第2話 イズノ村 その1 目を覚ます

男は突然に目を覚ました。

辺りを見回すと知らない部屋、見知らぬ人の顔、があった。


「目が覚めたか」という声に、男は身を起こした。


「痛ててててっ」と思わず呻き声が上がる。


彼がいるのはふわふわの布団が敷かれた寝床の中。

部屋はと言うと、一目で贅沢と分かる調度品に飾り付けられた部屋のようだった。


彼の顔を覗き込むようにしているのは、頭はすっかりはげ上がり、代わりにと言っては何だが、形を整えられた顎髭の老人だった。


「体中に打ち身の痕だらけ。後で青痣になるじゃろうから痛むのは仕方在るまい。骨は折れておらんようだから、直ぐに動けるようになるじゃろう」


その説明からすると老人は医者か。

男は問うた。


「覚えていないけど、何があった。

それに、ここ、どこ?」


老人はその問いに頭を下げて言った。


「わしは医師のゴッドフリーじゃ。あんたの身体を診るようには頼まれておるが、その質問に答える役は、この屋敷の主人じゃろう。

ほれ!」


とゴッドフリー医師が振り返りざまに声をかけると、すぐ後ろに立っていた若者が跳ねるようにして部屋を出て行った。


男が身を起こして布団を剥いでみると、そこには下着姿の自分があった。

床を出て立ち上がるが、打ち身の痛み以外には特に変わったところはなさそうだった。

よく見ると、寝床のそばにある衣紋掛けに上着やら乗馬ズボンやらが吊されている。

少し離れた小机には薄汚れた旅行鞄が置かれていたが、彼の長剣は見当たらない。


「立ち上がっても、ふらついたりはしないようじゃな」と、男の様子を見てゴッドフリーは安心したように言った。


そこで扉が開き、もう一人別の男が入ってきた。


若くはないが黒々とした髪を伸ばし、鼻の下にも顎にもつやつやと髭を蓄えている。恰幅に良い身体には瀟洒な上着を羽織られ、いかにも威風堂々とした身なりである。


「意識が戻られましたか」という声は張りのある低音であった。


いい声だ、と男は思った。


「私はこの屋敷の主、ベイル・クルツと言う者です」


「私はルミィ・ツェルク。

どうやらご迷惑をおかけしたようで。と言いましたが、一体何があったのか、覚えていないのです。

雨が降り出す前に街道で一悶着あり、それが片付いたと思ったら、馬が何かを恐れたように闇雲に走り出した・・・・・・私は馬にしがみつくのが精一杯で、・・・・・・・・・その後の記憶が・・・・・・」


ルミィ・ツェルクの説明にクルツ氏はちょっと戸惑ったようだった。


「ツェルク殿はどちらから参られました?」


「聖アスカ王国」


「おや、ツェルク殿は平民ではないでしょう?一般庶民で聖アスカ王国と呼ぶ者は珍しいですから。私はアスカ王国と呼びますが、中には只アスカと呼ぶ者もいる。

公職にお就きですかな?」


「いや、商売柄、公職者と付き合いが多いので、そのように呼び慣わしているだけです。私は剣術の師範をしていて、今回も求めに応じてカムワツレ王国へ向かう途中です」


この言葉に医師が過剰に反応したように思えたが、果たしてルミィの気のせいだったであろうか?


「馬が恐れをなしたようだと言いますが、アスカ王国からの方角だと『森の怪物』だったかも知れませんな」


「森の怪物?」


「いえ、言い伝えなのです。『常世森』の北側には人を食らう怪物が棲んでいる、と。身の丈二十尺にも及ぶ巨体ながら、暗闇を音もなく忍び寄り、鋭い爪と鋭利な牙で獲物を捕らえる、というのです。獰猛なことこの上なく、一度襲われたなら誰であろうと助からないと言われています。

年に数人の行方知れずが出ますが、その怪物のせいだと噂する者が少なからずおります」


その時、ルミィは急に思い出した。嵐の中で木々がざわつきだし、得体の知れない気配が迫ってきたのを感じ取ったのを。


「思い出した。嵐の中で森をかき分けて何物かが近づいてきていた。あれがそうか?」


クルツ氏と医師のゴッドフリーは顔を見合わせた。


「怪物の真偽は分かっておりません。見た者はいませんし、迷信深い連中はこの話自体をするのを嫌いましてね。その話は取り敢えず、ここだけの話にしておいて下さい」


「どうして?そのような怪物がいるのなら退治する必要が出てくるだろう」


「不確かな言い伝えで、何をどうしろとおっしゃいますか。村には村で、もっと厄介な問題が常にあるのです。

確かに『常世森』はこのイズノ村にとって存在自体が厄介です。それは怪物が潜んでいるからよりも、山賊の隠れ家であるからなのです。

怪物の被害は年に数人しかいませんし、その怪物を確かに見た者もいません。その一方で山賊の存在こそは確実なのです。

村にとって年に数人は問題なのかどうか、はっきり致しません。ですが山賊の被害は甚大。辺境の村々にとっての問題はそちらの方でしてね」


怪物を見た者は話す口がないだけではないのか?目撃者が全て死んでいるから、問題はなかったことにしてもいいのか?


ルミィ・ツェルクは少し黙って考えたが、自分がここではよそ者に過ぎないことを思い出した。

そんな立場でどうこう言う話でもないか、と自分を納得させた。


「確かに私自身も、嵐の前に五人組に襲われたが、あれが問題の山賊だったか?」


「おや、有り金を巻き上げられませんでしたか?

それは、山賊ではありませんね。山賊も怪物が怖いと見えて、森の北側には行きません。

『常世森の山賊』は南の森をねぐらとし、この街道だけでなく、カムワツレ王国の辺境の村々までも脅かす恐ろしい連中です。

五人組と言えば・・・・・これは噂で聞いていますが、村はずれに住むランドルフ一家が小作人どもと旅人から金品を巻き上げているとか。彼らはあくどく強欲な乱暴者一家で、村からは爪弾きにされています。農作物の取引もままならず、今では農地も荒れ放題。おかげで、そんな稼ぎに手を染めたと言われています。本当なら、お恥ずかしい限りです」


「いや、おそらくは彼らが悪事を働けるのも昨夜限りのこと。

今頃は罪を後悔しているでしょう」


「それはどういうことです」


「彼らを散々に痛めつけてやりました。もう五人組の噂を聞くこともなくなるでしょう」


「それは・・・・・・・・・ツェルク殿は相当な剣の使い手らしいですな」

「相手が弱かっただけですな」


この言葉に医師だけではなく、クルツ氏の側で控える若者の目が輝くのをルミィは見逃さなかった。


だが、ルミィはそのことに気づいた素振りを見せずに、先ずクルツ邸に自分が運び込まれたいきさつを尋ねた。


「雨の中を馬が駆けてきましてね。暴れ馬かと思いましたが、その馬が私の屋敷の前に来るや、力尽きたようにぶっ倒れました。あなたは路上に駆けてきた勢いのまま放り出され、気を失ってしまったという訳です。

この屋敷は街道の分かれ道からイズノ村への入り口に位置していまして、村を初めて訪れる者達の相手をするのには慣れています。ですが、屋敷の前に馬から放り出されて昏倒して訪問された方は初めてですよ。

それにしても、それ程の腕前の持ち主だとは、噂になると代官から用心棒への誘いが来るかも知れませんな」


「それは、どういうことかな?」


「代官はこの村では嫌われ者でして、敵が多いのです。そのせいで、自分が村人から乱暴をされるのではないか、と疑っているのです。それで、名だたる剣士を用心棒に三人も雇っているのです。

私共の方こそ、代官からいろいろと理不尽な扱いや要求を受けているというのにですよ」


この手の話には深入りしない方が良いか、とルミィはそれ以上質問せずに聞き流した。


ルミィが興味なさそうにしているのを見て取ると、ゴッドフリー医師が尋ねてきた。


「時にツェルク殿は、剣術は誰に師事されたのじゃ?

実はわしはアスカ王国の都でクレッサー先生に弟子入りして免許皆伝を許され、この地で剣術指南もしておる。とは言っても、このような辺境の地ゆえ、剣術を習いに来る者などおらず、こうやって医術で生業を立てているのじゃ」


「衛士隊の指導を引き受ければ、代官の覚えもめでたかったであろうに」とクルツが皮肉めいた口調で言う。


「いや、向こうはこんな年寄りは雇いたくないと、態度に隠してもいなかったわい。

おかげでカムワツレ王国から招かれたのがデトラ・フーゼスという男じゃ。相当な手練れで、代官の用心棒もやっておる」


「衛士隊と用心棒は違うのか」とルミィ・ツェルクが口を挟んだ。


クルツ氏はすかさず答える。


「衛士隊は村で維持している治安と自衛のための組織じゃ。代官の指揮の下にあるが、私兵ではないから代官の個人的な用向きには使用できん。用心棒は私兵だから、代官が自由に使える――と言うのが建前じゃ。代官が自分の商隊の警備に衛士隊を使い出してからは、その境は曖昧になるばかりじゃわい」


「なぜ、そんな批判を受けかねないことを代官はするのです」


「金じゃ!儲かるからじゃ」

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