第15話 夜の怪物と代官屋敷 その2 屋敷の外と中
「奴の鋭い聴覚や臭覚なら、とっくに我々の存在に気づいているさ。
怪物は今やろうとしていることを邪魔されたくないから、こっちに向かってこないだけだ。
だから我々がその狙いを邪魔したり、奴に危害を加えられる場所まで近づいたりしなければ、当面は無視してくれるだろう。
何と言っても奴にとって我々はその気になればすぐに始末出来る存在でしかないんだ」
「本当かしら。仮にそうだとしても、気が変われば、すぐにも私たちに襲いかかってくるということよ」
「気分が変わることは十分にありうる。実際の所、奴が何を狙っているのか知っている訳じゃないし、気まぐれに次にすることを考えているだけかも知れない。
ただ、ネコの類いは狙った獲物の巣穴の前で、あんな風に固まったまま何時間も待っていることがある。周りに危険や邪魔が迫ってこない限りだ。
ちょうど、奴はそんな状態にある感じがするんだ。
ともかく、この食堂にいても事態は変わらない。
かといってこのまま外を進んで行けば、奴が今現在注視している場所に二人で近づいて行くことになる。さすがにそれは危険そうだ。
だからといって、戻ってどうする。
ここまで来たのは、屋敷の中にいる二人組から宝剣を取り戻すためだ。それが私の任務だ。
なら、屋敷への侵入口を他の場所で探すしかないだろう」
「二階に正解があるか分からないじゃない。それに、二人組は既に殺されて、その死骸がこの部屋に転がっているかも知れない」
「あいつらは、こんな場所ではくたばらない。上手く逃げおおせているさ。
間違いなく、あいつらはこの扉の向こうの広間にいる」
「何の根拠もない。それこそ思い込みよ。
とっくにこの村から逃げおおせているかも知れない」
「いや、あの怪物から逃げおおせるのは簡単なことじゃない。
まして、二人のための宴の最中を怪物に襲われているんだ。主賓には逃げ出す間もなかったはずだ。
あいつらは必ず扉の反対側にいる」
全く論理的な結論ではない。
ルミィ自身にもそれは分かっているのだが、屋敷の中に入らずにはいられない。
「でも、屋根に登るのが良い選択だとは思えない」
「運試しさ。どちらにせよ、怪物が何かに注視している今しか動くことは出来ない。奴がその気になれば、この建物の外のどこにいても危険さはさして変わらないさ。
さっき、この上の所に破れた窓が見えた。そこからなら中に入れるはずだ。
いや、私は屋根に登る。ディアナがどうしても嫌と言うのなら、ここで待っていてもいい」
ディアナにしてもルミィに付いて行くと決めていた。
それに、こんな状況では何が正解なのか皆目見当が付かなかった。
ルミィは打ち砕かれたガラス壁から再び屋外に出た。
周囲を見渡すと、建物の隅にあたる場所に設置された雨樋に目が止まる。
そこに近づくやルミィは樋に手を掛けてスルスルと登りだす。
どうやら怪物に動きはないようだ。
そう判断すると、ルミィは下で待つディアナに合図をした。
ディアナには不慣れなことであったが、昔から木登りでは兄達にも負けたことのない腕白が役に立つ。
彼女もまた物音を立てることなく樋を登っていき、すぐにルミィに追いついた。
「上手いじゃないか。手助けが要るかと思ったのに」
「こんなことぐらい私だって出来るわ」
「うん、頼もしいね」とだけ言うと、彼は屋根の上に出る。
そのままルミィは屋根の上でせせり出ている窓枠の影に身を隠した。
それに倣ってディアナも屋根の上に登ると同じ場所に身を潜めた。
ディアナが見ると、そこでルミィが驚いたように怪物の方を見つめていた。
屋根の上には月光が降り注ぎ、蒼白い光に全てが包まれている。
その光の中で怪物の漆黒の毛皮が輝きを放つ。
ルミィはかつて剥製にされた黒豹を見たことがある。
怪物はその時に見た豹よりも遙かに大きいのはもちろんであったが、豹からイメージされる姿よりもずっと長い毛で全身を覆われていた。
そこには黒の中にあっても濃淡による豹柄が浮かび上がり、神の造形美を更に美しく飾っているかのようだった。
何かに注視して座り続ける姿形は、優美な曲線が折り重なり、美しくさえあった。
ルミィが横を見ると、ディアナもまた怪物の美しい姿態に見とれていた。
その彼女の肘をルミィがつつく。
ディアナがルミィの方に注意を向けてくれたのを確認すると、彼は怪物からそれほど離れていない場所を指さした。
それは怪物がいる場所からそれほど遠くない場所にある窓だった。
窓枠と鎧戸が壊され崩れ落ち、大穴が開いている。
怪物の後方ではあったが、今の状況ではそこまで近寄ることは出来そうにない。
改めて確認してみると、他の窓は鎧戸が降り、固く閉ざされている。
ルミィは知るはずもないことだが、代官の召使いが命ぜられて慌てて二階の全ての窓を閉じ、鎧戸を下ろしたのだ。
「あそこに行く気?」とディアナが驚愕する。
「それしかないな。それまでに奴が我々に襲いかかって来なかったら、あそこから中に入ってみよう」
そう言ったきり、ルミィはしゃがみ込んだままじっと静かに機会を覗う。
いや、機を覗うというよりは身じろぎも出来ない、と言った方が現実に近いかも知れない。
これほど巨大な怪物を間近にしては、その周囲に放つ迫力に気圧されずにはいられない。
二人には分からなかったが、怪物は屋根の上から渡り廊下の中で動く人間を注視していた。
そう、ルミィの追うオーガスタとアーキンである。
しかもオーガスタの方はアスカ王国の宝剣を腰から吊していたのだ。
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離れに辿り着いたオーガスタとアーキンの二人は先ず代官の家族の安否を確かめる。
母と子どもたちは既に明かりを消し、寝室の片隅で身を寄せ合うようにしてうずくまっていた。
女中や召使い達がそのそばで何かが起こった時に備えている。
召使いの一人はオーガスタとアーキンが戸を開いた時、気丈にも棍棒を持って待ち構えていたぐらいだ。
そんな彼らの備えや心構えも、もしも怪物が襲いかかってきた時には何の役にも立たないのを、オーガスタたちは知っていたが。
オーガスタは離れの構造を確かめ、既に鎧戸も降ろされており、出入り口が堅く戸締まりされているのを確認した。
それだけ見届けると、家族にはそのまま息を潜めて隠れているように告げた。
アーキンは代官からの依頼と違うのに驚いたようだったが、すぐにオーガスタが説明する。
「あの広間に怪物は入ろうとしているのだ。あんな危険な場所に女子供を連れて行く訳には行かない。
ここで戸締まりして明かりを漏らさぬようにしている方が安全でいられる可能性が高い」
言われてみればその通りか、とアーキンも納得する。
「アーキン、来る途中で考えていたのだが、やはりあの広間に怪物を閉じ込めるしか良い方法はないな。
おれは離れから上手く脱出する経路がないかと見てみたかったのだが、どうやらそれは無理そうだ。
あとの事は放っておいて、この離れでほとぼりが冷めるのを待つのも良い手段なんだが、いつになったらほとぼりが冷めるのか、先行きが不透明すぎる。
それで思いついたのが、あの広間だ。あいつが入りたがっているのなら入れてやればいい。
それを外から出られなくするんだ。奴が出てこれなくなれば、それで済む話だ。
そうだろう?」
「そう言えばそうだな」
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