第5話、神狩りの《神紋章》


 第九地区にあるラストの家。


 区でも最も小さい部類の一軒家で、ベッドに座るラストは身体中を包帯で巻かれていた。


「…………」

「呆れて言葉もないぞ。何故すぐに私に連絡をしなかった」


 そっぽを向くラストに腕組みしたシリウスが溜め息混じりに叱り付ける。


 見た目だけならば弟と呼ばれるべきはシリウスで、知らない者は関係性に困惑するに違いない。


「……気付いたらここで寝てたからだ」

「倒れていたんだ。死にかけそのものでな」

「…………」


 無言で枕元に手を伸ばすラストに先んじて酒瓶を奪う。


「……大怪我をしているのに何を考えている」

「知らないのか? 常に酩酊状態を作る事であっという間に怪我は治るんだ」

「治らない。聞いたこともない」

「…………いや、信じない。酒屋のおっさんの地元ではそれで骨折を治すんだって言ってたからな」

「何故、身内の私よりも真偽不確かな民間療法をそこまで信じられるんだっ……!」


 こめかみに青筋を立てて酒瓶をテーブルへ置く。


「私が偶然見つけたから良かったものの……。やはり一人暮らしを許可するべきではなかった。シエラ達が余計なことを――」

「酒がダメならさっさと飯をくれ」


 未だ続く激痛や眩暈を少しも表に出さず、目の前のテーブル向こうの台所を顎で指す。二面性で混沌が増したとはいえ、怪我の完治には時間がかかりそうだ。


 シリウスは再度溜め息を一つ吐き、手慣れた様子でエプロンを身に付ける。


「権能なら誰にも見られてない。“眼”で確認した」

「その事をどうこう言っているわけではない。実質、双剣しか使えない今のお前では人狼型の群れならば致し方ない」


 台に刻まれた〈着火の術式〉に指を翳して火加減を操作し、調理を再開する。


「傷口を見て、お前が目を覚ます前に城で確認した。……何故か輝士隊が討伐したことになっていたがな」

「都合が良いだろ」

「虚偽報告は犯罪だ。……それで? 久しぶりの権能はどうだった」


 ホワイトシチューをかき混ぜ、水に浸してふやかしたパンでトマト粥を作りつつ訊ねる。


「相変わらず難儀だなってくらいにしか思わない。剣を作製していくにも〈混沌育む無窮の器ケイオス〉を成長させないといけない。けどそれに混沌を使うとその分だけ俺自身は弱くなる。ハズレの《神紋章》だな」

「馬鹿を言うな。〈祖なる悪〉は数多の神を屠った、“最も強き神”の一柱として必ず名が挙がる程に有名だ」


 《悪神紋》の権能は多くない。神殺しの神と言われるだけあり、戦闘に特化し過ぎていた。


 主な権能は二つ、《悪神紋》の核とも言うべき〈混沌育む無窮の器ケイオス〉と、神殺しの兵器を作製する〈悪戯の御手〉。


「《祖なる悪》が作製したという神狩りの兵器達はどうだ。今も封じられた悪界を漂っているのだろう?」


 単身でも強大であった《祖なる悪》とは別に、一体一体が神をも殺す凶悪な能力を有し、各々が神殺しの逸話を残す悪界の兵器達。


「封を切るのにどれだけの混沌が必要か途方もなくて想像できないな。俺が生きてる内は考えられない」

「だろうな。各々が《神紋章》を殺せる可能性がある兵器など、権能としてもあまりに危険過ぎる。封をした《祖なる悪》は賢明だ」

「……なんなんだ。いつもなら会えば『帰って来い』だの、『酒は控えろ』だの口煩く言うのに」


 立ち登る鍋の湯気を見つめ、やがて振り返り面と向かって告げた。


「……力を借りたい」

「…………」

「このままお前に戦わせるつもりはなかった。わざわざリスクを冒さずともこのまま平穏に暮らすならばそれが一番だからな」

「何かあったのか?」

「……厄介な神に目を付けられた。場合によれば《獣神紋オウリオン》よりも面倒だ」


 とある理由から《獣神紋》の君臨するイムアジンは非常に戦力に富んでいる。数多の《神紋章》の中でも特に“異質”。だからこそイムアジンと接触する事態を避け、長きに渡りヤードとカニラは他国からの支配を逃れていた。


 これを相手にしながら周辺諸国を警戒し、更に別の勢力をともなると、無敵と自他共に認められる《光神紋》シリウスと言えどもグランキュリスを護り切れない。


「分かった。お前が判断したならそれでいい」

「すまない……」

「謝るな。俺から言い出した約束だろ」


 よろけながらもテーブルに移動して、置いてあったパンに齧り付く。


「…………」


 話は決まったとばかりのラストに、シリウスも何も言わずにシチューを注ぎ始める。


(……シリウスが手を貸せと言うからには相当だな。国が危ないってレベルだ。早く強くなっておかなきゃ何があっても不思議じゃない)


 そんな考えをしてみると、ふと昨夜以前……最後に権能を使った日を想起する。そうなれば自然と過去も思い起こされる。


 ――もう少し大きくなったらどこか旅にでも行きましょうか……。


 ――ラストは色んな未来を作れるだろうね……。


 どれも朧げな記憶だが、決して消える事はない。


 優しく愛に溢れた言葉の数々、温かい手の記憶……。


 だからこそ――――


「ほら、明日にはシードの案内や任務を共にする女性を紹介する。今日のところは屋敷に帰って来い。夕食はもっといい物を作るから、それを食べてゆっくり休むんだ」


 目の前に差し出されたシチューに我に帰ると、スプーンを手に早速……。


「……待て、シード? 任務? ビースト狩りの旅に出るつもりなのに」

「お前はどうしてそうすぐに無茶な発想に行き着くんだ……」

「嫌だ。今更ガキとお勉強なんてのは酷な話だろ」


 時刻は昼時。


 昨晩と朝の分も補うようにシチューやトマト粥を胃に流し込む。


「美人だぞ」

「…………」

「聡明で、理知的で、武術もこなす」

「…………」

「評判はすこぶる良い」

「今回だけだぞ……」

「どう言う意味だ……?」


 空になったシチューの皿をぶっきらぼうに差し出してお代わりを要求しながら承諾した。


「私は戦やら会談で暫く遠出が続く。まずは彼女と協力して任務を遂行してくれ」

「ビースト退治だろ、どうせ」

「いや…………お前に、ある男を殺してもらいたい」


 その者は九輝将シメオンを殺した。そして九輝将専用に作られたシメオンの弓を奪い、反乱軍へ協力している。明らかなグランキュリスの害敵である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る