第16話 対決 その3 ルミィ・ツェルク

ディアナはオーガスタの腰に吊されている鞘から素早く剣を引き抜く。


その気配に驚いたオーガスタは慌てて腰に手を伸ばす。

だが、彼が鞘を掴んだのは既にディアナが剣を抜き取った後だった。


「ルミィ!」


ディアナは力の限りで叫びながら、オーガスタから奪い取った勢いのまま、聖アスカ王国の宝剣を投げ渡す。


その宝剣を投げ終えたまさにその瞬間、ディアナの腕はオーガスタに捉えられたが、咄嗟に彼女はそれを振りほどき、オーガスタから距離を取ろうとした。


稲妻のような閃光が走る。

ディアナが身を捻った時には、その背中から火のような熱いものが吹き出した。


「下郎め!」とオーガスタが短剣を閃かせ、逃げようとする彼女の背中に斬り降ろしたのだ。


ディアナは痛みよりもそのあまりの衝撃に意識を失い、崩れるようにその場に倒れ込む。


「ルミィ!」の声と供に蝋燭の明かりで煌めく宝剣が宙に放たれたのを、ルミィは目にする。

彼は助走をする暇もないまま、暗闇で剣に向かって跳躍した。


その伸ばした手の指先が、剣の柄に触れようとした丁度その時、視界の片隅に怪物が飛びかかってくる姿を捉える。


ルミィは構わず更に腕を伸ばし、身体を反らせるようにして、剣の柄に手を伸ばす。

武器がなくては――丸腰のままでは――話にならない、と間に合うか間に合わないかギリギリなのは覚悟の上だ。

だが、それと同時にアーキンが背後で動き出しているのが感じ取れた。


これは危険な動きだった。

怪物だけで手一杯だが、生き残るためには考慮しておかなければならない追加要素だ。


ルミィの手が剣の柄を掴んだ次の瞬間、怪物の顎が間近に迫ってきているのが見えた。

空中で姿勢を変えて避けるのは無理であった。

ルミィは剣を掴んだ反対の左手を伸ばし、怪物の鼻先にその手のひらを乗せる。

まさにそのタイミングで怪物は口を開き、その牙を剥いた。

その上顎の動く力を利用し、左腕に伝わる力をバネにしてルミィは全身をぐるりと回転させようとする。

だが百八十度までは回転しきれなずに、ルミィは怪物の左頬にしがみつく格好になった。

それと同時に背後からアーキンが先ほどオーガスタから受け取った剣を手にして飛びかかってくるのが見える。


慌てて避けても、次はこんなに上手く怪物に近寄る公算は低い。

瞬時にそう判断したルミィはアーキンに構わず、宝剣を逆手に持ち替えて怪物の左目から、その脳髄に向けて突き刺していく。

怪物が初めてビクンと背を逸らすと、ぴたりと動きが止まった。

そのまま剣を突き通して止めを刺したいところだったが、時間切れだ。


剣を残したまま、素早くルミィは怪物から飛び降りる。


間一髪、すれ違うようにしてルミィの居た場所にアーキンが飛び掛かってきた。

怪物に止めを刺そうとしているその一瞬こそ、強敵ルミィにとどめの一撃を加える絶好の機会のはずだった。

「ちっ、かわされたか」とアーキンが怪物の左上顎から飛び降りようとした刹那、痙攣し始めた怪物が何かに弾かれたように急に首を左に振ると、飛び降りようと宙に浮いたアーキンをバクリと噛みつく。


怪物はアーキンを咥えると、激しく痙攣しながらも首を左右に振り回し、アーキンの身体に一層深く牙を刺し貫いていく。

怪物が知るはずもないが、その顎に加えられているのは怪物のとっての真の仇であり、そのアーキンは断末魔の苦痛の中にいた。


アーキンの脳裏には「俺がいなければ、オーガスタがやられる」という思念が浮かんだのかも知れないが、それも僅かの時間である。

そのままアーキンの全ての感覚が消えていく。


生き残ったルミィは痙攣する怪物に近寄った。

怪物の顎にはつい先ほどまで激しく争ったアーキンがその巨大な鋭い牙で串刺しにされ、息絶えていた。

ルミィは怪物の見える目とは反対側から近寄ったので、痙攣する怪物の表情は分からない。

いや、例え右側から覗き込んでも怪物の表情では分かるはずもないか。

怪物の左目にはルミィが先ほど突き立てた剣が、まだ一尺程の刃を余していた。

ルミィはその残った刃を一気に根元まで刺し入れる!


それと同時に怪物はビクンと勢いよく背中を反らすと、その全身をもう一度大きく震わせた。

そこから一気に力が抜けたのか、勢いよく崩れ落ちるように轟音と供に倒れ込む。

広間に居た者達は固唾を呑んで見守ったが、怪物はそれっきり動かなくなった。

だが、強大な顎の鋭い牙には真の仇がしっかりと咥え込まれていた。

怪物は倒されたが、アーキンもまた逝ったのだ。


両者の死を確認するとルミィは宝剣を引き抜いた。

剣からは血が滴り落ちたが、遂にルミィは自分の手の内に追い求めていた宝剣を掴み取ったのである。


刀身は血まみれであったが、ルミィが一振りしてみせると、剣は何事もなかったかのように炎の明かりに燦然と輝く。

手荒に扱ったというのに、これといった損傷や傷は認めなかった。

ルミィはホッと一息つく。


そこで急に気が付いたかのようにルミィは振り返る。


安堵の表情で立ち尽くす者あり、座り込む者あり、生き残った者達の振る舞いはそれぞれ多様であったが、その中にオーガスタの姿は見えない。


ただ、人混みの足元に剣の鞘が落ちているのが目に入る。

そこからそれほど離れていない場所に倒れるディアナの姿も。


ルミィは慌てて人混みをかき分け、ディアナのそばに膝を付く。

そっと抱き起こすとディアナの真っ青な顔と向き合った。


「ディアナ!」


「ルミィ、勝ったの」


「ああ、ディアナのおかげだ。

オーガスタにやられたのか」


「ああ、ルミィ・・・・・・私、役に立てたの」


「そうだ・・・・・いや、役に立ったどころではない。全てディアナのおかげだ。

あの時、ディアナが『付いて行く』と強引に押し切ったのは正しかった。

ディアナがいなければ、私は今夜ここで死んでいただろう」


「嬉しい。

あなたのような英雄の役に立てたなんて・・・・・・

・・・・・・・もう、思い残すことはない・・・・・・」


「そんな弱音は吐くな」


そう言うとルミィは敢然と立ち上がった。

近くにあった鞘を拾い上げ、剣を収めると無造作に腰のベルトに挟み込む。

それからディアナを抱きかかえると振り返った。

そこには代官が居た。


「代官、馬はあるか」


代官はすっかり恐縮した様子で答えた。


「ありますとも。

おい、誰かツェルク殿に馬を用意しろ」


代官の声は虚しく広間に響いて消えていく。

ルミィは近くにいた屋敷の使用人に厩の位置を尋ねる。


その答えを聞き終わるか終わらぬうちに、ルミィはディアナを抱き抱えるようにしたまま、障害物で塞がれていた玄関を開けて出て行った。


広間には生き残った者達が、遂に倒された怪物の姿に改めて恐怖し、更に目の前で繰り広げられた戦いや惨劇を思い起こす。


だが、そんな感慨に耽る暇はなかった。

調理場から広がりだした火が広間に入り込もうとしていた。


「火を消せ。火を広げるな」


「誰か手伝え」「水を持ってこい」「壁を壊せ」「柱を倒せ」


怒号が飛び交い、人々が交錯する。

生き残った者は鎮火や消火に追われていく。


代官は皆の働きを見ながらふと思う。

一晩でどれほどのことが起こったのだろうか。


大食堂での怪物の襲撃に始まり、広間でその侵入を何度か防ぎ、遂に侵入を許し・・・・・・それが今は、屋敷の火事・・・・・・・・


それでも、どれほどの被害が村にあったのかは、まだ誰も知らない。

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