第12話、シルヴィア訪問
早朝から場違いな姿が平均的な住民の住まう住宅街にあった。
ぽつんと建つ一軒家の前で、一目で上品と分かる身なりの美女がノックをする直前の姿勢で固まっていた。
「…………」
これまでの自らの言動を思うと合わせる顔がないながらも居ても立ってもいられず、ラストの家までやって来ていたシルヴィア。
凍てつく美貌で停止したシルヴィアを、たまに通る人々は何事かと注視している始末だ。
「…………」
やがていい加減に意を決して、ノックを三つ。
『……酒ならまだある』
勘違いをしているようだが、出て来なければ話ができないと仕方なく再びノックをする。
ココココココココココココココ……。
いざ会うとなると緊張してしまい、連打する形になってしまった。
すると物凄い勢いで、明らかに気分を害した様子の足音が近づいて来る。
「――ニワトリ気取りかっ、この…………」
「ご機嫌よう、いい朝ね」
拳骨の一つも辞さないとばかりの形相であったラストが扉を開け放つも、目の前の自分を前に眉間に皺を寄せる。
すぐに不信感からか目付きは鋭いものへ。
正当ながらその警戒する表情一つに、凛々しさを崩さないものの密かに胸が痛む。
「なんだよ……」
「入れてもらっていいかしら」
「……好きにしろ」
ぼさぼさの頭で中へ戻るラストを追い、こじんまりとした家へ入っていく。
ゆっくり歩みながら中を見回す。
それだけで把握できてしまう程に、家の中には物が少なかった。
「ベッドに、小さな棚に……テーブルが一つ」
それだけだ。キッチンらしき場所に雑に食料などはあるが、他に見当たるものはない。
「話があるなら早くしてくれ。椅子でも何でもご自由に。ただそこの窓のやつには手を出すなよ」
「……何故かしら。こんなところに置いておくと日光で痛むわよ?」
「口出ししないでくれ」
窓枠に置かれたパンにハム、そして水が入っているらしきボトルが一つ。
不自然極まる行動に眉根を寄せるも、シルヴィアは……途中であったのだろう。独自の鍛錬を再開したラストへ目をやる。
「……っ…………っ……」
片刃剣の刃を上に先端のみを床に突き、腕立て伏せを繰り返している。
本来の腕立て伏せの負荷に加えて尋常ではない握力に手首の力が必要だろうが、ラストは既に何回もこれをこなしている。
「……トレーニングをしているの?」
…………。
「……トレーニングをしているの?」
…………。
「……トレーニングをして――」
「トレーニングをしているだろ! 分かるだろ、それくらい!」
無視を貫けなくなったラストが跳ね起き、背後のシルヴィアへ仕方なく答える。
「……口煩いシリウスに時間がある時は鍛えろって昔から言われてるからな」
「…………」
「だからもう邪魔するな。
もう相手にできないとばかりに、次は剣を逆手に持ち替えて同様の腕立て伏せを始めた。
今度は切っ先を左右に広げて行っている。いくつかのパターンを考えているようだ。
汗ですっかり湿っている半袖から覗く腕や肩などの身体付きは、一朝一夕で作られるものではないと分かる。彫られたように無駄のない膨らみある筋肉。前腕などは双剣を振るうに適した強靭な握力を容易に想像させる分厚さであった。
表面にチラリと見えた痛々しい噛み跡のような傷に紛れ、数多の古傷が散見できる。
「…………ふぅ」
起き上がり、次には軽めの素振りを始める。
「っ……、っ…………」
「…………」
トレーニング後とはとても思えない。風切り音は自分のものよりも遥かに重々しく、力強い。
見る目の無さに、自分自身に失望していた。
「…………」
その全身にはまだまだ痛々しい古傷の痕が刻まれている事だろう。切り傷や火傷の痕など、様々だ。
シリウスから語られた過去が、こうして証となって目の前に残っている。
そしてやはり注目してしまうのは真新しい咬み傷。一際深いのが肩にあるものである。それは他ともサイズが比べ物にならず、まるで人狼型にでも噛まれたかのようだ。
「…………あの男…………」
聡いシルヴィアはある噂から直ぐに察した。
次代の英雄としてクリードの名前が上がっている現状に、高潔なシルヴィアの視線が厳しくなる。
「そんなに嫌いならなんで来た……」
「っ…………」
「何で中まで入った。伝言か手紙で良かっただろ……」
自分が睨まれていると勘違いしたラストが、首を傾げながら着替えを終えて出て来た。
「あぁ……シリウスからの重要な連絡かなんかか?」
「そうではなくてっ――」
自然と漏れ出た言葉を遮り、勝手口のドアが大きく鳴り響く。
『おい、ラスト!! また荷車が溝にハマっちまった!! あの頑固者を更生させるの手伝ってくれぃ!!』
外から響くその大声に、頭を掻きむしったラストは苛立たしげに歩みながら叫ぶ。
「お前っ、いつになったら学びを得るんだ。お前は溝の神様に呪われてるんだよ」
『あそこ曲がんのが一番早いんだから仕方ないだろ!』
「だったらもう住め、溝に住む覚悟で通れ」
文句を言いながらも勝手口から外へ出る。
直前に一度だけ、そこで待っていろとシルヴィアへ指差してから、近くで停滞している荷車へと向かっていった。
(……慕われているのね)
この時間だけでも多くが知れるも、謝罪の切っ掛けは上手く掴めない。
とりあえず椅子に座ってラストを待とうかとテーブルへ身体を向けたシルヴィアだったが、思いも寄らない光景を目の当たりにする。
「…………」
窓枠に置いてあった食べ物を、小さな手が外から生えて掴み取っていってしまった。
三つのパンに……大きなハム、ボトルまで少しずつ、もたもたしながらも慣れた手付きで窓枠の下へ消えて行く。
「…………?」
当然ながら気になるシルヴィアは、玄関から外へ出て窓の外側へ向かう。
角からこっそりと路地裏を覗いてみる。
すると…………数人の子供達が、担当を決めながら一つずつ抱えて持ち帰ろうとしている場面に遭遇する。
「ちょっと食べていい……?」
「し〜っ! ……ダメ、帰ってみんなで分けるのっ」
一部始終を見られているとも知らず、慎重に忍びながら路地の向こうへと移動する子供達。
(……あの子達はもしかして孤児院の……)
そこへ不運なことに、大人の男性が通りがかり子供達と出会してしまう。
「……ん? おう、今日は早いな。さっきそこにラストがいたから見つからんようにな。だが転けないように気を付けるんだぞ」
「しぃ〜〜!!」
「おっと、すまねぇ」
だが男性は怒るどころか、子供達へ助言と共に注意を促している。
「……ちょっといい? あの子達は何をしていたのかしら」
「眩しっ……こ、これはこれはシルヴィア様っ!!」
路地裏を行き、子供を見送る男性へと問いかけた。
するとヤード出身であったのか、明らかなる高貴な気質を放つシルヴィアへ畏まり、即座に問いへ答える。
「あいつらは孤児院の奴等で、国からの金が届く直前は食いもんが少ないってんで、ここの男の物を持っていくんです……」
「……それは窃盗じゃない」
「それはそうなんですが……ここの奴は気付かれずに盗れるなら、自分からは好きなだけ持っていけってんで。……まぁ、差し入れですよ」
聞けば孤児院の厳格な院長は十分に食べていけているのにそこから過剰な贅沢をしてしまうと、物の有り難みを分からなくなるとしているのだとか。
余分な金銭や食料を決して受け取らないと言うことで、この形となったらしい。
「…………」
家の中に戻ってからも暫くはどうしたものかと黙り込んでしまっていた。
「おい、戻ったぞ。飛空艇であっちの輝士養成所に戻るんじゃなかったのか? 俺も仕事があるから出るぞ」
「……えぇ」
「……何の為に来たんだ……」
二人の間に流れる何とも言えない空気に、ラストは嘆息しながら不審を口にした。
いつもよりも居心地の悪そうなラストに続いて家を後にし、無言のまま城へと歩む。
人通りの少ない道を行き、沈黙したまま到着間近といったところまでやって来てしまう。
「――シルヴィアっ」
途端に横合いを通過した高級感ある飛空車オルカが止まり、扉を開いて赤毛の男が飛び降りた。
「……ディーノじゃない。王都で何をしているのよ」
「心配だから来たに決まっているだろう?」
騎士を思わせる制服姿で颯爽と駆け寄り、ラストとの間に立つ。
「……まさかとは思うが確認させてくれ。この見るからにカニラの粗暴者みたいなのがそうかな?」
「あなたには関係がないでしょう……」
「関係なら大ありだよ。僕達の仲じゃないか」
朝から疲労の溜まり続けるラストは苛立ち混じりにディーノへと問う。
「何の用だ。いやその前に誰だ、お前……こいつの男か?」
「そう思ってくれていい。シリウス様の弟であるからと無理を言ってシルヴィに同行しているようだけどね。本人も誰も立ち上がれないだろうから、僕が直訴に来た。はっきり言って迷惑だから、もう止めるんだ」
あまりの馬鹿馬鹿しさに呆気に取られるシルヴィアだが、一方のラストは朝からの妙な雰囲気に合点がいく。
要はもう一緒にいたくないから弟であるラストからシリウスへ断って欲しいと伝えたかったのが、立場を気にして言い出せなかったのだろうと。
代弁する恋人を前にしてやっと察しの付いたラストが、シルヴィアへ恐ろしい程に無感情な視線で見下ろした。作り物の仮面を思わせる、ぞっとする冷たい面持ちと共に。
「っ…………」
「……それくらい自分で言え」
小さく低い声音でそれだけ告げると、怯むシルヴィアと庇うように立つディーノを背にしてラストは一人歩き出した。
「後は上手く言っておく。二人でどうとなりしろ。シリウスなら悪いようにはしない」
「っ、待ってもらえるっ? 全くの勘違いよ……!」
しかしこれまでの行いもあってなのか、シルヴィアの呼びかけも無視してラストは先へ行ってしまう。
「待ちなさいと言ってっ…………離して」
「後は僕に任せろ。使命感、神紋章の命令、ローキン家の立場、あのぉ……その他諸々あるだろう。しかし僕がいる。学院で一際優秀な成績を残した実績のある僕がいい手を考える」
凛々しいシルヴィアを引き留める貴公子然としたディーノ。二人の周囲に花が咲き誇っているかのような一幕である。
シードでの座学の成績は主席がシルヴィア、ディーノは全体の中で常に四位であるのだが。
「もう辛い日々など送らせはしない。もう不安に心痛める必要もナンガァッ!?」
熱き愛でやっと掴んだシルヴィアだったが、思いきりの手刀を掴んだ手首に落とされて道端で悶絶してしまう。
「私のことは放っておいてもらえる? それが目的だったのならすぐに帰って」
「どうしたと言うんだ、シルヴィア……」
「……あなたって以前からこんなに邪魔に感じる人だったかしら」
「っ……!?」
「ぶんぶんと私の周りを飛んで、嫌がる素振りを見せても力一杯に手首を掴んで、言動も寒気がするわ。それに何故いつも実績よりも少し見栄を張るの? そういうところも――――」
穏やかな笑顔で見つめていたディーノから、涙が流れた。
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