第15話 夜の怪物と代官屋敷 その1 ルミィとディアナ

ルミィ・ツェルクとディアナ・クルツの二人は夜のイズノ村の道を代官屋敷へと歩みを進めていた。


月は中空に昇り、周囲は蒼白い光の中に照らし出されている。

だが、そんな光の中に浮かび上がる光景は凄惨なものばかり・・・・・・

打ち壊されたような家屋の列が続き、その中では多くの死体がむごい形で横たわっている。

押し殺したような泣き声が微かに聞こえてくることも、全てが死に絶えたかのような静寂のみが続くこともあった。


二人は周りに警戒を怠らなかったが、道ばたに散らばる幾つもの人体の一部も認めたし、家の中で一人すすり泣く少女の姿もあった。

そんな状況だというのに、人の気配や呻き声に二人が足を向けてみようものなら、ぴたりと息づかいまでが止まり、生存する者が残っている気配が消されようとするのだ。

それほどまでに恐ろしい時間を彼らは過ごしているのだ。


村は見渡す限り壊滅状態に見える。


ゼレベンゾ代官によって村に降り注いだカムワツレ王国の金貨も、この夜ばかりは何の意味もない。

幸運にも生き残れた者は、この瞬間ばかりは、息を潜めて恐怖が過ぎ去ることだけを願っているはずだ。


村はずっと長いこと怪物という伝説と共にあったのだが、それはずっと伝聞の範疇にあり、その牙があからさまに剥かれたことはなかった。

何年かに一度、それらしき噂が流れる程度だったはず。

それも森に迷って遭難したのか、あるいは少人数で出かけて山賊の獲物になったのか、などと噂されていた件が、怪物の食われた痕跡として死体が出て来た場合の説明として、もっともらしく語られる話でしかなかった。


こわごわと語りながらも、信じているような信じていないような曖昧な態度で、だからこそヨソ者には敢えて語らずにやり過ごしてきた話だ。

年に数人の被害が出るかどうかと言う実害の少ない伝説でしかなかったのだ。

それも、一人で森の奥に出かけないとか、暗くなる前に村に戻るとか、少し気をつけていれば避けられる類いの危険だったのだ。


ルミィが村を訪れる前の一年に限って言えば、森で迷った家畜を探しに行った者が行方知れずに成り、怪物の仕業と考えられているくらいで、それほど怪物は迷惑な存在と実感するものはいなかったのだ。


村と怪物は共存というよりかは上手く棲み分けて来たのであり、困った存在はむしろ山賊の方だったのだ。


悲嘆に暮れながら村人達は考える。

これまでの均衡はオーガスタとアーキンという新参者によって、悪意のないまま崩されたのではないか、と。


アーキンにすれば自分の身を守るために自分に襲いかかってきた猛獣を退治したに過ぎない。


一方の仲間を殺された怪物にしてみれば、許されざる所業だったのであろうか。


怪物が親子であったのか、つがいであったのかも人間如きには分からない。


それでも代官屋敷の玄関広間に掲げられている毛皮は残った怪物の怒りを掻き立てる存在であり、間違いなく怪物を惹き付けて止まない対象であった。


怪物の中に仲間を殺された復讐だとか、人間にそれ相応の代価を払わせようなどという、筋道の通った思考があるのかは分からないが、ただ、毛皮の匂いが生きている怪物の怒りを更にたぎらせ、目に付く人間を殺さずにはいられないという獰猛な本能を焚きつけて止まないのだ。


共存だとか森の棲み家での安逸などという欲求は完全に消え失せ、毛皮の匂いに群がる人間を根絶やしにしたいという怒りしかないのだ。


不幸にして伝説の怪物の毛皮は荷車の上で仰々しく拡げられ、村の目抜き通りを進みながら披露された。

毛皮からしたたる油は村人の住居の集まった場所に滴り落ちたのだ。


その匂いを追って進みながら、そのそばに蠢く人間をなぶり殺していく。

その所業は怪物の怒りに一層の拍車を掛け、人々の血の匂いも獰猛さを募らせる。


匂いを追ううちに、遂に毛皮のある場所が判明する。


その毛皮が隠されている(と怪物は感じたことだろう)建物の中からは人の立てる騒々しい音や光が見えてくる。


怪物は何を感じ取ったことか・・・・・・

離れろ、毛皮のそばに近づくな!

近くにいる人間は、片っ端から殺してやるぞ。

人間共に新しい朝の光を拝ませることはない!

そんな欲望だっただろうか・・・・・


ルミィとディアナは高台の上の代官屋敷が見えるところに辿り着いた。

物陰から屋敷を見上げると月光に照らされる屋敷の屋根の上に、恐怖を体現した真っ黒な姿が存在する。


「大きい」と思わずルミィは呟いた。


「三間半・・・いや、四~五間はあるかも・・・・・・・・」


その姿から「黒豹」という言葉が頭に浮かぶが、これほどまでに巨大な猛獣であるはずはなかった。

こんな夜の暗闇で、これほどまでに敏捷で巨大な真っ黒い猛獣を相手にするなどとは悪夢でしかない。

そう、まさしく「夜の怪物」とでも呼ぶべきであろうか。


何よりもルミィを恐れさせたのは、屋敷の二階三階の屋根を音もなく軽々と移動する身のこなしだった。


大きくて早くて身軽な敵では、付け入る隙がない。

それどころか狙われているのかさえ分からぬうちに噛み砕かれ引き裂かれているかも知れない。


観察する内に、怪物は二階の屋根に身構えたまま、一点を凝視するかのように動きを止めた。

それまでのしなやかな動きから一転して彫像のように固まったのだ。


ルミィには分かるはずもなかったが、怪物は渡り廊下のガラス越しに動く影に目を留めていた。

その影の正体は、まさにルミィが待っていたはずの二人、オーガスタとアーキンであった。


勿論、ルミィにはそんな事情は分かるはずもない。

彼が迷うのは、このまま屋敷に向かって移動して行くべきかどうかであった。


今は注意をよそに向けているとは言え、こちらが屋敷に向かって動いて行けば、その鋭い聴覚がそれを聴き逃すはずはない。

だだっ広い平地で、あの怪物と正面から相対すれば、その力や俊敏性から言って、ルミィに敵うはずもない。

自らただ死にに行くような真似はしたくない。


ならば、どうする。


その時、雲が月にかかり、あたりは真っ暗となる。


決断の時だった。

ルミィはディアナの手を取り、物陰から飛び出すと、その勢いのままに屋敷に向かって走った。


物音を聴きつけて怪物が向かってくれば「ここが死に場所になる」のは覚悟の上。

代官屋敷に二人がいるというのならば、向かわなければならない。

幸い辺りでは何の変化も起こっていないようだった。

ルミィとディアナはそのまま門を抜けて屋敷の陰に走り込む。


素早く正面玄関へ向かうが、そこはガッチリと閉ざされているようだった。


「ここからは入れない」とルミィが囁くと、ディアナは黙って頷く。


今にも怪物が屋根から降りて来るかも知れず、その時には二人ともお陀仏だと言うのは、口に出さずとも了解済みであった。


雲が流れて、再び月明かりが周囲を照らし出す。


そっと屋根の上を窺うと、怪物は月が陰る前と同じ姿勢で一点を見つめている。

何が起こっているのかは分からないが、今のうちに屋敷への入り口を探さなくてはならない。


「離れるなよ」とルミィはもう一度囁く。

ディアナは既に覚悟を決めているのでここでも黙って頷いた。


二人はそろそろと静かに建物に沿って影の中を進む。

建物の角を何回か回り込むと、どうやらガラスが壁の一面に嵌め込まれた部屋だったらしい場所に出た。

「らしい」というのは、既に打ち砕かれたガラス板が散乱し、外から大穴が開いた部屋の痕跡が吹きさらしになっているからだった。

冷え冷えとしたような青白い月明かりが差し込み、家具の残骸と共に元は生きた人間の肉塊が散らばっているのが分かる。

代官の晩餐会という村の栄誉の頂点であった場所が一転して凄惨な殺戮の場に変わったのだ。

だが、ルミィもディアナももう嘆かない。

ここほど月明かりが差し込んだなら、ディアナの邸宅だけでなく、ここまでの道中でも村中で認められた景色であったからだ。


ルミィはそうした残骸を踏み分けて晩餐会の会場の奥へ進み行く。

突き当たりの扉は、やはりここでも固く閉ざされていた。


「生き残った連中は、奥の広間に閉じこもって怪物の侵入を阻む気か」とルミィは誰にいうでもなく呟く。


「ならば」と今度はディアナに向かって囁く「屋根の上で固まっているあいつは、広間へ侵入する手がかりに気づいて、それを凝視しているのかも知れない」


ルミィはもう一度、食堂を出て、屋根の上を窺える場所まで静かに動いた。

目を凝らすと、怪物がジッと動かずに佇む場所の程近くに、破られた窓が見える。


それを確認すると、食堂に残っていたディアナのいるところに忍び寄る。


「上に昇る」


ディアナが信じられないというようにルミィの顔を覗き込む。


「気は確か?怪物に感づかれるわよ」

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