第5話 代官 その3 代官夫妻

「お帰りなさいませ、旦那様」


おそらくは普段と何も変わらない出迎えだったのであろう。

だが、その召使いは馬車の中に横たえられている護衛官の姿に目を見張った。


「・・・・・彼を・・・・・どう致しましょうか?」


ルミィは代官が答えるのを待たずに、彼の脇に肩を入れるようにして座席から起こすと、そのまま肩を組むようにして馬車を出た。

車外に出ると、そのまま彼を担ぎ上げた。


代官が馬車の外に出て来るのと、屋敷の中から二人の大男が駆け出てくるのが同時だった。


「代官、どうされました?」


代官が説明するのよりも早くルミィが口を開いた。


「取っ組み合いになって、彼を伸してしまったのだ」


二人は驚き、顔を見合わせ、同時に代官の様子を窺った。

ルミィはそれを無視するように続けた。


「代官の護衛官が用をなさなくなったので、代わりに私がこうして馬車に同乗してきた。それから、今のように彼を担いで手が塞がっているところを、二人が仕返しに向かってこないように、私の護衛をディアナ・クルツに頼んだのだ」


その説明と同時にディアナが馬車を降り立つと、ルミィと二人の護衛官の間に立った。


「おい、本気に取るなよ」と代官が声をかけた。


「それからいつまでも客人にデトラを背負わせておくな。お前達で彼を部屋まで運んでおけ」ついで別の召使いを呼び寄せ「医者を呼んできてくれ」と命じた。


ルミィが二人の護衛官にデトラを渡すと、二人は彼を玄関広間中央の階段で二階に運んでいく。

玄関広場は二階と吹き抜けになっている。

二人の行方を目で追っていると、代官が言った。


「ここは代官公邸でしてな。二階は主に客用の寝室になっています。一部に執務室を兼ねた書斎があって、そこの隣に護衛官の居室も一つ作ってあるのです。デトラはそこに普段居りまして」


玄関広間は広々としており、中央階段の奥には廊下が続いている。

その廊下で分けられた左側には大扉が在り、そこが開かれた。


「応接室です。さ、ルミィ・ツェルク殿もディアナ・クルツ殿も、どうぞお入りください」


「いや、代官の護衛も、彼を運んでくる役目も終わりましたから、ここで帰ります」


「そう仰らずに、妻も客が来ると喜びますので。さ、遠慮なさらずに。

何よりも、ルミィ・ツェルク殿とは折り入って話しておきたいこともある」


「あら、私は邪魔かしら」


「ディアナ嬢がいなくなっては、ルミィ・ツェルク殿も居づらいでしょう。むしろ歓迎しますよ」


こうして二人が応接室に入ると、続いて女中が果物や果実酒、その他の飲み物の瓶などを持って入ってきた。


応接室は広々としていたが、卓はこぢんまりと見えた。

しかし近寄って一目見ると豪華な調度と分かるようなものだった。

その上に女中が持ってきた品々を並べていると、派手なドレスを着飾った中年女性が入ってきた。


代官は立ち上がった。

「シャープル、紹介しよう。

こちらが有名なルミィ・ツェルク殿。こちらのお嬢様はクルツ家のご令嬢ディアナ・クルツ殿だよ。

お二人さん、これが私の連れ合いのシャープル・ブルワンだ」


彼女は輝くような笑顔を振りまく。

派手な衣装にどぎつい化粧はルミィに何かを思い起こさせる。

そう、あれは曲芸の道化師だ、と彼は思い出した。

出し物の脇で、観る者を和ませるためにおどけて見せたり、或いは目をそらすために変わったことを演じて見せたりする。

彼女は知らず知らずに、その道化役を担わされているのではないか。


シャープルが時候の挨拶だとか、たわいもない村の出来事などを話して一段落すると、おもむろに代官が口を開いた。


「商隊を率いてカムワツレ王国に行くと、莫大な金貨が手に入った。村に戻ると村は金貨で溢れ返ることとなった。商売のために村の中でも売り買いが盛んになり、仕入れをして再び王国に向かう。更に金貨が増える。村には金貨が降り注ぐことになる。

高額な取引で大商いに成功した者もいれば、手広く仕事を始めることで、財を成した職人なども現れている。

金があれば、人を雇って開墾も出来る。耕作地を広げれば村の生産量が増える。それを売れば、もっと多くの金貨が流れ込んでくる。

こうしたことがこの六年の間に起こった事だ。

村は物と金で溢れ返っている。これまでよりも豊かで贅沢な生活を送るようになった連中には、今までとは違った社交場が必要になる。だが、それを提供する場所がない。

こんな贅沢な代官邸は無用の長物でしかないと思うだろうが、それを必要とする者が現れたから建てられたのだ。

月に一回、定例の夕食会がある。これは多くの者が順番に招かれる。地区ごとに輪番でその地区の成功者がやって来るのだ。

それに年に四回、つまり季節ごとに晩餐会が開かれる。こちらは四半期毎に、ある額以上の取引を成し遂げた者を招いている。・・・・・・確か、クルツ殿も自警団の設立前には晩餐会にご招待しているし、ご出席いただいているはずだ」


「私も一緒に来たことがあります」とディアナが答えた。

その返事に満足したようにゼレベンゾ代官は頷いた。


「クルツ殿には人望がある。この村の出身で、有力地主。その上、魅力的な人物だ。

そういう人物だからこそ、わしの敵達から祭り上げられたわけだ。

わしはよそ者、『強欲なチビ』とまで呼ばれているのは知っている。その『強欲なチビ』が村一番に慕われる人物が苦労して取りまとめた自警団を潰しに掛かれば、ますます嫌われるわい」


「先ほども話しましたが、気持ちは分かります。

自分が思い付いた商売を、そのまま真似されればいい気持ちでいろという方が無理でしょう。しかし、あなたは商売人である以上に代官として公平に振る舞わなければならない。

村にこれだけの富と繁栄をもたらしたのだから、あなたは尊敬されるべき代官です。ところが、これからの行動如何によっては、陰口の呼び名でしか記憶されないなんていう事にもなりかねません。

商売の方法を先ほど言いましたように、商品の獲得合戦に移行していくのが良いでしょう。

そうした上でなら、商売の成功不成功に関わらず、更なる繁栄を村にもたらした名代官として記憶されるようになるかも」


「商売の指図を受ける気はないが、ツェルク殿の腕前には一目置いている。

確かにそちらのお嬢様の剣術は、護衛官達よりも上かも知れないが、剣は戦いの場になれば、道場の剣術とは異なった部分が生死を分けるはず。殺し合いになれば、果たしてお嬢様も大きな顔をしていられるか。

しかし、剣術師範のはずのあなたが、自警団に行軍やら集団行動の訓練を始めるわ、護衛官を格闘でも叩きのめすわ、想定外の実力を見せつける。

クルツ殿は良い人物と巡り逢ったものだ、と羨ましく思っている。なぜ、わしの方が先に出会えなかったのかな、と。

端的に言おう、わしとしてはあなたを村の衛士隊指南役として雇いたい」


「それは無理な話です。

クルツ殿には話してありますが、私は自警団の訓練が終わったら、カムワツレ王国へ向かう身。そのような時間はありませんな」


「そんなことを言いながら、既にこの村に来て、どれほどになる」


「さて、それほど長くはありますまい」


「もう一月になろうとしているだろうが」


「そんなになりますかね。

ですが、それだけこの村に居られる時間が減ったと言うこと。とても衛士隊の指南なんか勤める時間はありませんな」


「代官の依頼を袖なく断っておいて、この先も無事に村で過ごせると思っているのか」


「どうされます?

あなたの別の護衛官とここで勝負でもしますか。それとも何かの罪をでっち上げて、逮捕・拘束しますか?

どちらでも構いませんが、代官が卑劣な手段を取る気ならば、あなたの御身も無事では済みませんよ。護衛官や衛士隊が居れば無事でいられると思っている勘違いを、厳しく訂正して差し上げることになる。その覚悟があるのなら、やってご覧なさい」


ルミィの言葉に代官は青ざめたり唇を噛み締めたりしながら、忙しく左右を窺う。

それを見かねたように、代官夫人が口を開く。


「ゼレベンゾ、腹を立ててはいけません。あなたは怪我をした護衛官を連れてきてもらって、更にはその護衛官の代わりに警護して送ってもらったのでしょう。

その相手に無礼なことをしてはいけません。

なんですか、頼みを断られたからって駄々っ子みたいに。

そんなだから陰口を叩かれるのです」


「なんだと!」


ゼレベンゾ代官は思わず立ち上がるなり、その顔色を朱に染めたり青ざめたりしながら、落ち着かなくその場を行ったり来たりし始めた。


「気分が台なしだ」と言いながら、彼は既に護衛官デトラが打ちのめされてから少しも気分が晴れるようなことが有ったわけでないのを思い出した。


「とっとと帰ってくれ。わしには公務があるのだ。お前等の相手をしていられるほど暇じゃないんだ」


ルミィはディアナを目で促しながら立ち上がった。


「では、これで失礼致します」


代官はそっぽを向いて座り込み、彼らが出て行くのを黙って見送った。


彼らが屋敷から出たのを見計らって、代官は妻を私邸の方に送り返す。

それから残った二人の護衛官を呼び寄せた。


「いいか。さっきの生意気な若造を叩きのめして、デトラの仇を討ってやれ。

ただし、あいつは腕が立つようだから、油断しているところを闇討ちするのだ」


「今夜にでも?」


「いや、まずはあいつの日々の動静を探るんだ。あいつが一人で油断する場所や時間を見つけなくてはならない。それを見つけ出したら、秘密を守れる連中と共に叩きのめせ。失敗は許されんぞ。

あと、決行の前にわしに連絡を寄こせ」


ルイシンカとペドロは黙って頷いた。彼らにしても望むところだった。

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