第16話 対決 その2 ディアナ
ルミィはアーキンとの対決だけに集中する。
鋭い踏み込みからの激しい突き、それを受けるアーキンに対して、更に連続して斬り込んでいく。
それまでとペースが変わったことにアーキンが少し焦ったのか、逆襲に出ようと強引に打ち込んで来たところを華麗にかわす。
ルミィに読まれていたのだ。
初めて平衡を崩してアーキンの上体が流れる。
そこで伸びきったアーキンの肘に、ルミィが鋭く一閃を走らせた。
アーキンの剣が彼の手を離れ、床を滑って行く。
だが、それと同時に二人に――いや、正確には二人だけではなく部屋中にであるが――獰猛な咆哮が覆い被さってきた。
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オーガスタもまた、二人の対決の最中、ペドロが広間から階段の裏手に向かって行くのを目に止めていた。
先ほど、ペドロが説明した調理場の戸口である。
ペドロが何をする気なのか、と気にかかったオーガスタは注意をそちらに向けた。
調理場の戸の隙間からは明かりが漏れ出ている。
先程その件で話した時よりもやけに明るい、と異変を疑った瞬間にアーキンの剣が跳ね飛ばされ、床を転がる音が聞こえた。
オーガスタの注意が対決する二人に戻る。
それと同時に調理場での激しい鎧戸や壁の崩れる音が響き、ペドロの目の前の戸口がすっ飛んだ。
真っ黒な影が明かりに照らされて浮かび上がる。
誰もが恐怖を体現を目の当たりにする。
まさに恐怖以外の何ものでもない。
伝説の怪物だ。
もう既に伝説ではなく、猛獣の類いに格下げされたはずだったが。
間近で目にすれば話は別である。
逆光の中、漆黒の影の中から憎悪に燃える二つの輝きが広間の中の人間を睨みつける。
怪物はその巨体をくねらせながら、戸のあった場所をくぐり抜ける。
調理室の中では種火が転がり、周りの引火物に燃え移っていく。
その明かりを背景に怪物は再び咆哮を上げる。
ペドロが避けようと身を動かした時には、怪物の前脚の爪に彼は体ごと引っかけられ、そのまま踏み潰されていた。
広間は新たな恐怖に覆われ、人々の悲鳴が上がる。
漆黒の怪物は飛び上がると広間に掲げられていた毛皮に飛びついた。
その重さに毛皮を吊り下げていた綱は引きちぎられ、怪物は毛皮を掴むようにして広間の中央に落っこちる。
空中で姿勢を取り直し、怪物はその四肢で広間中央に着地した。
怪物の目の中では怒りの炎が一層燃え上がり、そこから発される地の底から響くような低いうなり声に誰もが震え上がった。
だが、オーガスタにはそんな恐怖に呑み込まれている暇はない。
「アーキン」と彼は一声叫ぶと、手に持っていた剣を鞘ごと投げ渡した。
怪物の登場でもルミィとアーキンの勝負が中止になった訳ではない。
ただ、怪物の動きを睨みながら、一旦両者は距離を取って離れていた。
ルミィにすれば千載一遇の好機であったが、怪物に水を差された格好だった。
そこにオーガスタからアーキンへ、新たな剣が投げ渡されてしまった。
「絶好の機会だったのに」とまではルミィは悔やまない。
アーキンに傷を負わせたが、その傷が浅いものであることはルミィにはよく分かっていた。
むしろオーガスタが自分の剣をアーキンに渡したことで、アーキンの介入の可能性が減ったのだ。
そう考えればルミィには好ましい展開だ。
それ以上に怪物の侵入が、勝負の行方を混沌とさせている。
ルミィはアーキンの動きに目配りしつつ、広間を見渡す。
調理室からの火は広がりつつある。
炎は戸口から広間に燃え移ろうとしている。
大きくなりつつ火のせいで、広間は煌々と照らし出されようとしていた。
怯えた人々が広間の反対側に動いていき、対峙したままのルミィとアーキンが取り残される。
怪物はルミィとアーキンの二人の姿を交互に睨みながら、警戒してじりじりと近づいて行く。
何の前触れもなく、黒い影が走った!
ルミィの身体は俊敏に反応し、その顎が襲って来るのを避けざまに首元に剣を一閃させる。
だが、剣先は虚しく毛の間を引っ掻きながら、岩にでも引っかかったような手応えを残しただけで、怪物が首を捻るといともたやすくルミィが体ごと跳ね飛ばされる。
ルミィは素早く立ち上がって、怪物の次の攻撃に備えた。
今の手応えからすると、奴の脂ぎった毛足の長い毛皮には、簡単には剣が通らない。
それにこの日に何度も酷使されてきたルミィの剣では切れ味も落ち、その分厚い皮を刺し貫くのも至難の技であろう。
そういったことが、この先の見通しをいっそう難しくしていた。
怪物の攻撃は避けなくてはならないが、こちらの攻撃が通じない相手では勝ち目なんかない。
「勝負を避けるべき相手」とルミィは内心で呟く。
それは怪物だけでなく、怪物の背後に回ってルミィを窺うアーキンにしても同じ事だった。
ところが怪物の方は怪物の方で、攻撃を仕掛けてきたルミィを先ず餌食にすべき対象と捉えたようだった。
怪物からしたら、人間如きは恐るるに足らず、直ぐに殺戮できる相手でしかない。
少しの躊躇する時間も無く怪物は直ぐに飛びかかってきた。
怪物の動きに反応して、先ほどと同じようにその牙を避けようとしたルミィだが、身をかわしたところに前脚の爪が襲いかかる。
中途半端に振るったルミィの剣はその爪によって弾かれ、ルミィ自身も弾き飛ばされてしまった。
いや、そんなことよりも深刻な問題は、ルミィの手の中に剣はなく、遥か遠くに転がっていく音が響いてきたことの方だろうか。
それでもルミィは俊敏に身を起こすと、次の怪物の攻撃をかわして跳び退った。
怪物の爛々と輝く瞳に睨み付けられ、ルミィは進退窮まったかと覚悟を決めようとする。
まさにその瞬間、ルミィは怪物に有効な攻撃方法に気づいた。
それなのに自分の手元に剣がないとは・・・・・・・
最早、絶体絶命だ。
次に怪物が飛びかかってきた時に、全ては終わる。
その時「ルミィ」という聞き慣れた声と供に、宙を飛んでくる剣が明かりに煌めく。鞘から抜かれた抜き身の長剣である。
考えている暇はない。
ルミィは咄嗟に跳躍し、その剣の柄を正確に掴み取った。
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ほんの少し前、ディアナはオーガスタのかなり近くまで近づくことは出来たが、ピリピリとした緊張感を肌で感じるディアナはそこから動くことが出来ずに居た。
もしも不審な動きを見咎められようものなら、機会は永遠に失われるだろう。
そばに居るだけで気圧されるような威圧感で、とても腰に吊された剣に手を伸ばせそうにないのだ。
だがルミィの鋭い攻撃に、オーガスタの注意が明らかに二人の勝負に吸い寄せられるのが分かった。
だからと言って、腰の剣の柄に手を伸ばすとなると話は別だ。
確かにルミィの鋭い攻撃はオーガスタの不安を一層掻き立てているようではある。
それでも剣の柄に手を掛け、しかも鞘から抜き放つとなると、別次元の段階の危険になる。
「とても無理」とディアナが躊躇する中、突然に広間を揺るがす咆哮が響く。
怪物の侵入だ!
改めて目にする怪物の姿は恐怖そのものでしかない。
もう計画どころではない。
諦める?とディアナは自問自答する。
怪物が襲ってきたのでは、広間に居る誰の命も助からないかも知れない。
だが、ディアナがためらう中、彼女は信じられない光景を見た。
剣を取り落としたアーキンに向かって、オーガスタは自らが手に持っていた長剣を投げ与えたのだ。
オーガスタは怪物が乱入してきたというのに、相棒とルミィの勝負の行く末を見守っている。
広間の中で怪物の恐怖にとらわれていない唯一と言って良い人間だった。
ならば自分はどうなのか、とディアナは改めて自分に問う。
自分の勤めを果たさなくてはならないのではないか、と。
アーキンの仲間は義務を果たしている。
ルミィの相棒は・・・・・・?
しかも、彼自身は自らの武器を相棒に与えてしまい、その身に武器は帯びていないはずではないのか!
そんな逡巡している間にも、怪物はルミィに襲いかかり、ルミィの剣を弾き飛ばしてしまった。
もうルミィには武器がない。
「ディアナ、自らの務めを果たし、ルミィとの約束を果たせ!」心の声がする。
それとも父の声か?
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