第16話、恋心乗せるドルフィン


 北部輝士養成校シード


 光神シリウスの〈王国誕生キングダム〉により現界した九つの『都市』の一つである“北部都市ノースドゥン”にその施設はある。


 光の加護を受けし純白に聳える建造物の数々は極めて神秘的で、住民達でさえ未だ見慣れることはない。


 シードの施設も同様で、都市を象徴する淡い桃色の華が咲き誇る樹々が整然と並び、狭き門である未来の輝士達を温かく見守る。


 本日は対人戦の催しの日。ヤード出身者は対人戦に秀でていることもあり、ビースト戦で優れるカニラ民に目にものを見せようと胸を躍らさせていた。


 都市戦を想定して室内に作られた障害物などのあるフィールドで、武器を手に赤と青軍に分かれた複数のチームがぶつかり合う。


 指揮輝士候補が輝士候補へ指示して、四人チーム同士で競い合う。催しと言えど実戦形式で、模擬剣がかち合い火花が散る。


 不参加は一つのチームのみ。実力的に一つも二つも頭抜けている彼女は、三階観覧席からフィールドを見下ろしていた。


 揃って並ぶは、赤髪の貴公子と謳われるヤードを統治していた元四代表の跡取りと、現ヤード代表議員の娘であるシルヴィアだ。


「……シルヴィア、間に合ったところ悪いんだけど君の出場は控えるべきと僕が判断したよ。申し訳ないね」

「構いません」


 一つ年上で三期生のディーノ・レミントンがいつもの爽やかさを感じさせながらも、後ろめたさを滲ませる微笑を浮かべてシルヴィアに告げた。


 シルヴィアから受け継ぎ、北部シード代表である上に既に輝士ナイトの位を授かり、彼女に迫るのではと言われる次代の希望……に相応しいと、目にした誰もが思うだろう。


「《光神紋》直下の使途、九輝将クラウソラスか……。……昔から知っている君がいつの間にやら高嶺の花になってしまっている。いずれ指揮輝士で功績を積み、空席時には必ず選ばれてみせるから、君は高みで見ていて欲しいな」

「へぇ、そうなのですね。それはともかく、この対戦カードはあなたが?」

「うん? そうだよ? 主な選出は僕で、教官と会議で話し合った上で決定した」


 昔馴染みであるディーノとは何度も顔を合わせ、グランキュリスに相応しい人格者であることは疑う余地もなかった…………筈なのだが、今では強い違和感を覚えている。


「ヤード出身の輝士ナイト候補が有利になるような意図を感じます」

「……それは、そうかもしれないね。否定はしない……」

「この催しの成績は輝士選出にも影響するものであるのに、公平性を欠いたのですね」


 平坦な口調にも声色低く苛立ちを表し、不正と言えないまでもヤード優遇の核心を突く。


 手元の資料を一目見るとシルヴィアの目には一目瞭然であった。バランス良く振り分けられているように見えてその実は対人成績で優秀なヤード出身者が確実な成果を上げられる対戦相手が組まれている。


「一体どうしたんだい……? 最終的に必要なのは公平性ではなくて、国軍自体の戦力上昇だろう? 考えてみれば明らかじゃないか」

「これがお国にとっての利益に繋がるとは思えません」


 先日までは自分もこうであったのだろうか。必然的にヤード出身者はカニラ出身者よりも優秀で、上層部へ上がるべきは品格高い自分達であるべきだと。


「……もしかして、例のシリウス様の弟に何か言われたのかい?」

「巷で蔑まれているような人ではなかったわ。少なくとも今回、問題があったのは私の方ね」


 私的に会う時の口調に戻ってラストを擁護するシルヴィアを目にして、ディーノは眼差し鋭く追求を続ける。


「……あの男に何かされたんだね? 詳しく話してくれないか。必ず力になるよ」

「あなたは話を聞いていたの……?」

「はぐらかさないで真剣に答えるべきだ」


 取ろうとした手も避けられ、席を立つシルヴィア。


「誤解をしないで欲しいのだけど、あなたとの会話が苦痛だから退席するわ」

「……“誤解をしないでほしいのだけど”……“あなたとの会話が苦痛だから退席する”……? …… “誤解をしないでほしいのだけど”……“あなたとの会話が、苦痛……だから退席する”……」


 何度となく解読し、理解してポジティブに内容を捉えようとするも、一向にシルヴィアの真意が見えて来ない。


「…………っ、ちょっと待ってくれ」


 わざわざ二人きりになる為に観覧席を貸し切ったディーノは、機嫌を損ねたシルヴィアを宥めようと慌てて後を追い立ち上がる。


「――ここにいたか、シルヴィア」

「っ……!!」


 ある一点が光量著しくなり次第に弾け、小さな人影が生まれる。


 滅多に頭を下げることのないシルヴィアとディーノが、その神々しい姿を前に即座に跪く。


 シルヴィア等だけではない。忙しなく廊下を行き交っていた全ての民が、神の降臨に首を垂れていた。


「お許しを……。お越しになられるとは知らず、面倒をお掛け致しました」

「謝る必要などないさ。驚かせようと思って来たからな」


 俯くシルヴィアへ見えるように、ある二つの物を差し出した。


「っ…………」

「君のものができた。今後は堂々と名乗るといい」


 それはシリウスの将である証の、神血を練り込んだ白と金の剣であった。


 煌びやかであると共にデザインの方向性として『翼』をしっかりと感じさせる最上級の逸品。


「これを受け取った瞬間から君は、九輝将だ」

「身に余る光栄です……っ」


 手に取って改めて感じる神威の片鱗。神が持つ力のほんの一粒を再現できる破格の剣が、今しかとこの手にある。


 床を見つめる他の者でさえ、肌を刺す冷気にも似た剣の神気に畏怖していた。


「もう一つ伝えておく。例の任務だが、ラストと話した感じだとあいつは一人で向かうつもりのようだ」

「…………」

「もう剣も授けたから無理をする必要はない。だが追うのならラストが通りそうな道筋を教える。……どうする?」



 ♢♢♢



 相談の最中に突然に現れた美女に困惑していた店主だが、次第に顔を顰め始めた。所作や雰囲気が察するに足るものであった。


「……おい、こいつヤードの奴か?」

「っ…………」


 豹変した店主の昏い様子に、堪らずシルヴィアが息を呑む。


「あんたはあっちに行ってろ。お陰で事件が解決しそうだから見逃してくれ」

「……ちっ、早く出てってくれよ」


 ラストが声色低く忠告すると、店主はシルヴィアにあからさまな嫌悪感を示して厨房へ帰っていく。


「…………あの、私は何か、あの人の気に障ったの?」

「言っただろ。お前等が思ってるより今もヤードを憎んでる奴は多い。裕福そうで上品な奴は特に嫌われる。ここまで一人で来たのか?」

「オルカは……近くに待たせているけれど……」

「自分の力を過信するなよ。お前がいくら強くても不意を打てばやりようなんていくらでもある。特に女は酷い目に遭う事も多いからな」

「えぇ、ありがとう……」


 殊勝な態度…………と言うよりは、これまで自分とは無縁だった嫌悪や憎悪とカニラらしい空気に戸惑っていた。


「ここのおっさんはまだマシな方だ。街を歩いていていきなり殴られても……陰へ連れてかれて殺されてもおかしくない。フードは常に深く被ってろ」

「分かったわ……」

「やる事やったら急いで街を出よう」

「…………そうね」


 ラストの言葉を証明するように、街を行くシルヴィアの綺麗な装いは注目を集め、鋭利な眼差しが四方から集まる。


 優しい面持ちで談話していた妙齢の女性等も、子を寝かしつけて窓を閉めようとしていた年若い夫婦も、屋台に集まる気の良い大人達も。


 皆がふと表情を失い、道行くヤードの臭いのする女に注視する。酷く冷たく、恐ろしい世界へと変貌している。


「…………」

「目を合わせるな。あっちから来ても俺が対応する」

「え、えぇ……」


 一刻も早くこの場を去りたい。逃げ出したいと思ってしまった。


 自分でこれだけ怖く感じるなら、幼き身ならばそれは想像を絶する。


 何も知らなかった。ヤードについてもカニラに関しても、自分は何も知り得ていなかった。



 ♢♢♢



「わざわざ来なくて良かったのに……」

「…………」


 呟きに反応して飛空車ドルフィンの側に立ち、眩しい顔面で睨み付けてくるシルヴィア。元気になったようなので無視して出発の準備をする。


 むっとした顔でも綺麗な奴は綺麗なんだな。行きつけの酒場の娘なんて怒ったら普通に鬼だったのに。


「……あなたに悪口を言いたくて仕方がないわ」

「みんなそう思ってもぐっと堪えて胸に留めて生きてるんだ。特に本人の前で言うなんてのは有り得ない。傷付けてしまうかもしれないからだ」


 この街の暗い部分をシルヴィアの権限で一掃できたというのに、また面倒な事態に見舞われている。


 将来的ながら九輝将に正式に任命されたのをいい事に、『悪党と繋がっていた疑惑がある。逃げても無駄。如何なる理由があっても調査官を呼びに行ってもらっているから身動きせずに待て。身動ぎ一つせずに』と、心身が凍結するんじゃないかと言うくらいに冷めた眼差しで脅していた。


 戻って来たオルカはちゃんとした輝士や兵士を連れており、任せても良さそうと判断して先を急ぐことに。


「そもそもこれは私が拝命した任務であって、あなたはただのお手伝いでしょう?」


 だから憂いなく街を後にできると思ったのに……。


「あなたにも少しは知能があるのではと思った矢先にこれよ。一人でマーベリックに相対すなんて死にに行くようなものよ。誰だって分かるわ、そうでしょう?」

「えっ!? じ、自分でありますか!?」


 通りがかった新人兵士を巻き込むなよ。シルヴィアの美貌を正面から受けて、一瞬で顔が真っ赤になってしまった。


「え、えぇ、何のことか存じ上げませんが自分は賛成でありますっ!!」

「見た目に騙されるな。そいつは姫様じゃなくて、どちらかと言えばハリネズミだ」


 ツンツンしてばっかりだからな。


 自分とシルヴィアの分の荷物を乗せて、夜も深くからドルフィンに跨がる。


「そう、あなたには私がお姫様に見えているのね」

「一般的にって話だ。さっさと乗ってくれ」


 蠱惑的な笑みを微かに浮かべて揶揄うように言うシルヴィアに、早くも溜め息が出そうになる。


「時間も遅いから少しの間は後ろで我慢してろ」

「……このような場合の作法を知らないのかしら。カニラでもほぼ同様だったみたいだけれど」

「いや、それは…………ほら」


 変わらず悪戯っぽく微笑を向け、手を差し出すよう催促される。


 俺は知っている。これは『ウソ〜っ、お前の助けなんていらないよ〜』とかに繋がっていることを。そして笑いながら『何だよそれ〜』とか返しながらもちょっと傷付いちゃったりするものだ。酒屋のおっさんがそれで泣いたって言ってた。


「どうもありがとう。やればできるじゃない」

「…………」


 普通に手を取って後部に乗り込んでしまった。俺の心が汚れているとでも言うのだろうか。


 ……認めない。


 左右に何かの畑が続く深夜の街道を、ドルフィンが疾走する。今夜は月が大きく、灯りに困らないので比較的安全に目当ての都市に辿り着けるだろう。


「……本当にあの犯罪者達を一人で倒したの?」

「街の奴が協力したに決まってるだろ」

「嘘ね。街の人達から事情を聞いたという兵士が教えてくれたわ。お礼を言っておいて欲しいと何人もの人が声をかけてくれたそうよ」


 なら訊くな。


 受ける夜風に肌寒さを感じるが、俺としてはこの速度のまま一刻も早く身体を休められる場所に着きたい。


「輝士隊が二部隊以上は必要と見たのだけれど、やっぱり強いわね」

「お前なら無傷で勝ててただろうな」


 俺のような力押しではなく、技量で必要最低限の被害に抑えて勝っていただろう。


「あなたが訪れてあの街の人達は幸運ね。通常ならすぐに輝士隊が派遣される規模の街ではないのだから」

「今日はよく喋るな……」

「今も……私の為に都市へ向かっているのでしょう?」


 嫌悪を向けられて落ち込んでいたシルヴィアの為というより、衛生的に不安があるあそこで寝ると蕁麻疹とか変な虫に刺されるかもしれない。それで機嫌を悪くしたこいつと行動する気になれないからだ。ストレスだもの。


「……お前、シリウスになんか言われたな?」

「いいえ、何も」


 そんなわけあるか……、いくら何でもそれくらい察しが付く。


 大方、仲良くした方がいいとか、弟をよろしくだとか、それとなくシルヴィアを思っての助言を伝えられたのだろう。


 〈混沌育む無窮の器〉は十分に成長したが、一人の方が権能の実験とか鍛錬が捗るのにどうしたものかと嘆息する。


「……いい加減にしてもらえる? こんなに謝っているじゃない……」

「いつっ? 一回でも謝罪があったのか!?」


 こいつが言うには俺はどうやらこの女の謝罪を何度も見落としていたようなのだ。


 前方を注意しつつも驚愕に背後のシルヴィアへ何度も視線を向ける。


「周りの雑音に左右された事は謝るわ。でも歩み寄ろうという私の…………」

「何だ、最後まで言え。聞いてやる」

「……いえ、大したことではないのだけれど、いま初めて謝ったのかもしれないわ」

「だろうなっ!!」



 ♢♢♢



 ふと気付く。


 シルヴィアは自分が軽くでも男性に抱き着いている現状に思い至り、驚きに言葉を詰まらせてしまっていた。


「何だ、最後まで言え。聞いてやる」


 乱暴な言葉遣いである筈なのに、そこに確かな優しさを感じる。この移動もそうだが、あれだけの態度をしてしまったにも関わらず何事もなく会話もしてくれている。


「……いえ、大したことではないのだけれど、いま初めて謝ったのかもしれないわ」

「だろうなっ!!」


 優しさや愉快さもあるのか、とても居心地が良く心が温まる。


 想像よりも大きな背中をいつの間にか見つめていた。


「…………この間はディーノがごめんなさい。昔から暴走しがちなのよ」

「そうか」

「それとディーノと交際しているというのは全くの誤解だから、訂正させて」

「なんだよ、お似合いだったのにあいつの何が不満なんだ?」

「不満なのではなくて……いえ不満も数え切れないのだけど、単純に今まではそのような感情を覚えたことがなかっただけよ」

「年頃なのに珍しいな」


 今まで感じたことのない鼓動の高鳴りを感じる。


「…………」

「寒いのか? 何か着るものがあるなら一度止めるぞ」

「いいえ、結構よ。あなたを風除けの盾にするから」

「あ、あぁ、そうか……」


 身を寄せ、少しばかり強く抱き締める。


 はしたないとヤードの者達は言うだろう。何より自身がそうであった。夫となる者以外への男性へのこのような大胆な行いは、ヤードの淑女には考えられない。


「いい夜ね……」

「こんな深夜の移動は今後控えたいけどな」

「提案があるのだけど、あなたの走りは見事だからもう二つ先の都市まで走ってみてはどうかしら」

「なんの刑罰っ?」


 家族といた時でさえ微笑んだ覚えなどないのに、今宵はどれだけ唇が弧を描いただろう。


 静かな夜を行くこの時間が、いつまでも続いて欲しいと願う。

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