第二話 保身(我妻冬海)最終手段(伊東夏樹)

【保身 我妻冬海】

 私は冬海、我妻冬海。私は私のことが大好きだ。他に私の好きなものは、ミントキャンディみたいな縞々の入ったストロー、Macのゴミ箱を空にする時の音、水族館。嫌いなものはペーパーバックの本、目覚ましのアラーム、動物園。毛の生えていない動物が好きなんだ。

 学校で私に会いたかったらショッキングピンクの皮鞄を探して。それを引っ掛けてるのが私。五時間目が終わってすぐ。私は一人で更衣室にいた。汗といろんなものの香料でむせかえるような空気に追い立てられるように着替える。着替えとと言ってもハーフパンツとシャツを着るだけ。体育館の今日は日焼け止めを塗る必要もない。三分あればお釣りがくる。でも話し声が近付いて来て私は逃げるようにそこを後にした。

 第一体育館も人っこ一人いない。梅雨の雨音が楽しそうなリズムを響かせ、つけたばかりの電灯も私だけのために瞬いてくれている気がする。私はくるりと周り、運動靴をすらせて体が動くに任せた。

 私は体育の時間、誰より早く競技場にいる。中等部二年生から始めたこの習慣を先生は真面目と思っているけれど私にとっては保身だ。どういうことか。私は同性愛者とかいうものに分類されるらしい。そして女の人は男の人と同じ場所で着替えるのがものすごーく嫌、らしい。その逆も然り。理由はいやらしい目で見られていそうだから、らしい。そして実際どうかというのはあまり問題ではない、らしい。となるとこの話の味噌は男女というよりいやらしい目ということだ。そうなるとみんなは私ときがえたくないはずだ。着替えるときに考えることなんてせいぜい次の授業に間に合うかしら、とかそんなことなんだけどね。でも自分が理解できないからって理由で人の考えを尊重しないのは愚かだ。だってそれは誰かにとってはかけがえのない大切なものかも知れないんだもの。それを分からないからなんて理由で踏み躙っていいわけがない。だから一つ策を考えた。トイレで着替えればいい。でもこりゃ派手に失敗した。この学校は男女比が三対一、女子トイレは元から数が少ない上に辺鄙な場所にある。加えて何故だかトイレで着替える生徒が多いんだ。理由はよく分からん。本人たちに聞いてみたけれど逃げられるか、答えてくれた人もみんな言ってることが違うし、なんだか理屈になってない。肝心のようを足せないくらいにトイレが混んでいるからこの案は没になった。代わりに考えたのがこの、真っ先に更衣室に行って着替えて人が来る前に真っ先に出る。という単純な計画。授業終わりも同じ。みんな行動が想定より遅くてこの計画は意外にも大成功、シンプルイズベストってことかな。ここまでやっても人と一緒だった時は何も気にせず着替える。私が私にできることをやっている以上それ以上のことをやってあげる筋合いはない。私はこういう小さな妥協がもし自分が同性愛者だと知れた時、自分の身を多少救ってくれると信じている。

「今日も早いですね。感心感心」

先生が入ってきた。

「こんにちは」

「不思議な舞ですが体を動かすのは良いことです。」

私は苦笑いした。

「準備を手伝っていただけますか。」

「はい。」

 この体育の先生はいつもにこやかで好感が持てる。私もこんなふうに笑っていたいな。授業の準備を手伝っていたら他の生徒も集まってきた。伊東夏樹ちゃんの姿が目に飛び込んでくる。今年、いくつかの授業で一緒になった友達だ。本当は二年前にも会っているのだけど覚えていてもらえなかった。色々あってきっと私の顔を見ていないから無理もない。夏樹ちゃんは人を信じることができる素敵な人だ。私の初恋の人。生まれて初めて鋭敏に感じる感覚は嬉しくはなかったけれど悪いものでもなかった。揺れる黒髪に屈託のない笑顔、黒く澄んだ虹彩。チェロのように少し低くて伸びやかな声は私に取り憑いて離れてくれない。全く困ったもんだ。


【最終手段 伊東夏樹】

 放課後、私、伊東夏樹は友達の肥田明美に誘われミルクホールにいた。明美のお目当て、6月限定新商品ルバーブジャムの水無月フラペチーノを一口飲んで私はゆっくり言った。

「明美、私はルバーブジャムも水無月も好きだ。」

「うん」

「でも二つを一緒にしようとは思わない。」

「おいしくないな」

明美は流行り物に敏感でかつ学習しない。ミルクホールの新作が美味しかった試しなどない。だってあんなジジイが作ってるんだものうまい方が怖い。

「うん。そして」

「わかってる。私の計画は失敗だ。」

 明美は素直に認めた。計画とは三日前に考えた付き纏い撃退計画のことだ。明美の考えた計画は「偽の恋人」を作り、それをアピールすることで木村に諦めてもらうと言うなんともまどろっこしい作戦だ。うまく行くわけがないと思ったけれど他に妙案も浮かばなくて三日間、私たちは知っている限りの恋人のいない男子にそれを依頼し尽く断られた。

 女子が行ける学校の中では日本一とも言えるこの系属学校の高等部に明美と一緒に入学して二年とちょっと。入試から解放され、優秀な頭脳を明後日の方向に存分に発揮させた仲間たち、三年目でも刺激たっぷり順風満帆な学生生活だったよ。ストーカーの木村さえいなければ私は平凡でも幸せだった。

 始まりは授業で同じ班になったこと。たった3回分のグループワークを終えたタイミングで告白された。よく知らない奴にいきなり告白されても気味が悪いだけだ。それでも明美がよく知りもしないのに告白している姿を見ていた私はまあこう言う人間はいるものだなと拒絶はしないで丁寧にお断りした。その時は木村はすんなり引いて、明美は案の定

「結構、カッコいいじゃない。好きって言われて悪い気はしないでしょう?もったいないなあ」

なんて言っていた。それで終わると思っていたのに授業では執拗に班を組みたがるし、SNSに何か投稿すれば「そこに一緒に行こう」だの「一緒に遊ぼう」だのコメントしてくる。この段階で木村のSNSはブロックした。

 二週間経つと時間割を把握されてしまったのか放課後にまで出現するようになった。「またあったね」なんていているけれど三度も連続で会えばそれが偶然でないことはわかる。どんなにのらりくらり交わしても結局最寄り駅まで一緒に歩く羽目になる。自分の話をしないでこちらの詮索ばかりするのだからタチが悪い。昼休憩の時間は食堂に出ると待ち伏せられるのでわざわざお弁当を買って教室で食べるようになった。

 これだけでも十分に嫌なのにエスカレートする一方。この前なんていつも座る席に私が飲みたいと言ってたブリックパックの飲み物が置いてあった。もちろんそのまま捨てた。一体どこで聞きつけたんだか。先生には「一時のことですよ」とか「この程度ですから」とまともに取り合ってもらえないし母親には「まあ、女の子って思ってもらえてるってことじゃない。告白されるなんて羨ましいわ。魅力ある女ってことなんだから喜んで堂々と構えてなさい。お母さん嬉しいわ」なんて心ないことを言われる始末。友達や先輩も「すぐ終わるよ」「一度くらいそう言うことはある」と人ごとだ。

 被害届も考えたけれど学校の中というのは良くも悪くもモラトリアムだ。家にまで押しかけてきたら遠慮なく提出するんだけど。そんなこんなで私は一ヶ月この状況をずるずると引きずっている。

 明美がフラペチーノを苦々しい顔で啜りながら言った。

「ダメだったな。あの腰抜けども」

 誰も木村を嫌がって、もしくは面倒を嫌って引き受けてはくれなかった。私は後者と信じている。

「うん、はじめから分かっていたことだけどね。」

「考えてあげたのに何よ」

「ごめん。そういえば勧誘放送は流してもらえそうなのかな。苦戦していたみたいだけれど。」

「ああ、どうにか流してもらえるみたいよ。全くさ、最初から全て放送委員がやってくれればいいのに。」

「そうだね。」

「特にあの委員長。怖い顔で偉そうに睨め付けちゃってさ」

明美はそこまで言ってガラス窓を見つめている。

「どうしたの?」

「いいこと思いついちゃった。」

「もういいよ」

明美はうんざりした声をあげる私の顔を掴みクイっと隅へ向けさせた。

「何?」

「もうあの人しかいない。」

「え」

「悪魔だよ。」

「冬海ちゃん?」

目線の先では冬海が外を眺めてコーヒーを啜っている。明美はすごい笑顔で私の肩を叩いた。

「あの我妻冬海なら木村も退くこと間違いなし」


【つづく】

次回、【第三話 魔窟(伊東夏樹)】


明美ちゃん絶好調!放送委員会の悪しき伝説の数々、披露です。

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