第12話 クルツ邸 その2 闇

家に辿り着く前に遠くで聞こえた物音は何だったのかとルミィは不安を覚えたが、既に恐ろしい程の静寂が辺りを支配していた。

これでは判断の材料もないが、異常事態にルミィは緊張を覚える。


分からないことをあれこれ想像するよりも、今は眼前の出来事に集中しなくてはならない。

クルツ邸が真っ暗で静まりかえっている以上、警戒を怠る訳にはいかない。


ルミィは目でディアナに合図した。


ふたりは順番に塀を乗り越え、クルツ邸の敷地内に入る。


ルミィは周囲に異常がないのを確認してから、ディアナをその場に留めさせて、身をかがめるようにして屋敷のそばに忍び寄る。

そこで安全確認すると、ディアナに来るように合図を送る。


ルミィは家の外壁に取り付いたが、周囲からは何の音も聞こえず、暗闇以外のものは見えない。


だが、次の瞬間、再び異様な音が響いてきた。

今度は音の性質が聞き取れた。

叫び声とも唸り声とも付かぬ、何かの咆吼とも聞こえる音が轟いてきているのだ。


あの叫びが村の真っ暗なことと関係があるのか?

ルミィの脳裏に恐ろしい考えがチラリと浮かんだが、遠くの物音にまで神経を尖らせる余裕が自分たちにあるのだろうかと、悪い予感を一旦は追い払う。


「あれは何」とディアナが囁いてきた。


暗闇の中、彼女がすぐそばに身を寄せて来るのをルミィは感じ取った。

ディアナの息づかいや身体の震えから、彼女の不安と緊張がルミィにも伝わって来る。


「あの音の原因も突き止めなければならないが、それはこの屋敷がどうなっているのかを確かめてからだ」


何かとんでもないことが起きている、と言うのがルミィの直感であった。


日中の山賊討伐を絶望的な任務と感じていたのが懐かしいくらいだった。

今直面する危険の方が何倍も大きいかも知れないのだ。

すくなくとも得体の知れない不気味さが感じられるのだ。


ルミィの注意を聞くまでもなく、ディアナも何かとんでもないことが進行しているのではないかと感じ取っていたし、そこは自分の家である。

父や他の知人達の安否も気がかりである。

一刻も早く邸内に入りたいのだ。


ルミィはそっとはめ込み式のガラス窓から家の中を覗いてみるが、月明かりの届かない部屋の中の闇は深く、何が起きているのかは分からない。


何とか邸内に入りたかったが、そばの戸口には錠が下りており、物音を立てずに入るのは難しい。


二人は壁伝いに音を立てないように静かに這うようにして進み、玄関のある表側に出た。


そこでルミィもディアナも愕然とする。


二人が目にしたものは、強力無比な力で破壊された玄関扉の残骸である。

玄関扉は分厚い樫の板に鉄の枠を撃ち込んで補強された頑健そのものの作りなのに、である・・・・・・

その扉がへし折られ、幾つもに打ち砕かれている。

それだけではない。

扉を留めていたはずの蝶番は壁ごと扉の残骸とともに引き抜かれており、壁もまた砕かれて崩れ倒れているのだ。


どうやったらこんな風に扉を破壊できるのかと呆然とルミィが立ち尽くす隙に、ディアナがその玄関の跡から屋敷内に駆け込んだ。


我に返ったルミィが慌てて続き、ディアナの腕を掴む。


「待て、ディアナ」


ディアナはルミィを振り返ったが、その目に溜まった涙が月明かりを反射する。


「気持ちは分かるが、それでも危険な場所では平常心を保たねばならない。逸る気持ちは油断に繋がる」


そう言っている自分が本当に平常心なのか、とルミィは自分を疑う。

平静でいるには、悪い予感が強すぎるのだ。


事態は依然として分からないが、どう考えても尋常ならざる状況である。

これまでにない危険が待ち受けていそうだ。


ディアナの存在――彼女に対する責任感や義務感――が、なんとかルミィに平静を保たせようとしている。

それに比べると身近な人間の安否が関わっているディアナに平静を強いるのは難しだろう。

それでもディアナは何としても守らなくてはならない。

ゲイリーに出来たことが、どうしてルミィ・ツェルクに出来ないと言うのだ。


ルミィは慎重に、そろりと足を進めようとした途端に躓きそうになった。

しゃがんでみると、そこには一足の靴が落ちていた。

拾い上げて確認しようとすると、靴にしては重すぎた――それも道理、靴の中には人の足があったのだ。


ルミィは、悲鳴を上げそうになるディアナの口を素早く塞ぐ。


「落ち着け。冷静になれ。

私たちは危険のただ中にいるのだから」


そういうルミィ自身も恐怖と不安から心臓が早鐘のように打つのを抑えられない。

ルミィの鼓動に負けず劣らずディアナの心臓も音が聞こえてきそうなくらいに激しく高鳴っているのが分かる。


ディアナの口を塞ぐために引き寄せた腕にルミィは直接彼女の身体を感じる。

図らずもディアナを抱き寄せる格好になったが、お互いの肌のぬくもりは二人を落ち着かせるのに少し役に立ったようである。


うっすらと刺し込む月明かりに目も慣れてきたところで、お互いに顔を見交わすと身体を離す。

気持ちが落ち着くと、二人して邸内の捜索を再開する。

時間が幾ら経過しても邸内から何の物音も聞こえず、何の気配も感じ取れない。

ただ、足を進める度に足に触れてくる幾つもの塊が気にかかる。

先ほどは靴が落ちていた――嫌な予想しか思い浮かばない・・・・


目が慣れてきたお蔭で、塊の正体が判明する。

床に散乱しているのは人体の一部である。


嫌な予感ばかりが的中するのに、何が起こっているのかは見当も付かない。


それよりもルミィはディアナの様子が気がかりである。

彼女が平静でいられるはずはない。


暗闇の中で安全確認をしつつ、一部屋また一部屋と調べていくが、どの部屋も同様である。

恐ろしい程までに残虐で無慈悲な殺戮の場面ばかりが目に触れる。


何番目の部屋であろうか、微かに何かの音が密やかに聞こえてきた。

耳を澄ますと、何者かの息づかいのようである。

生存者がいるのか、こちらを窺う敵か。

いや、ルミィが確かめようとする前に、微かなうめき声が上がる。


それはディアナの耳にも届く。


突然、彼女は弾かれたように立ち上がると、何もかも忘れたように走り出す。


それを見てルミィも彼女の後を追う。

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