第12話 クルツ邸 その1 異変

生き残った自警団員達が街道からイズノ村への入り口に辿り着いた時には、日は地平線に姿を隠そうとしており、夜の闇が迫ろうとしていた。

既に月は地平線の下から新たに輝きだそうとしており、星も天空の漆黒に瞬く準備を始めている。

これから世界を夜が覆い尽くそうとしているのである。


それでも、月明かりと夕日の残照のおかげで、まだ皆の姿を確認出来るだけの明るさは残っていた。


山賊征伐の結果は苦い結末をもたらしたが、こうして帰路を進んでいると、生きている実感が湧き、そのことに密やかな喜びを感じないわけにはいかない。


ルミィが脇を見ると、月光に輝くディアナの凛とした面差しが見えた。

彼女の心中は察するにあまりあるものがある・・・・・


「どうかしたの」と、ディアナはルミィの視線に気づいて彼の方に顔を向けた。


兄を失い、これから帰れば父に辛い報告をしなければならないディアナは、それでも健気に見えた。


「いや、大変な任務だった・・・・・・・

生還率は僅かに六割。しかも自警団の団長であったゲイリーまで命を落としてしまった。

私の見込みが甘かったのだ・・・・・・

だが、戦いとはそうした苦い結果の積み重ねなのも事実。

辛い一日だった」


「私にも、兄にも覚悟の上のこと。

私なら大丈夫。兄のことをお父さまに知らせなきゃならないのだけが、辛いけど・・・・・」


そう語りながら涙を堪える姿は、聞いている者達の涙を誘う。

幸いにして、夜の闇が涙のしずくを隠してくれていたが、団員達のもらい泣きする声は隠せない。


疲れた足取りの一行が村へ向かう街道を進んでいく。


「ルミィ殿、それにディアナ」とゴッドフリーが声をかけて馬を寄せてきた。


「怪我人もいるので、私は団員達と宿舎に向かうことにする。

あなた方はクルツ氏のお宅へ向かわねばならないだろう。辛い務めだな・・・・・・

クルツ氏には、私は明日伺わせて頂くと伝えてくれ。

ディアナ、あなたも素晴らしい剣士におなりだ。今は耐えなくては」


そういうとゴッドフリー氏はディアナを軽く抱き寄せた。


「先生、私は大丈夫。私は大人だから」


ゴッドフリーはディアナのしっかりとした声に幾分か驚いたようだったが、ルミィにも挨拶をすると、団員達と共に自警団の宿舎の方へ向きを変えた。


二人っきりになると、急に暗闇にすっかり取り囲まれたような気分になった。


そのせいか、健気なディアナが一層愛おしくルミィには感じられるのだ。

二人は馬を寄せ合い、轡を並べながら道を進んで行った。


月を見ながらルミィはいたわるように声を掛けた。


「ディアナ、無理しなくていい。

そうでなくても初めての実戦だったのだ。いろいろと混乱するような気持ちになっても自然なこと。命のやり取りを軽々に感じるようであっても困る」


「ルミィ、お心遣いはありがたいけど、私は大丈夫。

それに・・・・・・

あなたがいなければ、私たちは最初の戦闘で、奴らの待ち伏せのために全滅していたでしょう。でも、ルミィの御陰でこうして生還出来た者がいるの。あなたこそ、結果に対して責任を感じなくていいわ。

あなたの指揮がなければ、私たちは今頃山塞でなぶり殺しにされていたか、人質にされていたか」


そう言いながら、結果の恐ろしさを想像したのか、ディアナは身震いした。


「私はあなたに感謝している」


思わずルミィはディアナの方に顔を向けたが、彼女は真っ直ぐ前を見ていた。


「立派なものだ。

私の初陣では、人を切ったことに震え上がってしまったものだが、ディアナはこうして理性的にものを考えて判断出来ている。

私よりも遥かに強いな。

本当のところ、剣の腕前といい、度胸と聡明さ・・・・・・・女にしておくのは勿体ない」


その言葉に鋭く反応したように、ディアナはルミィに向かって首を傾けた。


月明かりのせいだけではない輝きが瞳には宿っていた。


「ルミィ、それはあなたの勘違いです。

女にはもともと長い目で物事を考える判断力が備わっている。その日その日の享楽に溺れる男共とは違うのよ。

むしろ、ルミィこそ、男にしては冷静で適確な判断力・・・・・・さすがは聖アスカ王国の誇る騎馬憲兵隊の方だと思うわ」


「それはどういう意味だね?」


「隠さなくてもいい。

あなたが聞いて回っている二人組って『オーガスタとアーキン』のことでしょ?

その二人を追ってルミィはこの辺境までやって来た。

そんな任務を命令されているっていうことは、あなたは王国で公務に就いている人に違いない。

公務に就いていて、それほどの剣の腕前――騎馬憲兵隊員なのでしょう?」


ディアナの推理にルミィは微笑んで見せた。


「それは買い被りというものだ」


「謙遜しなくていいわ」


「そういう意味じゃない。

ディアナは騎馬憲兵隊を買い被りし過ぎている、という意味で言ったのだ。

騎馬憲兵隊員の中には剣の腕前で私に敵う者はいない」


「えっ!」


「この私が言うのだから確かなことだ。

騎馬憲兵隊に私ぐらいの腕前の者がごろごろいるのなら、そもそも私がこんな役目に引っ張り出される必要もなかったのだ」


「それって・・・・・・・

じゃあ、あなた何者?」


少し考え込むようにしていたが、「まぁ、ディアナは戦友な訳だから、秘密は守ってくれるだろう」


「もちろんよ」とディアナが勢い込んで請け合う。


「私は国王陛下の勅命により、王家の聖剣『契約の剣』を取り戻す任務を帯びた近衛騎兵ルミィ・ツェルクだ」


騎馬憲兵が巡察士の中から選りすぐられた者からなるのに対して、近衛騎兵は貴族の子弟や縁者から選抜された王家の精鋭部隊である。

そういう者の中には幼い頃から名だたる剣術師範に習い、神業的な腕前を備えた者もいると、かつてゴッドフリーから聞いたことはあったが・・・・

同時に師範はこう付け加えることを忘れなかった。


「王家の切り札ですから、本当の敵軍の侵略や或いは外征でもなければ出番はないのじゃ。ただ、王家にはそれほどの戦力があると示すことが目的。

我ら一般人で、しかもこんな辺境に住む者からは生涯縁のない連中じゃな」


そんな近衛兵がすぐ近くで馴れ馴れしく話をしているのだ・・・・


「神技を備えた者の集まりだと噂には聞いていたけれども、そんな人物が実在して目の前にいるなんて信じられないわ!」


ディアナの驚き方にルミィは苦笑いした。


「お褒めの言葉、恐縮です。

だが、それは必要以上に大げさにされた噂にしか過ぎない。

私が只の男なのは、こうして見た通りだ」


ルミィがばつ悪そうに説明しても、ディアナは驚いたままであった。


「このことは内密に頼むぞ」とルミィが念を押すと「もちろん、信用して」とディアナが頷く。


「それにしても」と前方の暗闇に目を凝らしながらルミィは呟く。「この刻限で、もう明かり一つないとは」


ルミィの言葉で、弾かれたようにディアナが姿勢を正す。

そのまま彼女は暗闇の中で何かを探すかのように目を凝らす。


日は地平線の下に隠れたばかり。

まだ残照が見えていし、月は地平の影から昇ってきて地面を照らし始めている。

普通に考えて夕餉の頃だろうか。


「まだ、こんな時刻で村が寝静まるはずがないわ」


「山賊共の残党に先回りされたか」


二人は顔を見合わせた。


それから二人は馬を降りると、そばの木に馬の手綱を結ぶ。


火がすっかり消えているとは言っても、月明かりが煌々と辺りを照らし始めていた。

もし、山賊が村を襲ったのなら、馬に乗ったまま進んでいくと、待ち伏せしている者達から狙い撃ちされないとも限らない。


「ディアナ、まずお父上のいるクルツ邸の様子を見極めよう。村の入り口からも近いから、それがいいだろう。だが、この暗闇だ。相手が分からないと同士討ちになりかねない。私から離れるなよ」


「分かった。

でも、山賊共が先回りしたとしても、村中が真っ暗だなんて、あり得ない・・・・・。奴ら、何をしでかしたのかしら」


「それをこれから探ろうって言うのだ」と、ルミィは付いてくるように身振りすると、街道を外れて原野の木々の間を縫うように進みながら村に近づいて行った。


クルツ邸は村の入り口から遠くない場所にあった。


ルミィ達は街道からではなく、家の裏手から接近していった。

何者かが待ち伏せしているかもしれないという考えは、不意を襲われるかも知れないという恐怖を募らせ、気持ちのいいものではなかった。

怖れは恐怖心を募らせるのだ。


その一歩一歩も慎重なものになる。

些細な物音にも神経を尖らせる。


遠くから何やら只ならぬ音が聞こえてきた。

二人は何事かと顔を見合わせた。


だが、特に妨害されるような事は何も起こらないまま、二人は目的の家に辿り着いた。


暗闇と静寂のみが辺りを覆い尽くしている。

静か過ぎる。

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