第10話 森の中 その1 逃走
山賊の首領、デニムと呼ばれる男は残忍な性格で部下達から怖れられている。
そのデニムが今、身に纏っているのは先日獲物になったばかりの商人から奪った革製のツルツルとした上着である。
そのデニムが無表情な顔を部下に向けた。
「もう一度、言え!」
その声に、報告役の部下は全身から汗が噴き出し、したたらせている。
「街道へ向かう本道には連中の姿は見つかりませんでした。他の抜け道を使って先回りしようとした者も、奴らの姿を見ていません。
既に数名の手下を使って、奴等が村まで奴らが戻ったのかどうか、確認させているところです」
デニムには意外な答えだった。
昼前に、連中が森に入って本道――街道から山塞への道を本道と山賊達は呼び習わしている――を進んで山塞に向かっているという報告があった。
ルミィの予想通り、自警団は見張りに発見され、事前に山塞では準備がされていたのだ。
人数にして三十人という報告に対して、自警団の士気を削ぐために、デニムにしても出来るだけ多くの戦闘員の人数を揃えようと考えた。
五十人と噂される山賊の所帯であったが、実戦に使える戦闘員となると半分ぐらいというのが実情である。
三十人という自警団の人数に対抗するには、報告戻ってきた見張り役の者までも戦闘に加えなければならなかった。
それだけの大人数をもって、連中が森の中から山塞の手前の空き地にのこのこと雁首揃えて出て来たならば、前後から挟み討ちにする手筈だった。
敵を圧倒する人数で包囲してしまえば、戦意を喪失した連中を、ゆっくりとなぶり殺しに出来るはずだった。
抵抗を諦めて降伏してきたならば、それこそはデニムにとってのお楽しみである。
生きていることを後悔させるような残虐な処刑を存分に堪能できるはずだからだ。
計画では、今頃はデニムにとってのお楽しみの時間になっているはずだったのだ。
それが、三十人の敵に対しては十分な部下の数を揃えたくて、見張り要員も一切合切呼び集めてしまったのが裏目に出た。
相手を取り逃がした上に、一度見失った相手を探し回ることになるなんて、どうして予測できようか。
やはり見張りを残しておかなければならなかったのだ。
デニムの計画の齟齬である。
当然、彼は不機嫌であった。
「おまえらが抜け道を通るよりも早く、本道を駆け抜けたというのか?」
デニムは疑問を口にしただけだったが、部下は恐れおののいて縮み上がった。
「連中が見つからない以上はそう考えるしかないかと。今のところの情報ではそうなります」
「だが、奴らは何人かの怪我人も馬に乗せていたぞ。それは、二人で騎乗していた馬もあったと言う意味だ。それでお前らが追いつけないほどの速度で森を駆け抜けたというのか」
手下は恐縮したように首をすくめるばかりであった。
もちろんデニムにもそんなはずがないと分かっていた。
そうなっていないからには、他の可能性が解答なのであろう。
だが、そのことは考えたくなかった。
口に出したくなかったのだ。
答えれば、探さなくてはならなくなる。
まだ、捜索していない場所が残っているのだ――そこへは行きたくなかった。
たとえデニムであっても。
考えるだけで恐ろしかった。
そう、怪物の住む森へ連中を探しに分け入るなどと言うことは――
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それよりも少し前、ルミィ・ツェルクとその一行は怪物の住む森――デニム達の悪夢――に深く分け入って進んでいた。
怪我人以外は馬を降りて手綱を引きながら、茂みを掻き分け掻き分け、更に森の奥へ奥へと進んでいった。
ルミィのすぐ後ろにはディアナがいた。
殿(しんがり)はゴッドフリーだった。
「ルミィ!」とディアナが声をかけると「なんだ」とルミィは声を潜めて答えた。
「ルミィ、闇雲に進んでいては道に迷うわよ」
「いや、そもそも道を知らないのだから迷いはしない。
十二分に北へ進んでから、街道に向かって東に方向を変える。それで森を抜け出せれば街道を見つけられるはずだ。街道に出れば村へ帰れるさ」
「怪我人のことを考えると、一刻も早く村に戻りたいけど」
「確かに。
だが、山賊に見つかって追い回されては、彼らを護ることが出来なくなる。
ここは理想を追うのではなく、最善の選択をしなければならない。
もう少し森を進んだら、休憩してゴッドフリーに手当をしてもらおう」
ルミィにしたって、山賊共ともう一戦することは避けたいところだった。
自分たちが北の森に逃げた可能性を敵が気づく前に、出来るだけ距離を作っておきたかった。
それから約一刻、彼らはひたすら茂みを掻き分け、木々の間を縫って進み続けた。
道なき道を進みゆくのは大変な労苦が必要であったが、追っ手を逃れるためにはしなくてはならないことだった。
突然として視界が開けた。
そこには以前に落雷でもあったのか、一本の巨木が焼け焦げた痕と共に横たわっていた。
その時の火のせいで出来た小さな空き地だ。
そこでルミィは休息を宣言した。
一同は馬を引きながら集まってきた。
ゴッドフリーは医療道具の入れられた鞄を取り出し、馬から下ろされた負傷者の具合を診始めた。
他の者達はぐったりして座り込み、何の意欲もなさそうにボンヤリとしていた。
ルミィはまだ周囲の様子にピリピリと神経を張っていたが、団員達の様子は全然違っていた。
既に戦意も戦う気力も失われていた。
もし、今一度襲撃に遭ったなら、おそらくは為す術もなく捕らわれてしまうだろう、とルミィは懸念した。
戦いである以上、全員が捕らわれて命を落とすことになっても仕方がない。
だが、ディアナはそれだけでは済まないと言うのが、ルミィの気がかりだった。
ディアナだけは無事に帰らせなければ!
彼女の父親との約束は、ゲイリーを生きて還らせることであった。
それとは別に、ディアナを護ることは、その約束以前に自分の義務であるとルミィは感じるのだ。
それが出来ないようでは生きている意味も価値もないという気さえするのだ。
「生きて帰る」これはルミィ自身に課せられた義務であると同時に、彼の希望でもあった。
だが、それよりも遥かに重い責任があることをルミィは知った。
疲労困憊して無気力な隊員達の中にあっては、ディアナは意気軒昂で超然として見えた。
そんな風に仲間を観察しながら周囲にも気を配っているルミィのすぐそばにディアナは近寄ってきた。
「ルミィ、どのくらい進んでから東に向かう気なの」
「もう半刻くらいは進みたい。この悪路だ、苦労の割には進めていないと思う。でも暗くなる前に街道に出られなければ、文字通り本当に遭難してしまう。
それに、伝説の怪物が気にならないわけじゃない。今の状態では、正体不明の相手では誰も闘志なんぞ持っていられないだろう。
急がず、早めに街道に出なくては」
「私は闘志を失ったりしないわ」
「うん、その気力はいざ必要になる時まで、大事に取っておいてくれ」
「ルミィは落ち着いているのね」
「ああ、いきり立って切り抜けられるものなら、幾らだっていきってみせるがね」
「うそ!あなたはそういった類いの人じゃないと思う。
常に最善の方策を考えて、それが困難であってもやり遂げる方法を見つけようとしている。あなたは、諦めない人」
「そうありたいと願っている。それをディアナに認めてもらって嬉しいよ」
そう言ってルミィは、怪我人の手当をしているゴッドフリーの方をじっと見た。
ゴッドフリーは傷を負った部分の衣服を剥ぎ、傷口を洗ったり、薬を塗り込んだりなどしていた。
その傍らではゲイリーが呆けたように座り込み、黙ったまま地面を見つめていた。
「何を考えているの」とディアナはルミィに尋ねた。
「うむ、敵の首領なら何を考えるか、だ。
さっきの戦闘の前に、首領と思われる男の姿を見た気がする。あの抜け目なさそうな顔、感情を表さない目つき、・・・・・・・あの男だったらどのように我々を追おうとするのか。
敵の予想通りに動いては、追いつかれてしまう。我々には怪我人もいる。戦闘を避けて、暗くなってしまう前に街道まで出なくてはいけない」
ルミィの言葉にディアナは少し考えたようだったが、すぐに「私だったら、街道から村への分かれ道で待ち伏せするわ。
だって、どこへ敵をかわそうと、最終的には村へ帰るのでしょう?」
その通りだ。だが、その考えは除外して良いと思っていた。
山賊共が隠れるところもほとんどない街道の分かれ道に集団で姿を晒すとは考えにくかった。
それならどうする、とルミィはジッとディアナの瞳を見ながら考え込んでしまった。
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