十二国の神達へ

壱兄さん

第1話、十二柱目の《神紋章》


 幼き身体が強かに蹴り付けられる。何度も何度も、何度も。


「クソッ、このガキ! 薄汚えなっ、このっ!!」

「っ……っ、っ……!!」


 蹲って丸まり、苦悶に呻めきながらも時が過ぎるのを待つ。


「…………」

「…………」


 通り過ぎる街の人々もちらほらと見えるも、大人から蹴られるその子供を助けようとする者はいない。


 いつもの事だと、むしろ小汚い赤茶髪の子供へ嫌悪の目をくれるばかりだ。


 肌寒い夕暮れの時、気が済んだのか蹴り付けていた男がやっと去る。時折振り返り罵倒をぶつけ、蔑視の視線を向けながらら。


「…………っ」


 暫く硬直していた子供が蠢いたかと思えば、ゆっくりと上半身を起こした。


 服の中に隠した残飯として捨てられていたパンの欠片を確認し、よろよろと立ち上がる。


 一人、暗くなる街を行く。


 明かりの灯る街の建物からは団欒の声が漏れ、夕食時の家族の賑わいを感じさせている。


「…………」


 母親と子供達がはしゃいでいる影を窓越しに見上げ…………やがて再び歩み始める。


 何度となく繰り返すも、残るのは決まって途轍もない寂寥感だけであった。


 両親を殺されてからたった一人の自分には、もう二度と手に入らない幸福。忌み嫌われ、受け入れられる事のない自分には、二度と訪れない一時。


 唯一自分に残された森の小屋へ黙して帰る。


 俯き、坂道を登る。


「…………っ!?」


 小屋へ辿り着くより前に、異変を察した。


 煙が上がり、雲に覆われた星のない夜空を橙色の光が仄かに焼いている。


 山道から逸れて茂みへ入り、潜みつつ家へと駆ける。


「…………」


 悪意の炎が、想い出をも少年から奪い去っていく。


 ………


 ……


 …



 ――――月日は経ち行く……。



 その荒れ果てた地は、東西の狭間にあった。


 砂埃吹き荒ぶ荒野に集結した東軍と西軍が睨み合う。


 西部カニラに、東部ヤード。元は一つの国だった。だが貧しい土地柄の西部カニラは蔑まれ、豊かな風土の東部ヤードはカニラを他所に賑わっていた。


 つまるところ『病める国』カニラの鬱積したものは爆発し、睨み付ける格下に『富める国』ヤードは苛立ったのだ。


 やがて国は割れ、対立し、憎悪し、時折こうして直接的にぶつかることもある。


「はっ、見てみろよ。まるで蟻じゃねぇか」

「あぁ、皆殺しにしてやろうぜ。ったく、カニラ民風情がふざけやがって。こんななんもねぇとこまで出張ることになったじゃねえか」


 熱い真昼の陽射しに汗滲む額を袖で拭い、嘲笑して吐き捨てるヤードの気高き騎士達。


 相対する西側カニラの軍は、自軍二万の二十分の一。しかも装備する剣も槍も、鎧に至るまで安物と来ている。無理もない話であった。


「……降伏し、武器を捨てろっ! でなければ情け容赦はせんぞ!! 誰一人生きては帰さん!!」


 これではただの殺戮としかならない。ヤードの指揮官は冷静に白旗を挙げるよう求める。


 溜め息がヤード陣営から漏れるのは、生意気なカニラ兵を叩きのめせなかったからか。はたまた遠征が早くに終えられるからなのか。


 やがて返答する為、カニラ軍から一人の小柄な貴公子然とした男が白馬に乗って歩み出る。カニラの有力者であろう。


「…………」


 金の髪色を靡かせ、目鼻立ちの整ったその者。少年にも思える低身長の美しき青年が、威風堂々と何の警戒もせずに中間まで踊り出た。


 そしてここから、東西の歴史が変わる。


「今日という日を覚えておくがいいっ! 今日この時をもってヤードは消えて無くなるっ!」

「……残念だ」

「そしてカニラもだっ!!」

「…………?」


 中性的かつ若々しい見た目に不釣り合いな通る声音で、ヤードのみならずカニラの消滅も吠えた。


 訳も分からないヤード陣営を他所に、男は続ける。


「――十二国の神達へ告げるっ!!」


 通例とも言うべき、自らも含めた神への宣告であった。


「なっ……!? なにを言い出すのだ!!」

新たな神・・・・が参戦するっ!!」


 世界は常に“十二柱の神”の存在により成り立っている。


 “神紋章じんもんしょう”をその身に刻み、人の身で《祖なる者》達の権能を有する十二人が世界の基本として君臨している。


「若輩者だがっ、宜しくな!!」


 金髪の貴公子“シリウス・レイディーゴ・グランキュリス”が左肩の紋章を輝かせ、光の粒子を手に集めて金槌ハンマーらしきものを作り出す。


 無から有を生み出すそのような超常現象は当然に有り得ない。つまりそれは証であった。


「《光神紋こうじんもん》を身に刻む者として宣言するっ、――――ッ!!」


 白馬から飛び降り、荒れ果てた地へ光り輝く槌を叩き落とす。力強く、息吹を吹き込むように。


 地表へ散った光の粒子が波となって広がり、幻想の都が現実に創造される。


 最初の神王ともされ、最も尊き神と謳われた《祖なる光》の権能〈王国生誕キングダム〉が行使された。


 時に海を割り、時に天候を変え、時に山を浮かす……。


 神の力は、国興しをも瞬時に可能とする。


「…………」

「うそだろ……」


 茫然自失となって周囲に立ち並ぶ白き建造物を見上げるヤード軍の手元から、からからと乾いた音を立てて武器が零れ落ちる。


 戦闘など最早有り得ない。理由など言わずとも察せられるだろう。


 人は神には抗えない。


 顔面蒼白だ。引いた血の気に身体は冷え切り、震えながら神に相対した事実に慄く。


 否応なく、異論もなく、カニラに軍配が上がる。


「ふっ、上出来だな。これから他の神紋章がどう出るか、楽しみだ」


 勇んで笑うシリウスが…………純白の王城の天辺から、一度に建て上げられた王国の絶景を眼下に呟く。


「――〈神装グリッター〉」


 神々しくも雄々しい白と金の全身鎧を身に纏わせ、蒼穹へ浮かび上がり、声高々に大陸へ打ち立てる。


「今からこの地を、“新聖国家グランキュリス”とするっ!!」


 こうして新たな国家と同時に、十二柱目の神が誕生した。


 これまで存在が確認されていなかった最後の神が王として出現し、こうしてまた世界に十二の神紋章が出揃う。


 以降、世の摂理として神紋章のどの柱かが失われない限り新たな神は現れない。


 この十二柱の元で世界が作られる。



 ♢♢♢



 グランキュリスより南、『マナズム連合』。


 世界の知識が集まる場所とまで言われる“大図書館”に、主な国の代表が足を運んでいた。


 政治的軍事的に関わらず重要性の高い事項をこの存在に通さずしてマナズム連合は動けはしない。


「っ……“サー・クリス”。読書中のところ申し訳ございません。急な面会に加えて何とお詫びすれば良いのか……」


 大図書館に常駐する生粋の読書家である《術神紋》サー・クリスへと年配の議長が声をかけた。


「……いつも思うのです」

「っ……な、何をでしょう……」


 モノクルに茶色のタキシードを着こなす初老の男性が、見渡す限りの本の景色を背景に分厚い本から視線を向けた。


 普段ならば『構いません、急用なのでしょう?』と、言葉柔らかな返答がされていた。


 《神紋章》の些細な変化ですら緊張の度合いは計り知れない。


「文字ばかりではなく、絵なども載せれば書物に興味を持つ方が増えるのではないかと。…………どう思います?」

「は、はぁ……そう、かもしれません」

「やはりッッ!! しかし画家達が発表するようなキャンバスを本に挟むわけにもいかず、どうしたものでしょう…………あぁ口惜しいっ!!」


 専用の椅子から崩れ落ちる変わり者のサー・クリスだが、中位の《祖なる者》の権能を有する紛う事なき神の一人だ。


 《光神》が誕生したというのであれば、共に対策を検討しなければならない。


「……サー・クリス、それも大変に興味深くはあるのですが、《光神紋》シリウス神にどのようなアプローチを行うのかもとても重要かと」

「おや、まだお伝えしていませんでしたか?」


 別の代表の問いかけに、サー・クリスはすくりと立ち上がってタキシードを正す。


「時が来るまで密にとの事でしたが……実はシリウス神との交渉は二年前に終わっています」

「なんですとっ!?」

「な、なんと……して、どのような密談となったのでしょうか。お聞かせいただけるようですが」


 唖然とするマナズム連合の首脳陣を前に、サー・クリスは静かに上を指差す。


「コレ等の術式と引き換えに、同盟を結ぶこととなりましたので後はよろしく」


 コレが指すのはマナズム連合の代名詞とも言える術式であろうことは、誰しもが察するところであった。他国から要望の声が止まらず、誰もが喉から手が出るものである。


 天へ伸びる大図書館内を、司書を乗せて自在に浮遊する幾つもの足場。他国からすれば、まるで異世界の移動手段であろう。


 〈飛行の術式〉であった。


「《光神紋》はご存知の通り最高位。無理に拳は握らず、同じ『共存派』の《祖なる者》でもあるのですから仲良くしておきましょう、にっひっひ」


 笑い方は相変わらず一癖あるが、シリウス神に敵意がないという報にマナズム連合は胸を撫で下ろすこととなった。



 ………


 ……


 …



 グランキュリス国から東、『幻想国家イムアジン』。


 薄暗く巨大な塔の内部に、五十を超える狐目の男がただ一人歩み入る。


 男で立ち入れるのは現在、彼一人だ。


「――オウリオン神様、新たな……否ッ、最後の《神紋章》が姿を現した模様です!! それもすぐ隣にッッ!!」


 宰相ズリュイフ・ザケルが地に額を付けて報告する。


 遥か頭上に続く階段の先へ届くようにと、小柄な身体で声を張り上げる。


「…………………………」


 二度目の呼び掛けは禁忌。頭を上げて顔が見えようものなら、どうなることか。顔の皮を剥がれるならばまだ命は助かるが……。


「………………ッ!!」


 女性の叫び声。


 それは次第に勢いを無くしながら頭上より転がり落ちて来た。


「………………あとに……せよと……」

「……承知した」


 賢犬省の出身で見目麗しいと評判であった女だが、とうのたって暫くすればオウリオン神の好みから外れてしまう。


 するとこのように裸で投げ捨てられ、『神の寵愛』という名の呪縛から解放される。廃棄の段階を過ぎ、生き長らえるのであれば。


「…………」


 このように頭蓋が割れて全身打撲などの外傷により、直ぐに死に絶えることが殆どであった。


 オウリオン神の情欲を受け止める美女がイムアジン全土から集められる。生き残るには床の技も重要だ。媚びる言葉も。しかし何より最後の解放時に耐え得る強き身体こそが、この国の美女達に最も求められる才能なのかもしれない。


 死に際に流れる無念の涙も見飽きたズリュイフは俯いたまま立ち上がり、踵を返して一度退散した。


 その頃、遥か高き神座では……。


「げぷっ…………あぁ……いいぞいいぞ、お前達……」


 肉、酒、女に囲まれた巨漢がいた。巨大な猿のような顔面が胸元から生え伸び、それが体内へと戻る最中だ。


 一糸纏わない肥満体を投げ出し、裸の女達に全身を使って奉仕をさせ、自分も望むままに浮腫んだ手を這わせる。


「あんっ……もう、お上手なんですからぁ」


 無論、女の演技だ。他の女達は先を越されたと笑顔の裏で歯を食いしばる。


 愛されている内は先程のように捨てられることはない。皆、生きる為に競い合い、必死に媚びている。


「愛いっ!! うむっ、愛い!! 愛いわぁ……後で欲しい物をズリュイフに申し付けておけ!!」

「ありがとうございますっ!」


 《獣神紋》オウリオン・ビースキー。敵対する『共存派』のみならず、同じ『従属派』の神達からも脅威とされる強大な特性を持つ厄災ともされる《神紋章》である。


 やがてイムアジンはグランキュリスとの敵対を表明する。


 理由は……『ヤードの奇跡』、『カニラの奇跡』とされる絶世の美女二人を奪うという俗な願いの為であった。


 南は同盟、東は敵対、西は静観。全て計画通り。


 シリウス唯一の懸念であった北は、グランキュリスに目もくれず内海とされるビューア湖を挟んで敵対状態。


 いかに過去に《神紋章》を殺した実績を持ち“個”として凶悪極まる《獄神紋》と言えども、水を操られるのでは目的の“カリウス艦”奪取は困難を極めるようであった。



 ――――四年後……。



 神話から飛び出したような純白の街並みには、人々が豊かな生活を送っている。


 生活は一変し、上空には《術神紋》が施した〈飛行の術式〉により飛び交う大きな飛空艇の影。水に困らず、不浄も見当たらず、作物も豊富となり、新国家グランキュリスには明るい兆しが見えていた。


 未知なる文明の建造物は見上げるまでに高く、未来的な造形で移住した国民達ですら毎日欠かさずに感嘆の溜め息を吐いてしまう。


 中でも飛び抜けて荘厳なグランキュリス城には多くの精鋭達が集う。


 《光神紋》シリウスの兵は大きく分けて二種類。


 適性・・が認められ、実力有りとされた者は“輝士ナイト”。実力がありながらも適性が見込めない者は“兵士”。


 一般的に都市内の治安を守る兵士に対して、より戦闘に特化した“輝士ナイト”は《光神》の騎士ともされ、誰しもの憧れの的であった。


「…………」

「お〜い、何を空を見上げてぼーっとしとるんじゃあ。早ぅ次に行こうや」

「……あぁ」


 つまり輝士にも兵士にもなれない、適性も実力もないこの青年や老人のような者は清掃部等に配属されることとなる。


「儂が里帰りしてる間に問題を起こすなよ? お前にも土産を買って来てやるからな」

「……何度も聞いた。里にでも土にでも好きなところに帰れ」

「なんちゅうこと言うんじゃ!?」


 濃い赤茶髪をした無気力な青年が、足を引き摺る老人に毒を吐いてその後を行く。


「ああっ、腰が痛い……肩も痛いっ」

「……痛い部位を俺に伝えて何になる。逐一報告してくるな」

「三年の付き合いになるというのに、冷たいのぅ……」


 洗濯物を積み上げた自身の背丈を大きく超える荷台を一人で引きながら、老人を連れて王城を行く。


 雲一つない昼間の空は青い。それが常識だ。


 常に《神紋章》は十二人しか存在しえない。これもまた世の常識である。


 十三人目・・・・は、有り得ない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る