第3話 クルツ家の企み その1 稽古試合

ルミィは、クルツ氏とゴッドフリーに連れられて屋敷の別棟にある稽古場に連れて行かれた。

そこには既に稽古着に着替えたディアナの姿があった。


「お待たせ」とルミィは言いながら訓練用の剣を手に取った。

それを二・三回振り回すと「これで十分」と稽古場中央に進み出た。


ディアナは愛用の訓練刀を手に取り、彼の前に相対した。


それを見て「どこからでもどうぞ」とルミィは平然と構えた。


剣を構えると、彼女の纏う空気感がキリリと音を立てるように変わるのに気づいた。


その変化にルミィは「ほぅ」と感心した。

同時に、これは真剣に相手をする必要がありそうだ、と気を引き締める。


相手の実力を見極めるつもりでルミィは相手の方から打ち込ませてみた。


俊敏なつむじ風を思わせる剣筋が向かってくる。

それを二回・三回と払いながら、そのまま受けていては剣先が更に食い込むように迫って来ることになる、と見極めたルミィは剣先を払った瞬間に鋭く踏み込む。

この動きに反応して彼女の踏み出す足さばきが鈍った。

それに乗じてルミィはディアナの胸元まで踏み込み、剣を持つのとは反対の左掌底で彼女の額をポンと突く。


軽い動作であったが、彼女は仰向けに引っ繰り返った。

何が起こったのか、彼女自身には分からないようだったが、父と師の驚愕の表情に、それがルミィの技による結果であることを悟った。


「もう一度」


「私の方は構わない」


ディアナはその後も繰り返し立ち向かうが、ルミィは彼女の敵う相手ではない。

何をどう変えても、素早くディアナの間合いの中に踏み込まれ掌で突かれてしまう。

遂に彼女は音を上げた。


「こんな屈辱ってないわ!剣で斬られるよりも嫌!」


そう言ってしゃがみ込んだ。


それを見て、息一つ切らさぬままのルミィが答える。


「私も部下の多くに稽古を付けてやるが、掌で突く相手は少ない。

大抵は打ち込んできた剣先を薙ぎ払い続けてやる。それで修練の進捗を見極めてやるんだ。

あなたの剣先は薙ぎ払い続けるには鋭すぎて反撃せざるを得ないのだ。そんな腕前の者は、部下の中でも一握りもいるかどうか。

剣の技術について私はお世辞を言わないが、ディアナは既に極めて腕の立つ側に立っている。そして、修練を怠らなければ、まだ強くなれる。

正直に言うと、お嬢の習い事だと見くびっていた無礼をわびなければならない。

自信を持っていい」


そう言いながら、ルミィは自分の部下をこんな風に褒めたことがないのを思い出した。


声をかけられたディアナはというと、うつむいたまま一心に何かを考え込んでいるようであった。


だが、それ以上にルミィの腕前を目の当たりにした年寄り達の興奮ぶりの方が尋常ではなかった。

自慢の娘が負けたことにガッカリするかと思えば、この喜び様は予想外だった。


ゴッドフリーはルミィが誰に師事してきたのかを執拗に聞いてくるし、それまでの落ち着いた当主の立場を忘れてクルツ氏も隠しきれない歓喜の表情で話しかけてくる。


「あなたのその腕前を見込んで是非とも相談したいことが出来ました。

ですが、そんな話は後にしましょう。これから歓迎の晩餐にご招待します」


ルミィは荷物の中から少しましな服装を見繕って着替えてから、案内されるままに食堂へ連れて行かれた。


そこにはクルツ氏だけではなく、ドレス姿のディアナとゴッドフリーも待っていた。


服装を替えただけでこうも雰囲気が変わるものかと、ルミィはディアナを青年と見誤った自分の眼力を恥ずかしく感じた。


そのディアナがルミィと目を合わせると開口一番にこう尋ねてきた。


「自分よりも強い人はいると思う?」


「もちろん、そんな人間もいるだろう」


「広く王都や他国に行けば、何人もいることになるのかしら?」


「自分よりも強い者がいる可能性は常に考えておかないと。

もちろん真剣を扱うような場面では、そのような人間には出くわしたくはない。

そんな状況は別にして、自分より強い相手がいると知ることで、より修練を積む意欲も出る」


ルミィのどうとでも取れる返事にやきもきしたようにディアナは更に尋ねた。


「現実にそういう人はいたの?」


「いる。

つい先日も、自分と同等かと感じる男と剣を交えなければならなかったし、自分では負けているかも知れない男とも戦わなければならない場面があった」


「勝てたの?」


「いや」


「負けたの?」


「負けないようにすることしか出来ず、勝負は決着しなかった」


「白黒付けなかったということ?なんで?」


「真剣での勝負は負けたら死んでしまうからだ。まだ、死ぬ訳にはいかなくてね」


ルミィの言葉にディアナは黙り込んだ。


生き残ることを考えて彼女は勝負したことがない。


ディアナの昂ぶりが醒めるのを感じながら言い足さずにはいられなかった。


「事ほどさように厳しい勝負もあると言うことだ」


ゴッドフリーが冷えた空気を何とかしたいと言うように言葉を投げてきた。


「ツェルク殿の剣の先生の名前を知りたい」


「もう知っている人はいないでしょう。

ニギリ・パヴェル師です」


ゴッドフリーは電撃に打たれたように身体を硬直させた。


「・・・・・・・・・・我が師、クレッサー先生の商売敵じゃ・・・・・・いや、しかし三十年も前に教えるのを止め、王からの招請にも応えることなく、どこぞに隠棲されたと聞く・・・・・・」


「私は物心ついた頃からニギリ先生のお宅に住み込みで修業に明け暮れました」


ゴッドフリーは考え深げにため息をついた。それからクルツ氏に言った。


「クレッサー先生の生涯最大の屈辱、御前試合での三本負けの相手がパヴェル師なのじゃ。三本勝負だから、二本取られた時点で勝負あったのに、クレッサー先生は一矢報いようと三本目を望み、そこでも完敗したのじゃ」


「先生はその勝負をご存じで」


「わしはその場におったわ!とはいえ、年端もいかない弟子であったから、負けた先生に付き添って道場に帰るしかなかった・・・・・・

兄弟子達は、先生の敵討ちとばかりに帰り道で襲撃しようとしたが、七・八人ばかりが打ち倒されたところで誰もが手出しをし兼ねているうちに逃げられたと聞いている」


それは逃げられたのではないな、とルミィは心の中で訂正した。

手出しをしてこないから帰っただけだろう、と。


「あの時ほど情けない思いをしたことは後にも先にもなかったな。

あの後、弟子も半分に減ってしまったが、なぜかパヴェル師が隠遁してしまったせいで徐々にクレッサー先生も評判を取り戻したのじゃ。

わしが免許皆伝を許された頃は、道場は以前よりも栄えておった」


ゴッドフリーは半ば羨望と半ば畏怖の気持ちのこもった目でルミィ・ツェルクを見つめてきていた。


「隠遁生活をされていると噂されていたが、あなたのような内弟子達を取っていたと言うことか」


「いや、私はニギリ先生と二人暮らしでした。親代わりと言って良いぐらいの間柄でした。他に弟子と言えるような人間はいませんでしたね。若い頃は先生とばかり剣の稽古をしていました。

厳しい師でしたが、そのような御前試合の話を本人から聞いたこともなく、先生が亡くなった後、王都に出てから、そんなことがあった噂話を耳にしたくらいで。

実際には私が十歳を過ぎた頃から、ニギリ先生は稽古で私に勝てなくなり、十三歳になった時から道場にも立たなくなりました。もう少し若ければ、こんな若造に後れを取ることもないものを、と言うのが先生の口癖になりました。

ですから私は十五歳も過ぎた頃には天狗になっていて、王都で一旗揚げようか、剣術師範になって貴族共から高額の報酬を巻き上げてやろうか、と考えるほどに不遜な男になっていました。

ですが王都に出て散々な目に遭いましてね。自分の技能を見直す機会になりました」


その話にディアナは目を輝かせたが、口を開いたのはゴッドフリーであった。


「だが、それ程の腕前ならば、騎士団や巡察隊からお呼びがかかるじゃろう」


「さて、そういう声がかからなかった、と言えば嘘になりますが、私は今の境遇に満足していますよ」


ゴッドフリーとクルツ氏の間で無言のまま何やら視線が交わされ、それからクルツ氏を促すようにゴッドフリーの顎が持ち上げられた。

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