第一話 幸せ(原田龍之介)ごめんな(荒川慎二)

【幸せ 原田龍之介】

 俺、原田龍之介が応援委員会の朝練習を終え、ふとミルクホールを覗くと荒川慎二が鬼の形相でバニラミルクを啜っては顔を綻ばせていた。

 荒川と俺は同じ町に住む友人。一都三県の方々から生徒の集まるこの学校では中等部からの知り合いだとしても同じ町に住んでいるというのは珍しい。荒川の方が中等部からこの学校に入ってきた。それから高等部二年の今まで俺たちはほぼ毎日一緒に登校している。

 荒川を思わぬところで見つけて嬉しくなった俺は迷う事なくミルクホールに入っていった。荒川のトレードマークはふわふわの巻き毛。今はかけていないけれどブルーライトカット用のボストンメガネをかけている時もある。これが似合うんだ。もちろんなくても良い。性格は生意気を言うくせに意気地がない。この学校では珍しい控えめな性格だ。荒川に言わせると俺たちの方が狂ってるらしい。 

 最後に俺の曇りまくった目ではなく周りの評判も言っておくと荒川は「整っているけれど目つきが残念」らしい。たかが友達の情報をこの熱量で話すからにはバレているだろうからこの際認めて仕舞えば俺の荒川への興味は近所の友達のそれ、だけではない。

「よう」

「よう」

「す、すごい色だな。」

荒川は俺のグラスを凝視して言った。店主のおじさんに勧められるまま買ったフラッペだかフラペチーノだかだ。見た目は恐ろしいが美味しいので文句はない。

 元怖い教頭先生のおじさんが道楽と寄付の精神で運営しているこのミルクホールは優しい接客もあって学校の憩いの場だ。おじさんの教員時代を知っている人たちはこの接客を見て腰を抜かしたとか。

「ああ、これ、おすすめなんだって。ルバーブと水無月」

「おいしいのか?それ」

「すごい美味しい。飲む?」

「まじ、いらない。それより委員会もう上がっていいのか?」

一年生の時、授業ギリギリまで俺が走り回っていたことを荒川は知っている。見上げられて、かわいいな、そんな関係のない言葉が浮かんで消えた。

「二年だから」

「重役出勤にはまだ早えだろ」

「出勤はまだ。でも片付けは一年だから上がりは早いんだ。そっちはなんでそんなに不満顔なんだ?」

「オープンスクールやだなあって。」

俺は目を細めた。確かに荒川の所属する放送委員会は激務だが、大変大変と言いつつ荒川は楽しんでいるように見える。放送委員会というのは我が学校の視聴覚技術を担う集団と言ったところだ。中等部、高等部全ての行事や試験におけるアナウンスはもちろん、今では学外向きの紹介動画や学内向きの記録動画も作成している。つまり一年を通じてとても忙しい。記録動画の作成基準は全国大会相当以上かそれに並ぶ快挙を遂げた部活動。そうは言っても我が校は文武両道を掲げる超名門校、ほとんどの競技は勝ち抜く、とても全てはやっていられない。本当の基準はPTAとOBにウケが良いだろうと先生たちが判断した競技だ。例えば硬式野球は優勝なんて数えるほどだが毎年動画が上がっている、代わって二十三連覇を誇る珠算部は一度だけ。かわいそうと思う反面、確かにそろばんを叩いているだけの動画じゃ寄付する気は起きないなと思う。荒川が観念して口を開いた。

「そしてレポートの再提出を食らった。」

「そっちだな。本命は」

「かもな」

「また余計なこと書いたんだろ。話をまとめるだけでいいのに」

「それじゃルポだ。」

「あんなのに反抗するのは無駄だ。さっさと諦めろ。」

「はいはい。優等生」

最後の一言を嫌味ったらしく荒川は言った。俺の成績は上位だけど荒川が言いたいのはそう言う意味じゃない。気に入られる能力、そういうこと。応援委員会というのもあって先生たちからまあ比較的可愛がってもらえる俺と違って嫌われやすいというのか、敵を作りやすいというのか、可愛がられる才能が悲しいほど荒川にはない。全く無い。俺はそんな不器用なところも好きだけど。俺から好かれたって仕方ない。

「お前下手すぎんだよ」

そういうと荒川は不満そうに俺を睨んだ。睨むというのはじっと見つめられるというわけで、あまりにも簡単に俺の心はざわついた。俺って単純。血がだくだくと巡っているのがわかる。とはいえ口から出るのはなんて事のない言葉だ。

「ところであのラノベの新刊、読んだ?」

「ああ」

 朝靄の中そんな話が続く。こんななんでもない話を永遠にしていたい。にんまり笑う横顔をずっと見ていたい。食べたい時にとびきり美味しい食べたいものを食べられた時のようなこの感覚。これが幸福。俺は今、最高に幸せだ。そして荒川にとってもきっと悪いものではないと信じていたい。信じるだけ。



【ごめんな 荒川慎二】

 この俺、荒川慎二は不機嫌だ。不愉快至極。でもそれは梅雨の長雨のせいじゃない。レポートの再提出のためだけに早朝に学校に来るのも腹は立つがいつもの事だ。理由は別にある。提出を終えた俺はバニラミルク目当てにミルクホールに行った。あれを飲むと少し気が晴れる。皆は牛乳なんてよく飲めると言うけれどミルクホールでミルクを頼まない方が失礼じゃないか?。

「バ

「バニラミルクな。はいはい」

おじさんが笑顔で応えた。俺は顔と注文を覚えられているらしい。

「ありがとうございます」

きっと聞こえてない。自分でもびっくりするくらい小声だったから。でも言い直す気になれず俺はお気に入りのカウンターに向かった。

 二つ後ろの円卓では朝練習終わりの後輩が恋バナをしていた。そこまで仲良くない人間とそこそこ仲良くなるためのツールとしてこの手の話題は便利だ。まだ六月、一年生は打ち解けていないんだろう。そして俺が不機嫌なのもまさにこれが原因だ。恋。彼女ができないこと?振られたこと?違う。俺に彼女はいないし振られたのもずいぶん前のことだ。友達に言わせれば俺は今一番楽しい時、片想いだ。その人がいないかとふと探してしまうし、顔を見れば嬉しいし、気を抜くとその人の顔が浮かぶ。何かことが起こればその人ならどう思うかなとか、きっとこう思うんだろうな、なんて思う。問題はそれが男ってことだ。

 これが女の子だったら確かに楽しいかもしれない。小学六年生の時だけれど彼女がいたことがある。新幹線の中で告白されて承諾した。たったの一年間だけど彼女がいたときは楽しかったし、ウキウキドキドキした。別れよう。そう言われた時は悲しかった。あれが正しい恋だ。これは、正しくない。

 我ながら気持ち悪い。この嫌悪はなんというか理屈より生理的なものだ。吐き気を鎮めるためにバニラミルクを飲む。きんと冷えた甘い刺激だけが優しい。なんでだ、どうしてこんなことになっちまったんだ。こんなに嫌で嫌でたまらないのに俺は問題の原田龍之介と友達でいることをやめられない。離れてしまえばきっと楽なのに。適当な悪口でもなんでも言ってさっさと友達でいることをやめちまえばいい。それがわかっていながら勇気がでない。謂れのないことを言われる原田が可哀想だから?原田に嫌われたくないから?町で会うたびに気まずくなるから?どれも違う。俺は原田と一緒にいたいんだ。俺が、原田と一緒にいたいんだ。あいつと一緒にいると楽しい。俺たちなら何があっても平気だと思うし、なんだか安心してしまう。何より胸のドキドキも味わっている時は心地良いんだ。後からものすごい罪悪感に襲われるとわかっていながら、俺はそれを楽しみにしている。とてつもない大馬鹿者だ。

 雷で窓が反射して自分の姿が見えた。顔色が悪い、天然パーマでふわふわしている髪だけがいつも通り陽気にくるくるしている。後ろでは相変わらず後輩たちが話に花を咲かせている。いいなあ。いいなあ。俺もああだったはずなんだけどなあ。気付かなきゃよかったのに。俺は一番、俺が嫌いだ。自分の愚かさへの怒りが収まると次は悲しくなってくる。本当はわかってる。足掻いても泣いても叫んでも何も変わらない。賽銭多めに投げてどうにかしてくれって祈ってみたこともある。でも無駄だった。後から考えれば神様たちからすれば別にいいんじゃねってことなんだろう。俺がなんで悩んでいるのか意味不明に違いない。だってあんな自由人だもん。頼む相手を間違えた。

 勘違いして欲しく無いのは俺は男を好きになったんじゃなくて好きになった原田が男だったということ。まあ、俺以外の人間にはどっちも同じことだろうさ。でも俺はあいつらとは違う。俺はイカれてるけれども、それでもあいつらとは違うんだ。女性の性欲を満たすためのフィクションだと思ってた?大正のあたりで絶滅したと思ってた?そりゃ残念。俺もそう思ってたよ。俺が一番そう思っていたよ。本当に残念だ。

 こういう時は、一人でいちゃいけない。危ない。悪い方にハマっていく、教室に行こう。もうこの時間なら話せる誰かしらがいるだろう。話題なんて行ってから考えればいい。そうだゲームの話でもしよう。バニラミルクを飲み干そうとした時、声がした。

「よう」

ああ、そうだよな。こういう時に来るんだよ。お前って奴はさ。そして俺はこの短い挨拶を無視できないし、「ごめん、ちょっと用があるんだ」と逃げることも、まして罵詈雑言を浴びせることもできない。ああほら、また喜んでいる俺がいる。

「よう」

感情はこんなにとっ散らかっているのに口は話すべき言葉を知っている。

「すごい色だな。」

本当、なんなんだあの飲み物。

「ああ、これ、おすすめなんだって。ルバーブと水無月」

衝撃で感情が一時停止する。ルバーブってジャムにするやつだよな。水無月って俺の知ってるあのお菓子であってるか?この前食べたけれども、おいしいけれども、飲み物にはしないだろう。

「おいしいのか?それ」

「すごい美味しい。」

嘘だろ。でも、なんか良い笑顔だな。こっちまで笑っちゃうよ。

「飲む?」

「まじ、いらない。」

ありがとう原田。このほんの少しの会話で俺はもう怒ってないし悲しくもない。でも、ごめん。ごめんな原田。申し訳ない。


【つづく】

次回 【第二話 保身(我妻冬海)最終手段(伊東夏樹)】


ようやく主人公全員登場!悪魔、我妻の素顔にも注目してください。

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