第2話、《神紋章》と人間の天敵……『ビースト』

 世界には人間、動植物の他に『ビースト』という生命体が存在する。


 今では神と呼ばれる《祖なる者》達。ビーストは彼等への呪いであり、つまりは《神紋章》と人間の天敵である。


 だが強大な生命体ビーストを倒すのは困難を極める。打倒には大きな力が必要で、絶対的とも言える力となればやはり《神紋章》の権能であった。そして特定の神ならば、その血を使用して権能のほんの一雫を真似る事ができる。


 《光神紋》シリウスに流れる神血イコルの場合、武器に練り込む事で適性によりいくつかの技の模倣が可能となる。


 だからこそ、神血の武器を与えられる輝士は《光神》の使者として特別視される。


「おい、そこのお前っ。水を持って来てくれないか」

「……ほらよ」

「今の今まで窓拭きに使ってた水じゃないか!! ……めちゃくちゃ澱んでるぞ!?」


 訓練室でビーストの外殻で作成された模型へと、神血の剣に一瞬の光を宿して放つ技である〈閃光フラッシュ〉を叩き込む輝士の一人。


 窓を拭いていた老人が呼びかけに応え、急いで飲み水をと歩もうとするも青年がそれを制止。代わりにモップの浸かっていたバケツの水を差し出した。


「腹下すわっ!! ふざけやがって……お前っ、噂の“ラスト”だなっ?」

「違う、トーマスだ」

「それ儂の名前っ!!」


 おろおろとする老人が身代わりにされそうになり仰天したのも束の間に、ラストと呼ばれた無気力な青年は輝士へ告げる。


「自分の飲み水くらい自分で用意してくれ。俺達には俺達の仕事がある」

「なにぃ!? 命を賭して戦う輝士に何という言い草だ! もう一度同じことを言ってみろ!!」

「呼ぶな、バカ野郎」

「馬鹿野郎!? さっきはもっとまともな感じだっただろ!?」

「行くぞ、爺さん」


 右足が不自由はトーマスを連れ、ラストは怒りを露わとする輝士に構わず訓練室を後にした。


「おいっ、待つんだ!!」

「まぁまぁ、勘弁してやってくれないかな。あいつも絶望してるんだよ」

「く、クリードさんっ! す、すんません。騒いだりして……」


 ラストと同じくシリウスに拾われた子供達の中でも、出世頭として有名なクリード。眼鏡をかけた温厚な男だが、策略に長けておりここ最近になって急激にビースト討伐数を伸ばしていた。


 まさに悪評が轟くラストとは正反対であった。


「それはいいんだ。ただ、あいつだけなんだよ。輝士は勿論、兵士にもなれなかったのは」

「……兵士にもなれないなんて、根性なしか全くの無能でもない限り有り得ないんじゃ」

「そういう事なんだよ。シリウス様に弟と呼ばれて、粋がってたからじゃないかな」

「あぁ、つまり八つ当たりですか……」

「大目に見てやってね。……そうだ、今夜にでも呑みに行こうか」


 よく後輩や同僚に上等な酒を奢り、評判は滅法いいクリード。いつもならばこの新人輝士も少しの間も空けずに頷いただろう。


「すんません……シード卒業の報告に実家に帰るんです。ほら、馬車の護衛する仕事があるでしょう? アレのついでに」

「そっかぁ。ヤード出身ってことは…………東の森を抜けるルートだよね?」

「はい、ちょっと危険ですけどボーナスも出るんで。でも他に三人付きますし、安心は安心です」

「計四人か…………でも少しでも危険があるなら気を抜かないように。ビーストなんかは弱い個体にも輝士が殺された事例は山程あるんだからね」

「は、はいっ!!」


 ヤード出身の自分にも分け隔て無く接するクリードは、後輩達の羨望を独り占めにしていた。


 ………


 ……


 …



 一方でラストは次の空き部屋の窓を拭き、トーマスはゆっくりと掃き掃除に励んでいた。


「……爺さん、そろそろ時間だろ。逝っていいぞ」

「ん? なんか違和感が……ゾワッとしたんじゃが。……まぁ、ええか」


 トーマスは初めての里帰り。夕方の便で出立する予定となっていた。まだ昼休憩からそれ程に時間は経過していないが、トーマスは移動に時間がかかる。


「……感謝してもし足りん。お前さんが後押ししてくれなかったら、息子とは死ぬまで喧嘩別れしたままだったろうな。決心して手紙を出して良かった……」

「そうか」

「知らん内に孫とひ孫までおると来た」


 脚を負傷して自暴自棄になり息子と絶縁状態であったトーマスだが、返って来た返信には『皆、会いたがっている』との文言が記載されていた。


 先々の話も含めて一度会おうと事が運び、自分から向かうことにした。


「カニラ民にもお前さんのような者がいると、しっかり伝えておくからの。お前は口下手だからなぁ……また揉め事にならないか心底心配なんだが、悪いが留守を頼んだぞ」

「…………」

「うむ」


 ラストは無言で頷き、それを見たトーマスも多くを語らずその場を後にした。引き摺りながらもその足取りはとても軽い。


(仕事の時もそれくらい早く歩いてくれ……)


 溜め息を一つ溢したラストが業務に戻る。


 二人分と言えどもラストにとって負担は軽度と言えた。普段よりも一時間ばかり時間がかかった程度で、清掃部の事務所にラストが戻る。


 日は落ち、時刻は夕食後の休み時といった辺りだ。


「……おう、ラスト。ご苦労だったな」

「……仕事終わりに辛気臭い顔を見せるな」


 事務所には清掃部の責任者だけで、どこか不安そうな表情でウロウロと歩いていた。


「……なぁ、トーマス爺さんは飛空列車“イール”で帰ったんだよな?」

「イールはまだ高い。土産に金を使いたいから馬車で帰るって言ってたぞ」

「…………」


 どうやらラストにこの質問をする為に残っていたようだが、返答を聞くなり顔色が悪くなる。


「……どうした」


 着替え途中で振り向き、黙り込む男に訊ねる。


「東の森にビーストの群れができてて、それが馬車列を襲ったらしい……」

「…………手の空いてる輝士が護衛に付く決まりだろ」

「逃げ延びた奴が言うには酷く強い個体がいたってんで、あっさり負けたらしい」


 近くの森や街道は日中に巡回がされており、その捜索網にかからない事は稀である。


 だが起きてしまった以上、最大の問題は“夜間のビースト討伐は基本的に行われない”事だ。


「トーマス爺さん……」

「…………」


 つまり今回のように生存が絶望的な場合には翌朝にならなければ輝士隊は派遣されない。


「おい…………清掃部でも一人乗りの飛空車なら借りられたよな」



 ♢♢♢



 日が沈み、王都を後にその馬車が森へ入って程なくの事であった。


「大丈夫っ、心配しなさんな……!!」

「うんっ、うん……」


 母親と子供達を覆うように、馬が引く浮遊する車体の隅でじっと耐えるトーマスの姿があった。


 チラリと車外を覗き見ると、多くの影が取り囲んでいるのを目にする。


「っ…………」


 トーマス程に生きていれば、ヤード出身であっても目にした経験はある。


『…………グルゥゥ』


 通常の生命と全く異なる質感に鎧を彷彿とさせる外殻、それでいてグロテスクな形状。


そして身体を走る悍ましき模様。まるで呪いの紋様であった。


「ズェイッ!!」

『キャウンッ!?』


 正面から斬り込んだ刃が瞬間的に発光し、犬型ビーストの額を打った。額に当たり硬い外皮が割れて液体が流れ出るも、人間と《神紋章》を殺す為に存在するビーストはよろけながらも立ち上がる。


「行けるぞっ! 所詮は脅威指数5程度だ! 慎重に戦えば犬型ならば安定して勝てる!!」

「っ、はいっ!!」


 他の馬車を担当していた先輩輝士に励まされつつ、新人輝士は剣を握り直した。


 己がまだ未熟であるのもあるが、〈閃光フラッシュ〉を使えば甲冑であっても容易く両断できる筈だ。しかし、やはりビーストは硬い。


 周りの先輩輝士のように一撃で首を斬り裂き、致命傷を与えるにはどれだけの――


「がぁぁああぁあ!?」

「っ……!?」


 その先輩輝士が、咥えられていた。


「…………」


 骨を砕く音を立て、噛み殺されてしまう。


 ニメートル弱の高さから落下した先輩輝士は、身体の至る所が途切れ・・・……踏み砕かれた人形のようであった。


「…………ォ、オオオオッ!!」

『…………』


 犬型ビーストを突き殺した輝士の槍が、二足で立つ怪物の脇腹を掠める。〈閃光フラッシュ〉を通さず、外皮を傷付けながらも穂先が滑ってしまった。


『…………』


 軽く振るわれた爪によりまた一人、輝士の頭部が飛ぶ。曲剣さながらの鋭さの爪により、抵抗なく軽やかに刎ね飛ばされる。


 “人狼型”が、新人輝士へと向き直った……。

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