第3話、友を残しては逃げられない
森を駆ける飛空車ドルフィン。流線形の一人乗りの飛空車で、棒状の手綱のような物と体重移動とでコントロールする《術神紋》が作り出した浮遊する乗り物であった。
馬車を確認後にドルフィンを乗り捨てる。森の木々を縫うように操作するにはまだ不慣れと言えた。
輝士達が奮闘したと思われる馬車周りから続く血や衣類の痕跡を辿り、暗闇の中で遂にその姿を見付ける。
「爺さんっ、生きて…………」
「っ、まさかぁ……ラストか……?」
木にもたれかかりか細い声を発するトーマスだが…………左腕と左脚が消失していた。
「……もう喋るな。直ぐに連れて帰ってやる」
「ばかっ……はやく逃げろ……!!」
木に打ち付けられて顔面の半分が崩れ、目も開けられず、失血も多い。
「子どもだけっ……母おやと子どもだけいっしょに……!」
「分かったから黙ってろ」
「にげてくれぇぇ……ぇ……!!」
本人は両手のつもりなのだろう。右手でラストを逃そうと押し退けるもバランスを崩しそうになる。
トーマスを支えながら月明かりを頼りに周囲を注意深く見回すと、女性らしきものと小さな亡き骸を二人確認する。
ビースト相手に都合の良い生存は見込めない。人間の死だけを求める呪いの生命体だ。
「…………」
「あぁ…………すまんなぁ……」
誰への謝罪であるのか、ふとトーマスが悲しげに呟いた。
「本人に直接言え…………っ、おいっ」
「…………」
震える声は森を抜ける風に吹き消え、必死に自分を押していた細腕から完全に力が失われる。
あまりに呆気ない。
まだ見ぬ家族との出会いを夢見て、泡沫の如く潰えてしまった。
「……………………悪いな、爺さん。逃げられそうにない」
背中に忍び寄る気配に、トーマスをゆっくりと横たわらせたラストが立ち上がる。
「こいつらも、あんたらも、ここに残して行けないな……」
上着を脱いで振り向き……取り囲む犬型の群れへ歩み始める。
正面のビーストが、反応して大きく飛びかかる。
「…………ッ!!」
『グルァギッ――――』
が、――――力任せに殴り落とされた。
外殻も牙も横っ面も、怒りに任せた右拳の打ち下ろしで砕かれ、数回の軽快なバウンドの後にぴくりとも動かなくなる。
崩れた顔面からは、暗い様々な色合いが混じった体液が溢れ出ている。
「おい……」
……虫の如くはたき落とされた同胞を前に、周りの唸り声が止み、激怒を表すように殴り殺した人間を目を疑って注視する。
人間からは、断続的に小さく赤い火花が散っていた。
「……ダチが世話になったな。一匹残らず殺してやる……」
ビースト達も当然知っている。素手によるただの殴打で外皮を破り命に届かすなど、人間には……如何なる生物にも不可能だ。
「やるぞ、――――〈
憤るラストの空の両手に、霞んだ銀の重厚な片刃剣が
右脇腹の紋章が、淡く輝く。
………
……
…
闇深き森林から迫る多数の影あり。
仲間の遠吠えを受けて、ある一箇所に駆け付ける。
草藪を越えた先にあったのは、一人の人間と取り囲む犬型ビーストの仲間達。
夕刻に噛み殺した人間だけでは足りないと、怨敵の香りを辿って夜の狩りを続ける。
「――フンッ!!」
禍々しくも無骨な片刃剣が、飛び掛かった犬型の頭蓋を砕く。
様子を窺っていた別のビーストが隙ありと人間の右脹脛へ噛み付く。
「邪魔だ……!!」
『キャンッ!?』
くるりと逆手に持ち替えた左の刃で、怪力任せに首元へ突き下ろす。
「っ、っ……ッ!! っ……!!」
右に左にと、手慣れた様で振られる軽やかな双剣。
周囲を見れば夜の狩りの最中に現れた人間により、同胞達は十一匹も既に殺されている。
すると数では埒が明かないとでも考えたのか、とうとう犬型を従えていた統率者が姿を現した。
(……輝士が負けるわけだ……)
怒りのままに斬り殺していたラストが、一目で強敵と分かる人狼型を見上げて心中で呟いた。
手慣れた動作で双剣を操り回し、逆手に構える。
『…………』
「ッ――――」
跳躍した人狼型が振り抜いた左腕の発達した爪先から、血が飛び散る。
同時にバックステップしていたラストが逆手の剣で斬り付け、順手に持ち替えて人狼型の顔を薙ぐ。
自分の剣が届き、致命傷にならない距離感で下り二撃。自身の胸元に薄い切り傷が三つ作られるも、しっかりと斬撃の痕が残る人狼型を見れば優劣ははっきりしていた。
『ギャウッ、グルルルァウッ!!』
「――――ッ!!」
ナイフのような爪先が頬を掠めながらも半身になって避けつつ踏み込む。
通り抜け様に左、右と続けて双剣を力強く振り抜き、人狼型の脇腹に二つの裂け目が刻まれた。
何度か爪と刃が混ざり合うも、怪我など無関心なラストの剣は確実に人狼型を追い込んでいく。
『――――』
人狼型は格下の犬型を従えられ、人間を殺す為なら多少の策を用いる。例えば『そこらの物を投げ付けろ』などだ。
「ッ……!?」
犬型が咥えて放り投げた子供の遺体を、剣を手放したラストが抱き止めた。
『アァァグッッ!!』
人狼型の大きな顎がラストの右肩を噛み付き、牙が深々と刺し込まれていく。
勢いのあまり溢れ落ちた子供を置いてゴロゴロと転がり、決して離すまいと噛み締める。
これが最も強力で確実に絶命させ得る事をこのビーストはよく自覚していた。肉も骨をもあっさりと砕き、例外なく……。
「…………」
苦痛に呻くこともなく淡々と、唸りを上げて全力で噛み付く自分の首に手を回して組み付く。
痛みを感じていないのか、それとも感覚自体がないのか、人狼型のビーストなれど朧げに疑問を思い浮かべる。
「〈
死したビーストから二面性を表す白と黒のオーラが剥がれるように立ち昇り、人の形をした化け物の右腕と左腕にそれぞれ収束していく。
首元を締め上げる腕から伝わる力みが、人間の限界を容易く超えてゆく。
「……これを爺さんや子供が耐えられるわけないだろ……」
『……――――ッッ!?』
「お前もっ……味わってみろよっ!!」
膝蹴りが人狼型の胸元へ叩き込まれる。
一つ、二つ、三つ……胸下の外殻を砕き、破片が膝に刺さるも構わず力強く突き上げる。
しかもこの人の形をした化け物の膂力は、満身創痍の中で尚も上がっているようであった。
『ッ……ッ……!!』
じたばたと踠き逃れようとする人狼型の首元を、両腕で強かに締め上げていく……。
腰を落とし、力強く、力の限り……。
そして遂に、その一線を超える。
「…………ッッ!!」
『ヒッ――――』
噛み付かせたまま押さえ付けていた腕により、人狼型の首が圧し折られた。
亡骸を見下ろすラストの瞳が、赤々と妖しく光る。身体にも不自然な赤い稲妻が点々と奔る。
『ゥゥ……』
『グルルルルル……――――ッ!!』
統率していた人狼から解放された犬型が、本能に従い一斉に飛び掛かる。
目の前にあるのは唯一絶対の敵だ。
人狼との戦いで身体はボロボロ。牙が深々と刺さった箇所からは血が流れ出ており、武器も遠く、誰が先に息の根を止めるかどうかといったところであった。
まず左上腕、そして右太腿、次に左太腿、最後に右前腕。
噛み切らんばかりに、牙をめり込ませてから顔を振って獲物を振り回す。やがて骨が砕ける感触を得てから肉を食い千切り、首元に噛み付き息の根を止める。
……筈であった。
真っ先に左上腕に噛み付いたビーストから異変に気付く。
皮を破り肉に到達するも、それより先の牙が埋まっていかない。
『っ…………』
恐る恐る見上げた犬型が、びくりと身体を跳ねさせて身を凍らせる。
「…………」
激情を宿した赤い瞳が、こちらを覗いていた。負傷にも一切構わず、じっと見下ろしていた……。
肉に食い込む牙越しに、自分が禁忌に触れてしまったことを察する。
(〈
食い付いた左腕から無理矢理に引き離し、軽々と放り投げた。すかさず離れた地面に落ちていた〈悪辣の刃〉に、進化を命じる。
……かたかたと片刃剣が一人でに動き始め、浮遊する。
『ギャンッ!?』
宙を行くビーストの首が、飛来した片刃剣により刎ね跳ぶ。そのままラストの周りを旋回し、やがてその手に戻る。
(ただ戻って来るだけでいいものを…………捻くれてるな、相変わらず)
怪我も苦痛も感じさせずに霞む視界の中で、残る三匹を引き摺りながらもう片方の刃へ歩み寄り拾い上げた。
呼吸は荒い。激痛は続く。
しかし、剣で力任せに纏わりつくビーストを斬り払う。
「…………」
双剣にまで及ぶ赤いオーラに圧迫され、ビースト等が堪らず後退りするも……呪いの獣の本質がそれを思い止まらせる。
取り囲む犬型の目には再び《神紋章》への憎悪と怨嗟が爛々と灯り、周りの茂みからは集結した残党の影がある。
その中には咥えていた老いた細腕を吐き捨てるものも……。
「……お前からだ……覚悟しろ……!!」
殺到する影へ駆け出し、怒りのままに力で斬り伏せる。
「フゥッ……!!」
身体を抉る牙も気に留めず、一心不乱に刃を振るい、血肉を削り、二面性を吸い、増す力で斬り伏せる。
夜の闇の中、双剣の軌跡だけが赤く光る。
まだ夜が明けるには早い。ビーストとの苛烈な舞踏会が、再び始まった。
十二国の神々へ告げられることなく、神紋章の十三柱目が世界へと打ち立てられる。
《悪神紋》ラスト・ハーディンが、新たな神の物語を紡ぐ……。
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