原田龍之介と荒川慎二は仲の良い友達そして両想い。しかし恋心をひっそりと楽しむ原田と違い、荒川は自分の恋心への激しい嫌悪に苛まれていた。あることから原田は我妻冬海に感謝を述べるがそれは原田が同性愛者であると認める内容でもあった。

 伊東夏樹は三度目の正直で我妻冬海に恋人のフリをしてもらうことの承諾を受けるがそれは我妻の友人、レオンの悪戯であった。伊東はまだそのことを知らない。


【青色 伊東夏樹】

明美とは別区画に派遣され私たちは全く話せていない。話が違うじゃないか!話すような友達もいない私は一人寂しくホワイエで案内をしていた。もうすぐ交代という時、トイレの方から不機嫌な声が聞こえてきた。

「おい、お前だろ。さっきまで入ってたの」

短パンTシャツの男が生徒を呼び止め叱責していた。

「はい、どうかされましたか」

「トイレ詰まらせたろ、トイレットペーパーもないぞ。君、ここの生徒だろ。ペパーの補充ぐらいしろよ。というか、一体なにを流した、おい」

生徒は困り果てている。嫌だな。私の立ち位置にまでよく怒号が響いてくる。可哀想だが関わりたくないと思った。すぐに先生が来て収拾がつくだろう。そう思った時、冬海がパッと現れた。私の前を通り過ぎて真っ直ぐそこに向かう。その時に気がついたその可哀想な生徒は冬海と同じ腕章をしていた。冬海の後輩か。冬海は真っ先に生徒に声をかけた。

「どうかした?」

「先輩。この方が」

後輩が言い終える前に男が口を挟んだ。

「おい、こいつがトイレに何か変なものを流したせいでトイレが使えない、おまけにトイレットペーパーもない。どうしてくれんだ」

冬海は丁寧な声で言った。

「お手洗いでしたらこのまままっすぐ行ったところの階段を降ったところにもあります。こちらが利用できないのであればそちらをご利用ください。」

「そんな問題じゃない。謝れ、迷惑したんだ。」

「い、いやです。なんで。俺は何もしていません。」

後輩が言った。まあどう考えてもそういう問題じゃないんだけど。男は一歩詰めたが冬海は一歩も引かなかった。

「事実確認が済んでいませんし機械の故障は彼の責任ではありません。」

「トイレットペーパーはあいつの責任だろ。そもそもこいつの後に入ったら流れなくなったんだこいつ以外の誰のせいだって言うんだ。」

「この学校のトイレにはホルダーが二つありますからそう言ったことはないと思います。万一ない場合は隣の個室のものをご利用ください。」

「わかんねーやつだな。そう言う問題じゃないんだ。いいか問題は俺が迷惑したってことだ。こいつがボール流したせいで、見てみろ」

男はトイレを指した。冬海は後輩を連れて平然と男子トイレに入り、出てきた。

「確かにボールが詰まっているようですがそれは彼が流したということにはなりません。彼を責めるのは辞めてください。」

「お前誰だ。さっきから口挟みやがって俺はこいつと話したかったんだ。こいつに謝って欲しいんだよ。」

「私は我妻冬海、彼の先輩です。悪いことをしていないのなら謝らないのは当然です。」

そのうちに別の後輩と思しき生徒が先生を連れてきた。私は先生に人を整理しろと呼ばれてしまった。私はこれが人の迷惑にならないように通せんぼしながら来た人に迂回経路を案内した。

「先輩なら後輩のことをちゃんと見てろ」

冬海が応える前に先生が割り込んで謝った。

「大変申し訳ございませんでした。以後こう言ったことがないように注意いたします。」

これで大丈夫だろう。

「この学校の生徒は謝ることもできねえクズだって書いてやるよ」

「生徒も反省していると思います。あとで強くいって聞かせますのでここは私に免じて見逃してください。」

「謝りなさい」

先生に促されて後輩が謝り、男は暴言を吐きながら去って行った。

 その後清掃員が呼ばれるも結局このトイレは封じられた。私は嵐のように行ったり来たりする先生たちをどこか他人事に見守っていた。あまりいい気分ではない。オープンスクールはそれから二時間後に終わった。

 冬海との待ち合わせの場所など決めていないがけれど学生の少ない今日は開いている門が一つのためそこにいればいいはずだ。そこに向かおうとして案内表示を剥がしている冬海を見かけた。気が立っているのは傍目にも明らかだった。テープを丸めてたものを思い切り床に叩きつけ、

「くそ」

と言って壁を蹴りつけた。一発けると七海はテープの塊を静かに拾った。そこで私と目が合ったが冬海は無視してテープ剥がしを続けた。

「よう冬海」

「よう。トイレのクレーマーのこと?」

「知ってるんだ」

「ええ、そこの交通整理をしてた。」

「あの公演の後呼び出された。」

「で、注意されたのね」

「そ、子供で悪かったわね」

冬海の声はそっけなかった。

「いいと思う」

冬海は何も言わなかった。私たちは黙って案内表示を剥がし膨れたゴミ袋を捨て外に出た。私は本当に冬海の怒りをいいと思っていた。他の人のことに怒れるって素敵じゃない。青くていいよ、私なんて見ないふりをする癖ばっかりついていつか何が問題だかも忘れちゃったな。でもそれは心に留めておいた。

 日暮れ直後の青い空が広がり、飛行機のライトの点滅が見える。

「ねえ、駅前のカフェにする?遅くなっちゃったから」

「そうだね」

冬海が口角をあげて明るくこたえようとしているのが伝わった。黙って歩いていると冬海が急に声を上げた。

「青木先生」

スッと背筋を伸ばして優しい足取りで駆け寄る。ハンチング帽を被った先生がにこやかに手を振っている。優しいそうな人だが私は見たことがなかった。

「冬海くん、元気そうですね。」

「はい。先生もお元気そうで」

「見かけましたよ放送委員会ですか立派になりましたね。楽しいですか。」

「はい、とても」

冬海は心から楽しそうな笑顔を見せた。黒いところのない笑顔を初めて見た。なんだ、ちゃんと笑えるんじゃない。

「それは何より。これからも頑張ってね、じゃあまた。」

「はい。頑張ります。」

青木先生は軽く帽子をあげると手を振って去っていった。冬海はスッとお辞儀して見送った。上げた顔は笑顔だった。本当に心からこの人を尊敬しているんだなあ。

「初等部の先生だよ」

冬海は笑顔のままでそういった。なぜだろう。私はなんだか寂しくなった。

 私たちはカフェに行くとテラスの椅子に腰掛けた。大きなマグに入ったラテを啜る。

「考え直してくれてありがとう。」

「あーそのことなんだけど。あれ、レオンの悪戯なのよ」

さらりと言った。

「え」

「私が目を離したすきに」

「嘘」

「ほんと。なぜ急にやる気になったと思ったの?」

その声には純粋な好奇心が感じられた。

「『必死そう』って言い分を信じた。」

「そう」

その声は呆れとも怒りともつかない不思議なものだった。待ってよ、じゃあダメってこと。冬海はそれきりラテを飲んでいるだけだ。

「じゃあ、だめ?」

「と思ったんだけど、気が変わった。まあ、iPhoneを忘れたのは私だ。」

「ほんとに」

「気がかわらないように祈っといて」

悪戯っぽくも真面目ともつかない。あとでとってつけたような微笑みに返す言葉を私はすぐには見つけられなかった。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして。」

冬海はケロッとしたものだ。それ以後私たちは何も喋らず一緒にいた。何を話せばいいかわからないくせに私は気まずく思って何か言おう。そう思った時、冬海がいきなり立ち上がった。

「ちょっとごめん。下げといてもらってもいい?」

そう言い残して何処かへ小走りで行ってしまった。


【つづく】

次回、【第十五話 最高の日(原田龍之介)】


緊張の告白をした原田のその後

次回は四日月曜日です。

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