第17話 帰郷 その1 ディアナ

月はすっかり天頂に昇っていた。

ルミィは馬を駆り、その中を進み行く。


月明かりに照らされた夜道は進むべき道筋をはっきりと示していた。

ただ、ルミィの心の中は焦燥感で一杯であったが。


たった一日で何人の人が死ねば済むというのか。

これほどまでに悲惨な一日があっただろうか。


胸にかき抱いたディアナはぐったりとしていた。

時に意識を取り戻したり、また失ったりしていたが、呼吸だけはしっかりしているのが幸いだった。


ディアナにオーガスタから剣を奪う計画を託したのは無理があった。

いかにディアナがなかなかの腕前の持ち主だからと言って、泥棒の腕が良いわけではない。

それにディアナに気づいたなら、オーガスタの攻撃をディアナが逃げきれるはずもない・・・・・・それほどオーガスタの腕前は卓越しているのに・・・・・・・


ルミィは罪の意識と後悔に責め苛まれながら馬を急かす。

目的地は自警団の宿舎。

そこに医師のゴッドフリーがいるはずだった。


長い一日を絶望のまま終えたくない。


暗闇と月明かりが一層ルミィの焦りを追い立てる。


宿舎に着くやいなや、ディアナを腕に抱いたままルミィは馬を飛び降り、宿舎の戸を乱暴に叩いた。


「ルミィ・ツェルクだ!

ゴッドフリー、起きてくれ!」


ルミィの悲痛な叫びに若い団員が飛び出して来る。

続いてゴッドフリーも何事かと出てきた。

ゴッドフリーはまだ負傷者の看病で寝る暇などなかったのだ。


「どうしたね。

誰か急病か。それとも、山賊共がお礼参りに来たか」


ゴッドフリーの言葉にからは、苦難の任務だったはずの山賊共との対決も遙か昔のことのようにルミィは感じた。

自警団の仲間と別れてから、どれほどのことがあっただろう。

だが、そんな感慨に悠長に浸る余裕はない。


「ディアナが怪我だ。剣でやられている」


ルミィの叫びにディアナは目を開けた。


「気づいたか」


「そりゃそうよ。あんなに馬で乱暴に揺られて、その上、耳元で大声をがなり立てられれば、死人も目を覚ますわ」


ルミィは「死人」というディアナの言葉に蒼ざめる。

ディアナの今の状態を死と切り離して考えるのは困難だからだ。


「何があったのだ」とディアナを見て、ゴッドフリーも蒼ざめていた。


治療室の中に運び入れながらルミィは手短に説明する。


「怪物が・・・・・」とゴッドフリーは言葉を失う。

「村の中まで襲いに来たことはなかったのに」と驚愕の表情で顔を歪ませた。


「それで、ディアナは君の敵である悪党にやられたのか。君ほどの者が付いていながら、なぜ・・・・」と問いを投げかけようとしたが、ルミィの悲痛な顔を目にして口を閉ざす。


「いや、話は後だ。彼女を助けなくてはな。

医師の務めを今は果たそう」


ルミィは部屋の外に出て、治療が終わるのを待つことにする。

彼にはそれしかすることがないのだ。


治療室の戸が閉ざされると居ても立ってもいられなくなり、ルミィは宿舎から外に出た。


蒼白い月明かりに照らされたまま屋外は静まりかえっている。


ディアナの兄も父も、既にこの世の者ではないことが恐ろしかった。

彼女を愛する者達が、彼女を呼び寄せようとしているのかも知れないという考えが頭を掠める。

その思いつきを振り払うようにルミィは首を振る。

あれほどディアナの無事を願った父親や、身を挺してディアナを救った兄が、彼女を連れ去ろうとするであろうか。


彼は腰に差した宝剣を見下ろす。

通常の剣よりも一尺近く長い剣は、ややバランスが悪く見えるのだが、実際に手に取ってみると、そんなことは少しもない。


鞘を払うと、月明かりに輝く剣は恐ろしいまでの殺気をはらんで見える。


宝剣が完全に宝飾品として作られたものであったなら、あの時にルミィは死んでいたであろう。


だが、宝剣は実践的な切れ味を備えた武器でもあった。


アスカ王国初代王が実際に建国の戦で振るった剣なのだ。


その剣がルミィを救ったが、それと引き替えに大切なものを連れ去ろうとしているのだろうか・・・・・・・・


ルミィはその恐ろしい考えに戦慄する。


剣の善し悪しは、その切れ味と強靱さにある。

やはり武器の価値は剣として利用した時に分かる。


所詮、武器に過ぎない。

こんなもののために命をかけ、遥か祖国から遠くまで悪党共を追い、おのおのが命のやり取りをする・・・・・・・・


果たして、そこまでの価値を秘めているのだろうか。


確かに、最後の最後でルミィはこの剣に命を救われた。


運命の巡り合わせか、単なる偶然なのか。


宝剣と言いつつ、装飾品として作られたのではなく、実用品として鍛え上げられた恐るべき切れ味――その意味を想像すると我知らずルミィの身体の奥底から震えが来るのだ。


武器は使われるのを待っているが、使うのは常に人間なのだ。


ルミィは剣を再び鞘に納め、無造作に腰帯に差し挟んだ。


この宝剣を追う辛い旅を続けた末に、ついにこうして取り返した。

なのに最早それほどの価値を感じる事が出来ないのだ。


なぜなのだろうか・・・・・・・


そんな行く当てのない瞑想を打ち破るように、音を立てて戸が開いた。

そこから灯火の明かりが外に漏れ出て、ルミィを照らす。


ルミィが振り返るとゴッドフリーが立っていた。


「心配でジッとしていられなくなったか」と医者は額を拭いながらルミィの近くに歩み寄って来る。


柔らかな風が二人の間を吹き抜け、月の前を雲が通り過ぎていくのが見える。


「ルミィ、彼女は大丈夫だ。

背中の傷は浅い刀傷だった。

ディアナが言うには、その男は相棒を救うために自らの長剣を投げ渡した後だったそうだな。男は彼女が剣を盗み取ったのに対し、懐から抜いた剣で斬り付けてきたそうだ。

短剣だったのだ。

彼女は短剣に対してさえ自分の剣で反応出来なかったことを恥じておった」


「では・・・・・・」とルミィはゴッドフリーの顔を睨みつけるように見つめる。


「命に別状はない。綺麗な切り口だったし、診た時には既に出血はあらかた止まっていた。しかし、傷が開いては面倒だから縫っておいた。

まぁ、傷跡は残りそうだが、ディアナは気にしないそうだ」


ルミィは信じられないというように目を固くつぶった。

聞いた話が目を開けた時に幻に変わっていないようにと祈る・・・・・・・


「そうか、オーガスタにまともに斬り付けられたからには助けようもない深手かと思ったが・・・・・・短剣ではあいつも見当が狂ったか。それともディアナが咄嗟にかわしたのか・・・・・・・・

良かった・・・・・・・・

ディアナと話は出来ますか」


「いやルミィ、彼女にとっては衝撃的な一日だったのだろう。

父と兄を失っておる。

最後には自分まで真剣で斬り付けられた・・・・・・・すんでのところで自分までが父や兄の後を追うところだったのだ。

そのせいか治療が終わるとすぐに寝入ってしまった。

大丈夫。ぐっすり眠れば、いつもの元気を取り戻すだろう。

いや、すぐには無理かも知れんが、慌てずに待ってやりたまえ」


それからチラリと彼の腰に佩用されている剣に目をやる。


「それとも、任務を果たすためにすぐにも村を立ち去るか」


「まさか!ゴッドフリー、私は急ぎませんよ。

もう、急ぐ旅ではありません。国王や国家が、それほどまでに剣の一本を待ちわびているとも思えません。

幾らでも待ちますよ。盗賊は去り、怪物も止めを刺された。

確かに山賊の残党がいるでしょうから、そちらは余談を許さないかも知れませんね。

いや、当分は村に残って、村の力になるつもりです。

・・・・・・・時に、今夜は宿舎に寝る場所はありますか」


「ああ、わしの隣で良ければな」とゴッドフリーは無愛想に答える。


取り敢えず、長い一日はこうしてようやく終わったのだ。

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