第15話 夜の怪物と代官屋敷 その3 怪物の狙い
「これから戻って、奴をおびき寄せる罠を仕掛けなけりゃならん。
二人だけで戻ったら代官は怒り狂うだろうが、こちらの方が安全なことを納得させる。残りの全員にも説明して手伝ってもらわねばな」
アーキンはいつもオーガスタの思いつきに感心させられる。
そのせいで、傍からはアーキンがオーガスタの言うことを何でも聞いているように見えるのだが、それは違うのである。
オーガスタの考えが優れているからこそ従うのだ。
そうした経緯で渡り廊下を帰る二人は、二人きりで戻ろうとしていた。
行きも帰りもその動きを注意深く見守る二つの瞳に彼らは気づいていない。
もちろん、その二つの瞳の所有者も、二人こそが本当の復讐の相手であることまでを知りはしない。
怪物は音もなく二階から地上に降り立つ。
そこからガラス越しに間近を進んでいく二人の人間を観察する。
一方、怪物が屋根から下に降りるのを見たルミィはディアナに囁く。
「すぐに行くぞ」
物陰からルミィとディアナは揃って躍り出すと一目散に窓の破られた部屋へ向かう。
オーガスタとアーキンは廊下を歩くうちに、急に外で影が動いたのを感じ取り、その足を止めた。
何の物音もしなかいが、異様な気配にガラス窓の外を見る。
黒い影・・・・・・・その影の中に突如として黄色く光る目が出現する。
「奴だ」とオーガスタは呟きながらアーキンに目で合図をし、二人は駆け出した。
二人が走り出すのを見て、怪物はその前脚を上げて窓ガラスを叩いてきた。
だが、この廊下は頑丈な鉄格子で支えられ、そこに作った枠に分厚いガラス板を嵌め込んである堅牢な造りである。
代官がいつ暴徒に襲われるかを恐れていたお陰である。
ガラス板にはひびが入るが、怪物の前脚の打撃だけでは鉄格子が打ち破られることはなかった。
その上、二人が走り出したのに釣られて、怪物も同じ場所を叩き続けるのではなく、二人の動きに合わせて打撃点を移動させてしまい、障害に決定的ダメージを与え切れない事になっていた。
亀裂が横に広がっていくが、破られはしない。
業を煮やした怪物は体当たりを食らわすつもりで勢いをつけようと屋根の上にもう一度昇り戻った。
それは丁度ディアナを先に窓の破られた穴から部屋に入れたところだった。
屋根の上に舞い戻った怪物と、ディアナに続いて身体を部屋に入れようとしていたルミィの目が合う。
渡り廊下を打ち破って屋内に入ろうといきり立って、屋根の上に戻ってきた怪物である。
目的は屋根の高さから全力で飛び降りて廊下を打ち破るためだったが、その戻ってきたところで、またしても人間だ。
先刻までの身動きせずに待ち続けていたくらいに集中していた時なら無視したであろうが、興奮は目先の敵への攻撃衝動と成り、怪物はルミィに襲いかかってくる。
ルミィは慌てて部屋に飛び込む。
部屋の中央に立つディアナを飛び込んだ勢いのまま突き飛ばし、そのまま傾れ込むようにして彼女と共に奥の化粧室に飛び込む。
「ルミィ、一体なにを・・・・・」とディアナが口を開きかけるのと窓に怪物が体当たりするのが同時だった。
次の瞬間、窓から怪物の巨大な前脚が侵入してくる。
その鋭い爪を備えた前脚は勢いよく室内の壁を叩き、次いで宙を虚しく引っ掻くと、一瞬動きを止め、外へ引き返して行った。
「手荒に突き飛ばしたが、大丈夫か」
「驚いたけど・・・・・・ルミィの方こそ大丈夫なの」
「私は問題ない。引き返してくるとは思っていなかったからな・・・・・・驚かしてくれる。
肝を冷やしたが、やっと中には入れた」
そう言いながら、ルミィは立ち上がってディアナを助け起こす。
そこは、玄関広間の吹き抜けを取り囲む二階の廊下である。
広間では僅かばかりのロウソクの明かりがチラチラとせわしなく動き回っている。
今し方、ルミィ達を慌てさせた怪物の動きで大騒ぎになっているのだ。
目を凝らすと薄明かりの中で人々が大きな扉の前に集まっており、「早く扉を閉じろ」「荷物を扉の前に置け」などと怒号が飛び交う。
ルミィは広間に降りていく階段に向かったが、目の前に先ほどルミィ達を叩き潰そうとした前脚の持ち主――まさにその怪物の毛皮が吊り下げられていてギョッとした。
薄暗がりでよくは見えなかったが、先ほどまでの怪物より一回り小さく感じられた。
ルミィにはそれを眺めて感慨に耽る暇はない。
暗がりの中を静かに階段を降り、ディアナと共に物陰に身を潜める。
「オーガスタとアーキンはどこだ」とルミィはロウソクの明かり越しに広間を凝視する。
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前脚を部屋の中に突っ込んで獲物を捕らえようと引っかき回したが、それは徒労に終わった。
獲物を逃したと知ると、怪物は元来の目的を思い出したのか、屋根から身を翻す。
廊下から広間へ抜ける扉が開き、明かりが漏れ見えてきていたのだ。
怪物は闇夜に身を躍らせた勢いもろとも廊下に突っ込む。
ガラスが砕け、窓枠や建材が崩れる音が響き、衝撃と共に廊下の一部に大穴が開く。
すかさず怪物は廊下に身を滑り込ませる。
オーガスタとアーキンの二人は扉の中に身を滑り込ませ、扉を閉じるのに人々が手を貸している最中だった。
怪物が走り寄る前に扉は閉ざされ、怪物が前脚を叩きつけたが、中からは衛士達がそれに対抗して扉を必死の形相で押さえていた。
他の男達は慌てて重しになりそうな物を何でも積み上げていき、手が空くと扉を押さえるのを手伝う。
しばらく扉を挟んでの人と怪物の押し合いが続いたが、そのうちに怪物が諦めたのか収まった。
大扉の堅牢さが幸いしたようである。
ようやく皆が一息入れた時、代官が恐る恐る二人に尋ねた。
「なぜ、二人だけなのだ。我が子は・・・・わが妻は・・・・既に襲われていたのか」
「いえ、ご無事です」とオーガスタの落ち着いた声が答えた。
「離れの奥まった場所に皆さんで息を潜めていました」
「なら、なぜ」と幾分安堵した代官が言いかけるのをオーガスタは制した。
「連れてくる方が危険です。こここそが怪物の入りたがっている場所なのです。
今、安全な場所に隠れているご家族を、わざわざ危険な場所にお連れするのが正しい選択なのかどうか、と考え直したのです」
周りの者達の注意が集まってくるのをオーガスタは感じた。
自分の考えを周囲に伝える機会だと彼は思った。
「怪物は、あの毛皮があるここに引き寄せられている。ここに入りたがっている」
「なら、あの毛皮を外に出さなくては」と誰かが口を挟む。
「毛皮を差し出して、すごすごと森に帰ってくれるならそれも悪くない。
だが仲間や身内を殺されて復讐に来たのに、死体の一部を返されてありがたく帰るだろうか。
あいつは猛り狂っているのだ」
「では、どうする」と代官。
「奴はここに入りたがっている。であるなら、望み通りここに入れてやり、代わりに出られないように外から閉じ込めてしまえばいい。
奴の仲間の毛皮もろとも、この広間をあいつの檻にしてしまうんだ。
上手く行けば全員が助かる」
ロウソクの明かりの中、オーガスタは周囲を見渡した。
誰も反論してくる者はいなかった。
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