第14話 代官屋敷の客人 その6 思惑

ペドロはオーガスタとアーキンに気がつくと、言葉を発せないまま廊下に面した扉を指さした。


二人は知る由もないが、そこは護衛官の宿直室であった。

それを説明すべきペドロは蒼ざめたまま声が声にならない有り様である。


命ぜられるまでもなく、アーキンが自ら扉を開けて中に入る。


中は惨憺たる有り様だ。

まるで丸木棒を突っ込んで掻き回したとでも言えば良いのか。

家具は押し潰されたように破壊され、壁も叩き壊されたかのようにそこかしこに穴が開いている。

だが、そんなことよりもペドロを恐怖させたのは、部屋中が血まみれで、そこら中に散乱した人の手足や肉片、臓器の類いの方であったろう。


アーキンは窓のすぐ下で破壊を免れたランプの火を消すと、平然と部屋から出た。


「中は血まみれ・・・・・元は誰かの身体がバラバラだ」


「デトラだ」と、アーキンの説明にようやくペドロが反応した。

「あいつは怪我で療養していたのに、あんな悲惨な」と言ったきり、むせび泣くような嗚咽を漏らし始めた。

そんなふうに嘆いていられる余裕はないぞ。そんな声を上げていると、あいつが戻ってくるかも知れん」


オーガスタの言葉にペドロはぴたりと泣き止み、ゆっくっりと立ち上がった。

彼は周囲を見回すと身震いした。


何を今更・・・とオーガスタは半ば呆れていた。

あの怪物――仲間を仕留めることが出来た以上、怪物の名称は相応しくないかも知れないが、とオーガスタはためらいがちに考える――が次に何をしてくるか分からないというのに、感情のままに泣いている余裕はどこにもないのだ。


どうやら怪物は灯りを先ず攻撃対象にしているようだ。

療養中のデトラの部屋は明かりが灯ったままだったのだ。


ならばアーキンが灯りを消した判断は正解だ。

オーガスタはペドロのことを放っておき、今度は自分で真っ暗になった部屋に入って見る。


部屋は暗かったが、目が慣れると屋外からの月明かりでよく見えてきた。

ガラスの嵌め込まれていた窓枠や壁は散乱し、部屋の中と外の境は曖昧と言って良い。


「もうすぐ満月だったな」とオーガスタは思い出す。


月明かりを背に部屋を眺め渡してみれば、化粧室があるおかげで扉に向かうには狭くなった通路がある。

おそらく、あの怪物は前脚を窓から突っ込んで振り回した。

助かるには・・・・・素早く化粧室に逃げ込むか、扉から外に出るか、だろうか。

全長3丈(33尺、約10メートル)に近い怪物の前脚だと窓からでは扉までは届かなかったか、などと類推する。


オーガスタやアーキンの部屋は窓も何倍かの大きさがあり、窓から扉まで障害となるものはない。

扉にしても、この部屋より大きな観音開きだ。

オーガスタの脳裏にはしなやかな猫の身体が、狭い通路でも身をくねらせるようにして通り抜ける姿が浮かぶ。


怪物は灯りの側に人がいると学んで襲ってきているのだろうが、いざ怪物と対峙するとなったら暗闇は人間側には不利になる。

聴覚・臭覚で人間の位置を把握でき、猫に近い獣ならば視覚だって暗闇では人間に勝っているであろう。


そんな想像をする内に広間に吊された毛皮のことに思いが至った。

あの毛皮の匂いだ、あれが怪物を引き寄せ、怒りを掻き立てているのだ。


オーガスタが廊下に出ると、アーキンとペドロは静かに黙って立っていた。


ペドロは怪物が恐ろしいのだろう、とオーガスタはペドロの様子を見て推し測る。

だが、皮肉なことにペドロを連れて戻る場所こそが、その怪物が入ろうとしている場所なのだ。

生き残った者が避難して集まっている場所こそが怪物の目的地なのだ。


であるならば、とオーガスタは考え直す。

アーキンにはペトロを連れて先に大広間に戻るように言いつけると、オーガスタは自室へ引き返す。

そこで隠し場所から宝剣を取り出すと、自分の剣に替えてそれを腰に吊す。

自分の剣の方は鞘に入れたまま手に持って部屋を後にした。


階段を降りて行くと、広間は何本かのロウソクが灯され、その薄明かりの中で人々が立ったり座ったりしていた。


客人達の間を十人ほどの衛兵――食堂に突入しなかった者達――が不安そうに行き来をし、広間の中ほどの暗がりに代官と彼の護衛官、それにアーキンが立っていた。


代官が口を開くところだった。


「ペトロ、すまぬが妻のシャープルと子供達をここまで連れてきてはくれぬか」


ほんの少し前であったら、このような丁寧な言葉遣いをする代官にペドロは何の冗談かと驚いたはずである。

だが、その懇願に対するペドロの態度はにべもない。


「私には無理です。他の人に命じて下さい」


「ペドロ、お前はまだ護衛官なのだぞ」


「首にして下さい。私には無理です」


もう一人の護衛官ルイシンカの方も同様である。


暗がりの中でその表情は見えなかったが、代官はさぞ戸惑っているのであろう。

一番の忠実な部下であった男達が、いざという時になってみれば命令に従おうともしないのだ。


オーガスタは固く閉じられた食堂への扉を振り返る。


それ程までにあの怪物の恐怖は現実離れしているのか・・・・・・


「オレが行こう」と重苦しい沈黙を破ったのはアーキンであった。


「あなた様が・・・・・・・さすがは――豪傑は胆力が違いますな。部下にも見倣って欲しい」


そんな小言にもペトロやルイシンカは全く反応せずに突っ立っている。


彼らを無視して代官はアーキンに説明する。


「あちらの大扉を開くと離れへ通じる廊下になっております。庭に面した側はずっとガラス板が嵌め込まれていまして、本来なら素晴らしい眺めなのです。ただ、外からも中がよく見えるはずです。

屋敷の防衛上の観点から、ガラス板には鋼鉄製の格子が張られておりまして、あの怪物でもおいそれとは打ち破ることは出来ないはず。

ガラスの壁の反対側は使用人の部屋が並んでいますが、今夜は全ての使用人がこの本館で働いておりますから、残っている者はおりません。

三十間ほど真っ直ぐ進みますと突き当たりになり、そこに扉があります。その扉が別棟への入り口ですが普段なら開け放たれているはず。

・・・・・たとえ閉まっていたとしても、鍵をかける習慣はないので中には入れるはず。

中に入って奥の左側の扉が家族の寝室になっています。

そこで休んでいる家族を、どうか無事にこちらまで連れてきて欲しい」


代官が深々と頭を下げる。


「アーキン、おれが援護するぞ」


アーキンの鋭い瞳が暗闇の中から見返してくるのをオーガスタは感じ取る。


だがアーキンは何の感情も表さずに「ああ、頼む」とだけ答えた。


相変わらずだと、オーガスタは苦笑いする。


それから渡り廊下に繋がるという、今は厳重に閉ざされた扉を眺めた。


こちらの扉の前にも破られないように幾つもの家具が積み重ねられている。


オーガスタはその扉の前に代官を連れて行き、そこで命令する。


「いいか、俺たちが出る時には、部屋の中のロウソクは消すんだ。使用人に命じて手早く家具をどけてから、明かりを消して扉を開け。俺たちが出たら扉は閉めろ。

戻ってきた時には扉を叩いて合図するから、同じ要領で扉を開くんだ!」


オーガスタは扉を一回叩き、間を置いて二回、更にもう一回叩いてみせた。


代官は黙って頷く。


その代官が合図をすると衛兵と使用人が集まってきた。

彼が命ずる通りに扉の前の障害物が取り除かれると、ロウソクも消される。

広間は真っ暗になる。


「さぁ、行くか」とオーガスタが促すと、アーキンは自ら扉を開けた。


重々しく開かれた扉であったが、オーガスタの予想とは違って、そこは窓ガラスから差し込む月明かりに煌々と照らし出されている場所であった。


月明かりをこれほど明るいと感じたのはいつ以来かな、とオーガスタは自分の記憶を辿ろうとしたが、アーキンがさっさと前へと進み出したせいで、その思考は断ち切られる。


二人して蒼白く照らし出された人気のない廊下に踏み出して行く。

それと同時に彼らの後ろでは、扉が慌てふためくように静かに閉ざされた。

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