夜の怪物~聖アスカ王国辺境の物語

紗窓ともえ

第1話 北から来た剣士

風が強くなってきた。


原野に生い茂る草が風に吹かれて波のようなうねり、どこまでも揺れていく。

馬上の男はマントを胸元にたぐり寄せるようにしながら、不安げに空を見上げた。

上空では雲が凄まじい速度で風に押し流されていくのが目に入る。


手つかずのように見える原野の中にも人が行き来できるような道が貫いている。

いや、道と言っても人通りが少ないためか、路上にはそこかしこで草が生えているし、路面も石が剥き出しになりこぼこもしている。

ほとんど獣道に近い状態と言えば良いだろうか。


馬上の主は既にこんな原野の中の道とも言えない道を二日も進んできており、昨夜も野宿して仮眠を取っただけだった。


前の宿で聞いた話からすれば、そろそろ目的地に着いてもいい頃である。


行く先を尋ねた時の宿の主人の顔を思い出すと、男は自然と笑みが浮かぶの感じた。


主人は驚きを隠さずに「おやめなせぇ。あんな奥地に行くことはありますめぇ。『常世闇の森』近くと言やぁ、山賊が出ますぜ」と吐き捨てるように言ったのだ。


「この聖アスカ王国の中で山賊が跋扈するなんて初耳だな。王都に戻った際には政府に訴え出て征伐してもらうとしようか」


「お客さん、アスカ王国にわざわざ聖をつけて呼ぶような奴はこんな辺境じゃあ誰もいませんぜ。ここはそんな王国の辺境でさ。

この村が辛うじてアスカ王国のギリギリの外れ、東方の辺境にして国王の権威らしきものの及ぶ限界でさ。こっから向こうは、法や統治の及ばねぇ辺境地域。だからこそ『常世森(とこよもり)』の山賊なんていう代物が跳梁跋扈するんでさぁ」

主人は男のマントの下から突き出た長剣の鞘を盗み見ながら付け加えた。

「腕に自信がおありでも、死んじまっちゃぁお終いでさぁ。一人で行くのはおよしなせぇ」


「ここまでだってレニ河沿いに森の中を遡り、四ー五日も野宿してきたんだ。この先の原野にそれほどの違いがあるはずもなかろう」


「おやおや、お客さんは外国の人間ですかい?

アスカ王国と言やぁ、王都には近衛騎士団、領内各地域には腕自慢が選りすぐられた巡察隊が警邏して回り、治安に関しちゃあ諸国随一ですぜ。この宿だって、一旦事あれば直ぐに巡察隊が飛んできますし、もしも他国の軍隊でも見かけようものなら、精鋭中の精鋭揃いの近衛騎士団が駆けつけまさぁ。

おかげでこんな辺境地でも、家族揃って安心して暮らしていけるという訳で」


「そんなありがたい講釈を聞かされても、こっちは目的地に辿り着かなきゃ用事が済まないんだ。一人で行くなと言われても、誰も一緒には行ってくれないのだろう。だったら他に選択肢はないじゃないか」


「ですがお客様、私はお止めしましたから、後でこんなはずじゃなかった、なんて言いっこなしですぜ」


「そう思った時には、私はこの世にはいないということさ。なら、ご主人が案ずることはないよ」そう言って男は声も高らかに笑ったのだ。


それがどうだ、と男は毒づいた。

こんな獣道を幾ら進んだって人里らしき気配も出て来やしない。

この上、雨でも降ってきたらどうする。

一体どこで雨宿りできるのだ。

数え上げたら不満の種は少しも尽きそうにない。


と不満たらたら考えているうちに森が開け、整備された街道に出た。


道幅も広がり、路面が整地されている。

その一方では、右手からは森深く木々の生い茂る山が迫って来ており、道を隔てた左手には相も変わらず原野が広がる。


人里を感じるにはもう少し進む必要がありそうだ、と考えた時に急に馬がいななき跳ね回りだした。

男は必死に掴まりながら、馬をなだめる。

ややあって馬は落ち着きを取り戻したようだが、そこから立ち止まったまま頑として動こうとしない。


どうしたんだ、と馬から降りてみて分かったことは、足元に縄が張られている。

約半尺の高さと言ったところだろうか。


こんな子供のいたずらのような罠でも引っかかれば被害は甚大である。

馬が転倒して骨折するかも知れないし、打ち所が悪ければ騎乗の主も大怪我を負うかも知れない。


ただし、これがいたずらでないとすれば、近くに罠を仕掛けた奴がいると言うことになる。

男は宿の主人の言葉を思い出さざるを得ない。


「常世森の山賊」


とは言え、辺境に悪名を響かせる山賊が、一介の旅人に群れなして襲いかかる計画などを立てるであろうか。

考えられるとしたら山賊の下っ端が小遣い稼ぎに追い剥ぎ紛いのことをしているのか、それとも本当に只の追い剥ぎ、といったところか。


男がそこまで考えを巡らしながら周囲を窺おうとしたまさにその時、茂みをかき分ける音と共に厳つい男共が姿を現した。

その数、五人。

彼らは手に手に危険な得物を持っていた。


男は降りてきた馬の方を振り返りもせずに、五人の男に鋭く視線を走らせた。


「おい!」と五人のうちの一人が大声で凄味を効かせてきた。


「おうよ!」と男も負けずに大声を出した。


その声の大きさに五人は驚いたように見えた。


「何おぅ」と一人が言い返してきたが、男は黙って次の言葉を待った。


「おい」とまた最初の一人が言い、更に近づいてきた。

他の四人は男の行く手を塞ぐように間隔を取って並び立った。


「この先に行きたいのなら、通行料を払ってもらうぜ」


「ほう、そりゃ面白い。そいつはいったい幾らになるんだ?」


「なんだ、びびっているのか?通行料ってのはな、有り金全部と相場が決まっているんだ!」


「高すぎるだろう。こっちはこの先も旅を続けなきゃならないんだ。理に適った値段を言えばお互いに無傷で済むのに。

有り金全部じゃあ、払う訳なかろう」


「そんな事、俺たちの知ったこっちゃねえ!」


「こっちだって、お前等の言い値なんぞ知らねえなぁ。元より、びた一文払う気はないしな」


「痛い目に遭わないと分からねえようだな」


「痛い目に遭うのはどっちだ。

・・・・では実力行使と言うことで了解だな」と、今度は旅の男の方が凄味を効かせるように低い声で言い放った。


「当たり前よ!こちとら、さっきからお前をぶちのめしたくてうずうずしているんだ」


彼が言い終わった瞬間、男のマントの中からは抜く手も見せずに剣が閃き、近づいてきていた一人目をあっと言う間もなく切り裂いていた。

悲鳴だけを残して、彼はそのままドサリと倒れた。


残りの四人が身構えた時には、もう男は手近な左端の男の近くに駆け寄り、真っ向から剣を振り下ろしている。

二人目は声を上げる間もなく倒れ込んだ。


すぐ隣の三人目が怯んだのを見るや、男は瞬時に剣を構え直し、三人目の男が勢いなく突き出してきた鎗の穂先をかわしながら、深々と剣の切っ先をその鎗を持つ腕に貫き通した。

素早く剣は抜いたが、三人目は痛みの余り武器を取り落とし、苦悶のうちにのたうち回る。


男が睨みつけるや四人目の男は一歩後ずさった。


と見るや、男は振り向きざまに剣を横一線に薙ぎ払い、素早く横に身をかわした。

そこには後ろから鉄の棍棒を振り下ろしてきた五人目がいたが、その棍棒は空を切り、真一文字に腹をかっさばかれて振り下ろされた棍棒の勢いのままに倒れ込む。


男は素早く剣を構え直して振り返った。

最早、一対一。


「まだ続けるか?」と問いながら、男は不敵な笑みを浮かべる。


「勇者になる気なら、お相手しよう」


その言葉に残った一人は武器を放り出し、腕を刺されてのたうち回る男に肩を貸して立ち上がると、引きずるようにして茂みに逃げていく。


その様子を見届けるまで男が緊張を解くことはなかったし、相手が仲間を連れて戻ってくる可能性も忘れはしなかった。

地面に張られたロープを一刀両断すると、男は剣を収めて再び馬上の人となった。


雲は更に厚く垂れ込め、前にも増して風が強くなってきている。


「これは雨の予兆か」と男が呻く間もなく、遠くから雷鳴が聞こえだした。


「こんなところで嵐では、野宿も出来んな」


馬がブルッと身を震わせ、足取りが乱れだした。


強い突風が通り抜け、森の木々をざわつかせている。

その騒がしい音の中に、得体の知れない気配を男は感じ取った。


「馬が落ち着かないのはこれのせいか?

あいつらの仲間が戻ってくるのか?」


馬については是であろうが、追い剥ぎの仲間については否である、と考える前から男には分かっていた。

あの追い剥ぎの仲間如きで彼自身が不気味なものを感じるはずもない。


急に強い雨が降り出し、激しい雨音に周囲の様子が分からなくなった。

あの得体の知れない気配はどこだ、と男は焦った。


その時、直ぐ近くで雷鳴が轟いた。

同時に茂みの中で何物かが動き出す音。

いや、突風が吹き荒れ、木々のざわめきがうるさ過ぎて、辺りで何が起こっているのか全く分からない。


次の瞬間、馬が棒立ちとなり、次いで猛然と走り出した。


男はただ、振り落とされまいとしがみつくばかりであった・・・・・・・・

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