第9話 山賊と来賓と その4 怪物の毛皮・・・

男の物腰柔らかな態度にクルツ氏はいつの間にか好感を抱くようになっていた。


もう一人の男は、話し込む二人から離れて馬の様子を見に戻っていったが、その馬と比べても遜色ないくらい程の大柄な体格の持ち主だった。

厳つい顔つきと物静かな雰囲気――どこか近寄りがたい空気を醸し出していた。


クルツ氏には与り知らぬ事であったが、この二人こそがオーガスタとアーキン――ルミィが待ちわびていた二人組であった。

だが、そんなこととは知らぬクルツ氏は彼らを大いに魅力的な好人物と感じていた。


「いいでしょう。後ほど家の者にご両人とご一行を代官邸へ案内させましょう」


クルツ氏は鷹揚に笑い、彼らを邸内に招き入れようとした。

と、血なまぐさい匂いが鼻を突く。

どうやらその臭気は、それまで黙って馬の様子を見ている大男の方から漂ってきている。


彼が引いて来た馬の背に載せられた荷物からか、とクルツ氏は気づく。

その馬の背には小山のようになって、黒々としたものが折り重ねられて積まれている。


クルツ氏の視線にオーガスタは気づいたようであったが、彼はそれを無視するつもりであった。

ここで、余計な用事を増やすつもりはなかったからだ。

さっさと代官邸に行き、カムワツレ王国からの密使を待ちたかったのだ。


「あの黒い荷物は何でしょう?何かの毛皮にもみえますが・・・・」


オーガスタは舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、それこそ適当な相槌で済ませてしまおうと考えた。

ところが驚いたことに、彼の意に反してアーキンが自ら説明を始めた。

それまでオーガスタの想定を外れたことがない男のはずだったのに。

そこに見えたのはオーガスタの知るアーキンとは掛け離れた様子の男手あった。


「あれは先ほど剥いだばかりの毛皮だ。そこの森で途方もなく大きな獣に襲われたのだ。不意を襲われて、本当に危ないとこだった。

だが、苦労の末に何とか倒すことが出来た。

もっとも、無事に仕留めたからこそ、こうして二人揃ってクルツ殿の前にいるわけだ」


無愛想な言葉遣いはまさにアーキンだったが、こんな説明をするには不似合いな男だった。

オーガスタは口を挟むべきか迷う。


だが、話を聞いたクルツ氏の方はそれどころでは無かった。

森から出て来た大きな獣と聞けば、例の怪物を思い浮かべないはずがない。

常世闇の森の北側に棲む魔物、伝説の怪物のことだ。


そうすると、おの大男が伝説の怪物を倒してきたというのか?

そんなことが人間に可能なのか?


前代未聞の話にクルツ氏は口をあんぐりと開け、目を見開き、動くのも忘れて立ち尽くしてしまった。


その怪物の毛皮を、この男は運んできたのだ!と、クルツ氏は思わずアーキンの引く馬に歩み寄った。


確かに馬の背に乗っているのは、丸められてはいるが、まだ油もしたたっている生々しい真っ黒な毛皮である。


アーキンはオーガスタが一度も見たことがないほど機嫌良さげであった。

その彼が更に説明を付け足す。


「恐ろしく凶暴で危険な奴だった。こうして、奴は毛皮になっているが、おれの方が僅かに幸運だっただけだ。ほんのちょっとの運命の差が生死を分けたのだ」


アーキンの饒舌にオーガスタは驚き呆れ返っていた。

長い付き合いだったが、こんな風に自ら手柄を自慢したことのない男だった。

どんな仕事も当たり前にこなし、成功も当然の結果としか感じない男のはずだった。


感情なんてものは持ち合わせず、常に勝負の駆け引きを冷静に判断しているだけ――まさに機械仕掛けのようにさえ感じさせる男だった。


剣の腕でも、その膂力・胆力においても、アーキンほどの者を、オーガスタは見たことがない。

それでいながら、アーキンはオーガスタに対しては友情と絶対の服従をしていた。

何を考えているのか分からないくらい寡黙だったから、友情とか服従とかは勝手にオーガスタが思い込んでいるだけなのかも知れない。

ただし、その思い込みが裏切られたことも一度もなかった。


困難な命令にも不平一つこぼすことなく、またオーガスタの危機に際してはいかなる犠牲も厭わずに、彼を救い出してくれた――そんなことは滅多になかったし、結局はアーキンの圧倒的な力が彼らを危険から遠ざけてしまうのだが――。


それでいて手柄を誇るでもなく、オーガスタに見返りを求めることもなかった。

ただ、二人の間にあるのは、絶大な信頼と友情、それにアーキンの服従だけだった。


アーキンは恐ろしいまでに強かったが、オーガスタもまた剣の腕においては誰かに後れを取るということは先ずなかった。

唯一、自分より上と認めるのはアーキンくらいだったのだ。

悪事に対する企画力と実行力、それに加えて恐ろしいほどの腕前がオーガスタを有名にしてきたが、そのオーガスタを護るかの如く付き従うアーキンの存在が、各国の官憲に絶望を抱かせてきたのだ。


オーガスタ自身、自分より強いかも知れないと思ったのはアーキンだけだった。


そのアーキンが黒い毛皮を馬から下ろし、自慢げにクルツ邸の玄関前に広げだすのを見て、オーガスタは信じられなかった。


一方のクルツ氏の方は、首が落とされているとは言え、広げられた黒い毛皮の巨大さに唖然とした。


上の空の返事をしていては無礼になりかねないところでクルツ氏は我に返った。


「いや、失礼・・・・・五十余年の生涯の内でも、これほど驚いたことはありません。

お客人の仕留めた毛皮の元の持ち主こそは、あの森の魔物、伝説の怪物に相違ありません。

いや、怪物どころか、村とアスカ王国とを遮る最大の障害であり、夜の森を支配し、恐怖をまき散らしてきた存在です。

まさか、生きているうちにこんな形で拝むことが出来るとは・・・・・・」


クルツ氏の驚きはアーキンの機嫌を一層良くした。


「その魔物は、どんな怪物だったのだ」


「それは・・・・・・噂に聞くところでは・・・・・・闇の中から音もなく忍び寄り、襲われた者が気づくよりも早くその身を裂き、瞬く間もなく命を奪いさるとか・・・・・・・

餌食となった無残な死骸を見ることも年に何度か・・・・・被害の数は少なくとも、人の力では抗いようもない魔物と思われてきましたが・・・・・・・・

このイズノに付きまとって離れない悪夢と信じて、諦めてきました・・・・・・・

村に運命づけられた業と信じ込まされてきました・・・・・・・・・・・

いや、自分が生きているうちに、その姿をこうして拝むことはないと思って生きてきました・・・・・・・」


「では、思う存分ここで見たらどうだ」


こんなアーキンのサービス精神に溢れた言動にオーガスタは呆れ返ってしまう。


子供のように自慢話や手柄話とは・・・・・・もちろん、普通の人間から見れば、かなり抑制した表現に見えるであろうが、それでもオーガスタの知るアーキンとはかけ離れていた。


それだけ彼にとっては危険な相手だったと言うことの裏返しなのだろうが、こんなところで自分の成し遂げたことを誇らしく他人に示したがるとは――その素直過ぎる豹変がオーガスタには意外だったのだ。


もっと誉めてやっても良かったのだな、とオーガスタは今後のアーキンへの対応を考え直すことにした。

今回の怪物退治だけでなく、他にも困難な状況をアーキンの腕前によって何度も切り抜けたことがあったのだから、その都度、もっとはっきりと感謝の意を伝えた方がいいのかもしれない、と彼は脳裏に銘記する。


ただ、今までのどんな大仕事であっても、先ほどの怪物退治に比べると、それほど危険を感じずに成し遂げられてきたという証なのかも知れない。

そう考えると、アーキンの強さがオーガスタにも恐ろしく実感できた。


広げられた毛皮は丈にして優に二間(けん)以上あり、三間にせまろうかという大きさであった。

真っ黒なそれは長い毛が生えていたが、それも脂でじっとりと固まっていた。

あれほど大きい頭を持ってくることは困難だったから、首は落としてあった。

だが、見る者にとって、これほどの巨体にいかなる獰猛な頭が付いていたかは、想像するだけで恐ろしく感じずにはいられなかった。

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