第14話 代官屋敷の客人 その4 宴たけなわ

ブルワン伯爵の説明に代官夫人は目を剥いて驚いたが、それでも鷹揚に答える。


「獅子だって、こんな村に住んでいるのでは見れるはずがありませんわ」


「いいえ、奥様、生きた獅子を見た者は大抵死んでしまうのです」


「まぁ」と夫人は相手の言っていることを冗談かと思ったのだが、大真面目な伯爵の顔に本当のことと知って青ざめた。


「獅子も豹も、ここからは遥か遠い場所にしか生息していませんが、彼らの生息地に住んでいても生きたものを見ることは出来ないのです」


夫人は身震いしたが、子どもたちに纏わり付かれるアーキンの背中を眺めて、強い衝撃を受けたように、やっと言葉を口にする。

「そんな猛獣よりも恐ろしい怪物を仕留めるなんて・・・・・・・お連れの方は強いのですね」


「私も腕には幾分かの覚えがありましたが、男爵の腕前を知ってからは『上には上がいる』ということを学びましてね。あの男の強さは桁外れです。

そう考えると、そんな強い相手に襲いかかってしまった怪物には――いや、いまや猛獣と呼ぶべきでしょう――運がなかったことになりますな」


伯爵――というよりオーガスタと呼ばせてもらおう。彼はそばの代官夫人に囁いたのだが、近くにいた客人はそれを耳にして子どもをあやすアーキンを、恐れ入ったというように感嘆の目を向けることになる。


その気になれば、オーガスタは善人を演じることも出来るのだ。


村の有力者達に気に入られて警戒されないようにする。

カムワツレ王の使者が村に到着するまでは、それが肝要なはずだった。

ホスキンみたいな下郎に嗅ぎ回れるのは金輪際御免だったし、ルミィ・ツェルクの相手も出来ることならしたくはなかった。


本来なら予定通りに村に滞在したいところだったが、ルミィ・ツェルクがいるのなら予定を変える必要があるかも知れない。

ルミィ・ツェルクが戻ってくる前に、村を立ち去る方が首尾良く仕事を終えられるのではないか・・・・・・


思案のしどころであった。


結論を出しかねていると、代官が近寄ってきた。


「さ、晩餐の準備が出来ました。食堂の方へどうぞ」と、代官自らが彼の腕にそっと手を添えて移動を促す。


オーガスタにしては珍しく決断が出来ない。

彼は代官に促されるまま食堂へ移動する。


大広間の奥の大扉が召使いによって重々しく開けられる。

扉は普通の人間の背丈の何倍もの大きさで、鋼鉄製の枠に飾り立てられて必要以上に重厚な印象を与えるものだった。

その大扉は広間に面して幾つもあるのだが、今開け放たれたのは正面からやや左奥に備え付けられたものだった。


扉が開くと豪勢な晩餐がテーブルに準備されていたが、それ以上に目を見張らされたのが、奥の壁に嵌め込まれた大きな板ガラスだった。

その外には豪勢な庭園が広がるのだろうが、夜の刻限では外に灯るかがり火の明かりで微かにしか見えない。


だが、こんな風に自前の庭園を見せようと、壁の二面までを板ガラスで覆い尽くすなどは、オーガスタでも見たこともなかった。


「余程、商売が上手くいっているとみえる」という感想が脳裏を掠めるが、この村では仕事をする気はない。


二面が板ガラスというのは防備としては問題があるな、とオーガスタは漠然と思う。

分厚いガラスを人知れず壊すのは難しいが、気づかれても問題のない状況ならばどうだろう、と疑念が浮かぶ。


ただイズノ村で、それほど大それた襲撃に備える必要がどこにあるのか、と考え直しながら、自分の疑問は取り越し苦労か、とオーガスタは自嘲する。


そんなオーガスタの思考とは別に、宴は進んでいく。

晩餐の始まる前に、お決まりの挨拶やら代官の言葉などが続き、ようやく乾杯までこぎ着ける。


オーガスタとアーキンは代官のすぐ隣の上席であったが、その分だけ周囲に愛想を振りまき、会話にも参加しなければならないのが面倒だった。

元来オーガスタはそういう事も得意であったが、この場では無愛想で社交性の欠片もないアーキンのフォローまでしなくてはならない苦労があった。


傍目から見ればオーガスタは如才なく振る舞い、機知に富んだ受け答えや、あるいは当意即妙な蘊蓄なども披露し、宴を楽しんでいるように見えた。

実際のところ、代官も代官夫人もオーガスタに魅了されてしまった。


オーガスタの周りには話しの花が咲き、すぐ隣にいるアーキンの無骨な態度も豪傑の朴訥な態度に感じさせられ、誰しも好意的に受け取る程であった。


何度目かの乾杯が済み、子供達を連れてシャープル代官夫人が奥へ引き下がってしばらくすると、あたふたと使用人が食堂に駆け込んできた。

そのまま失礼にも構う余裕なく、脇目もふらずに代官の元に駆け寄ると何事かをその耳元で囁いた。


「連れてこい」と不機嫌そうな声で代官が命じる。


「よろしいので」


「直に訊かねば話が分からん」


「はっ、仰せの通りに」


代官は煩わしそうな表情を見せたが、すぐに合図をして衛兵を呼び寄せた。


「揉め事になるかもしれん。ルイシンカとペドロに側に控えているように伝えよ」


オーガスタには知りようもなかったが、ルイシンカとペドロというのは先日ルミィ・ツェルクにのされた男達である。

憐れなデトラはまだ療養中であった。


しばらくして代官のそばにやって来た二人の男を目にしたオーガスタは、がっしりとした体格だけでなく(もっとも比べてみれば、アーキンだけでなくオーガスタにも見劣りするのだが)その俊敏な身のこなしや厳めしい態度など、軍人らしい態度を醸し出している。


「お二人は何者ですか。只者ではないようですね」


このオーガスタの問い掛けに代官は機嫌良く答えた。


「さすがにお目が高い。わしの自慢の護衛官なのです。代官専属の護衛官だ」


「代官個人の護衛ですか」


「ええ、こんな田舎でも改革に辣腕を振るうと、敵も増える。我が身を護るのには腕の立つものが必要になる」


敵が出来ないように威圧するためかな、とオーガスタは代官の言葉を翻訳しながら考える。


それだけの利益を生み出す事業だから強引に押し進めているのかも知れない、とオーガスタは推理しながら、代官屋敷自体の豪勢な様や屋敷内の調度などがそれを裏付けているのが分かる。


もう少し時間をかけて村のことを探ってみたいところだが、ルミィ・ツェルクの存在が時間的余裕はないかも知れない。

オーガスタは内心で首を振る。

「余計なことに首を突っ込むな」と。


そんなオーガスタの思索を打ち破るように、荒々しく食堂の扉が開かれた。

それと同時に和やかな晩餐会の雰囲気にそぐわない取り乱した男が飛び込んで来る。


召使い達が不作法な男を取り押さえようとしたが、男は必死な形相でそんな抵抗を振り払って部屋に入ってくる。

代官の姿を認めると男は叫ぶ。


「大変だ!怪物だ、怪物だ」


ただ繰り返し叫ぶ男をペドロが取り押さえて、代官の前に立たせた。


「何があったのか、ちゃんと話せ」と代官は男を睨み付けたが、男は少しも悪びれずに言い返す。


「そんな余裕はない。怪物が襲ってきて次々に村人が殺されている!逃げて隠れろ!

怪物に情け容赦はない。奴は手当たり次第、殺すだけだ!」


「怪物なら、昼間退治されているぞ」と代官はせせら笑う。


その声に、男は扉の外の大広間を指さした。


そこにはアーキンの持ち込んだ毛皮が広間の中央に掲げられたままになっている。


「あれのことか!そうだ、あいつだ!あいつのせいで村中は血の海だ!」


客達からどよめきの声が上がる。

「怪物は死なないんだ」「怪物を退治できるはずがないんだ」「いや、仲間か」「仕返しか」「化け物だ」

口々に恐怖に駆られた言葉が吐き出される。


男はもう一声叫ぶ。

「今度の奴は、あいつより大きいぞ」

そう叫んだ途端、男は恐怖に魂を抜き去られたように目を見張る。

その身体は硬直したように立ったまま動かない。


それほど男に衝撃を与えたものの正体を確かめるように、食堂にいる者達が男の視線を追う。

男が見つめているのは外が見渡せるガラス壁だった。


その瞬間!

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