第11話、壮絶な過去


「――ある名門家から、長男であった男が追い出された」


 その男には父親が望む跡取りとしての才能がなく、代わりにあった剣の才能を用いて用心棒として食い扶持を稼いでいた。


 時には盗賊や山賊を相手取り、時に富豪の護衛をし、時にカニラとの戦の場に身を投じていた。


 貧しい思いをする事はない。


 依頼を選ばなければそれなりの贅沢を堪能できる程度には金銭を得ていた。


 しかしある時に潜入したとあるカニラの街での出会いが、彼の運命を変えた。


「どこかで聞くような話だ。男と女が出会い、恋に落ちた……」


 ヤード出身と言えども既に名家の立場から出奔しゅっぽんした身だと、男は女と共になる道を選ぶ。


 だが男はあまりに名が売れすぎていた。


 敵対者として剣を振るったカニラでの生活はままならず、いざという時には東西のどちらかへ逃げられるよう国境付近のヤードの森に小屋を買い、そこで密かに女と生活を始める。


 やがて身籠もり、ラストが生まれる。


 イムアジンへ流れていたのでビーストもいない。女がカニラ出身だと判明しなければ何事もない。


「男は稼ぎに出て買い物をして帰り、女は決して見つからないように息を潜めてただ待つ。用心に越した事はないからな。方言や喋り方にも出身の特徴がある。カニラの民だと知られればどうなるか分からない」

「……蛮族ではないのですから、ヤードでそこまで気にする必要があったのでしょうか」

「事実、方法は不明ながらバレて殺された。残ったのは地下に隠れていたラストだけだ。ヤードとカニラの境目付近は本当に凄まじく互いを憎み合っているんだ」


 恐怖であった。


 あまり感情に起伏のないシルヴィアだが、恐怖に青褪める。


「たとえばだが、ラストが生まれて食事の量が増えて不審に思った者がいたのかもしれない。他人の隠しているものほど探りたくなる下世話な者も多いからな」


 そこまでの人間の悪意が信じられず、ヤード内での残虐非道な事件にシルヴィアは言葉を失う。


「ある理由からラストは念入りに隠されていて難を逃れたが、その後も…………話したくはない程に悲惨な目にあっている」


 絶対に他人の目に触れてはならない。


 愛深き両親の願いを聞き入れ、一日のほとんどを地下の薄暗い空間で過ごしていたラストだが、騒々しい深夜の物音から半日以上経過した頃、不安を抑え切れずにとうとう地下より這い出てしまう。


「…………」

「目にしたのは最悪の光景だったろう……」


 シルヴィアでさえ顔面蒼白で口元を覆い、シリウスの言わんとするラストの悲痛に鼓動を早くする。


 凄惨な亡骸を前に泣き叫ぶ姿が、自然と目に浮かぶ。


「ラストはまだ幼く、狩りや食べられる山菜なども知らなかった。火を付ける方法さえもだ。飢えに限界を迎え、人里に降りて捨てられた物やそこらの雑草などで生きながらえていた」

「っ…………」

「何年もの間だ。君のいうヤードの文化とやらで、迫害を受けていた」


 潔癖を尊ぶヤードの街の人間から虐げられ、暴行などは当たり前に酷い仕打ちをうけながら幼き身でたった一人、鼠のような生活を余儀なくされていた。


「……いえ、ですがヤードには孤児院があるはずです」

「君はヤードの美しい面しか見てこなかったのだろうな。過ぎた潔癖を尊ぶ文化もあってヤードの孤児院は、身元不明のそこらの子供を拾って自ら負担を増やすようなところはない。しかもラストにとって街の人間は親の仇だ。誰も信じられない」

「…………」


 雨風に打たれようとも屋根を貸すところもなく、病を患おうとも世話する者などいよう筈もない。


 足蹴にされながらも食べ物を探し、山小屋へ帰り、空腹に耐えながら眠るだけの日々だ。


「過酷な環境下で懸命に生きるラストだが、痩せこけていても成長していくにつれて、やがて気付く者が現れた……」


 父親の面影を見た街の人間は、幼きラストまでをも山狩りする。


 逃がしてなるものかと武器を手に、大人数で穢れた血の混ざったラストを追い立てた。


 どれほど悲しく、恐ろしかっただろう。


 雨の中をどれほど苦しみながら駆けていたのだろうか。


「父親と母親から離れたくなかったのか頑なに山小屋近辺から離れなかったラストも、血眼になって殺しに来る大人達から逃げて逃げて…………辿り着いたのはカニラの山奥だ」


 ヤードの異変を察知したシリウスが見つけた時には数日は経過しており、身体は冷え切り、餓死か凍死かという重傷であった。


「…………」


 ラストの過去を耳にする内にシルヴィアは顔色悪くなり、動悸と共に激しい後悔の念に襲われる。


「私が連れ帰った時には、あの子は心身共に衰弱し切っていた。だが暫く経過した後には復讐心で満たされていたよ。カニラの者達よりも先に見つけられて良かった」


 ヤードの服を着ていたラストはカニラからも憎悪の対象となっていただろう。


 そうすれば復讐心がカニラにも向けられたかもしれない。


「ヤードの者等を根絶やしにするつもりだったようだ。そしてラストにはそれができてしまう」

「それは……」

「可能だ。あの子は君の想像の遥か上を行く」


 俄には信じ難いがシリウスの表情は真剣そのもの。これまでの事もあり冗談や誇張だとは思えなくなっていた。


「あの子はやると決めたらやる男だ。しかしそれを、シンシアが変えてくれた」

「シンシアさんというのは……?」

「私の家で雇っていた熟練の侍女長だよ。シンシアが我が子同然にあの子を愛して付きっきりでいてくれたから、ある事件を境にラストはヤードを葬るのではなく、変えようと言い始めた」


 懐かしみ目を細め、かつての弟を想い起こす。


「あの子が辛抱しているのに私が手を下すのも気が乗らなくなってな。だから今の形を取ったんだ」

「……察しが至らず申し訳ありません。それはどのような意味なのでしょう」

「意外なことにこれを言うと驚かれるのだが、私は以前まではヤードを完全に制圧した上での建国を考えていた」

「…………」


 自分達への神罰がほんの数年前まで確定していた事実に凍り付く。


 他国への備えや根回しには時間を要するも、シリウスがその気になれば武力によるヤードの制圧などあっという間に完遂されてしまう。


「当然だろう、私もカニラの民だ。君達に笑われて来た側で、権能を使おうとも何ら不思議はない。……今は考えていないから安心しなさい」


 幼きラストに出会わなければ、今のように混じり合わせて一つの国にという体裁は取らなかっただろう。


「もうラストは十分過ぎるほどに苦しんだ……。本来のあの子は物静かで優しくて、温厚で…………好戦的な私とは真逆だな。このまま平穏に暮らして欲しかったのだが、想定外が重なりラストの手を借りる他ない」


 シリウスがラストに助力を求めた理由。その決断をさせたのは、ある一通の手紙であった。


 そっと戻って来ていたシエラからシルヴィアへ手渡される。


「こちらを」

「……ありがとうございます」


 …………出だしの数行を読み、シルヴィアの顔から血の気が失せる。


「君の特性を知ったあの厄介な神が、生死を問わない状態で君を引き渡せと通告して来た。《獣神紋》とは別の、非常に強大な神が……」

「…………」

「ローキン家に留めて秘匿されていた情報を渡した者がいる。君の親類縁者の中に裏切り者が潜んでいる」


 途端に雷鳴が轟く。


 シルヴィアが幼少期より想定していた筈の“最悪”を前に、茫然自失となる。


「……あの輩だろうと他の神だろうと私は問題なく戦ってみせよう。しかしだ。当然に私も君を護るが、王でもある私は君だけを優先する訳にはいかない」


 だからこそ今回の出会いがあった。


「繋がりがあれば、ラストなら君を護ってくれる」

「っ…………」


 シリウスの言わんとするところを察して、言葉を失う。


 確信を得たシルヴィアの胸中に、更なる後悔と罪悪感が高波の如く押し寄せる。


「…………私のせいで、彼は戦うことになるのですか?」

「あくまで切っ掛けであっただけだと考えて欲しい。ラストも分かってくれている筈だ」


 シリウスがラストへもたらした平穏を壊したのは、自分であった。


 何も知らず我が身のみを考え、弱々しいラストのお守りをしている程度にしか考えていなかった。


「この話をラストにするのは禁じる。何故なら、当然だが今もラストを虐げていた者達はのうのうと生きているし…………ラストが内心でどう思っているかなど、本当のところは誰にも分からないからだ」

「…………」

「刺激したくない。焼きごてを押し付けられ、煉瓦を投げ付けられ、害獣のように追い立てられた日々など思い出して欲しくもない」


 綯い交ぜになる思いで二の句が継げられず、胸を締め付ける良心の呵責から俯いて沈黙する。


「……後で飲み物でも持っていかせよう。今夜は泊まるといい」

「…………」


 無言で頭を下げ、シエラの誘導で案内されていった。


 その背を見送ったシリウスがワイングラスを傾ける。


「……つい苛立って話し過ぎてしまっただろうか。しかし……」


 無感情に窓から空を睨み付け、そっと呟いた。


 鋭い視線に射抜かれた訳でもないだろうにどうしたことか雷雲は突如過ぎ去り、光が漏れた先に月が現れる。


「……私の英雄は、人如きが心配するような器ではないよ。なぁ…………ラスト」


 《光神》の口が弧を描き、最強たる《悪神》の未来を思う。

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