第25話

 時間を遡ること少し。

 琴無望ことなしのぞむは2つの想定外に見舞われた。


 1つは緋能登夏鈴ひのとかりんから送られてきた“護衛対象”である弥生芽衣やよいめいが早退したこと。

 そのせいで放課後、緋能登に彼女の自宅を教えてもらう羽目になった。


 『絶対、芽衣を守ってね、琴な――クロアくん』


 彼女から、そう言ってを刺される形で。


 その後、帰宅した先でもう1つの想定外が発生する。

 出立前。ラフォリアに少し多めに血を分けてもらおうとしたとき。


 『いや』


 彼女がごねたのだ。

 琴無が血を多く欲する――吸血鬼としての力を欲するということは、危ない橋を渡ろうとしているということ。

 たった1人の眷属を大切に思うラフォリアとしては、見ず知らずの誰かよりもよっぽど、琴無の方が大切だった。


 『私も行く』

 『ダメだよ。ラフォリアが出て行って、もし見つかるようなことがあったら――』

 『血はあげない。ノゾムに危ないこと、して欲しくない。お金もいらない』

 『言っておくけどラフォリア。例えクロアになれなくても、俺は行くよ? 血をくれないと、俺、死ぬかもだけど』


 自らの命を交渉に用いるという琴無の、最低最悪の手段。


 『……ノゾムがそういうこと言うなら、私にも、考えがある』


 結局。ラフォリアは最低限、琴無の髪色全体が白くなる程度――クロアになることが出来るまでは血を分けた。


 『ありがとう。行ってきます』


 玄関先で言ったものの、必ず返ってくる見送りの言葉がその日は無かった。




 が弥生宅のすぐ前にある公園についたときには、深夜0時を回ってしまっていた。


 5階建ての鉄筋コンクリートの建物が建ちならぶ集合団地。

 現着するなり感じた、強力な霊の気配。

 すぐさま地面を蹴って、3階にある、とある部屋のベランダに着地する。

 見れば、150㎝ほどの幽鬼――幽霊の一種で、相手の最も恐れているものに姿を変えるとも言われる――に首を絞められる弥生芽衣やよいめいの姿があった。


 指先の鋭い爪で刺し殺せばいいものを、あえての絞殺。

 緋能登の”苦しみ”を願ったために、最も苦しむ方法で殺されようとしていた。

 そのおかげで間に合ったとも言える。


 「ご……ね。かぃ……ん……ごめんね、夏鈴ちゃん……


 目端に涙を浮かべ、苦しむ弥生。

 人を苦しめたのだから当然だと思わなくもないクロアだが、仕事だと考え事を後にして、


 『……誰ダ?』


 不思議そうにこちらを見上げる幽鬼の頭を蹴り飛ばす。

 ベランダの壁に激突した鬼が着ている布切れの首根っこを掴み上げ、開けた場所――目の前の公園に投げ飛ばした。


 「ぉぇ、けほっ……はぁ、はぁ」


 苦しみから解放され、荒い呼吸を繰り返す弥生。


 彼女の無事をちらりと確認して、クロアはベランダから飛び降りる。

 向かう先はまだ健在らしい幽鬼が待つ公園。


 そこで彼は3つ目の想定外を、身をもって知ることになる。




 そこは滑り台と動物の形をした乗り物が3つ、ブランコがあるだけの四角い小さな公園。

 駆け付けたクロアが、ゆらゆらと立ち上がる幽鬼の姿を捉える。


 『オ前、何者――』


 体勢を整える前に……!


 地を蹴って弾丸のように幽鬼の懐に飛び込んだクロアは、膨らんだ腹をめがけて右ストレートを打ち込む。

 向上した身体能力と、突進の威力も上乗せした渾身の一撃が幽鬼を捉えた。


 呪いが発する負のエネルギーによって呼ばれ、形を得ただろう鬼。

 いくら丑の刻参りが強力な呪いであっても、途中で失敗し、返ったエネルギーだけなら、自分でも倒すことが出来るとクロアは考えていた。


 訪れる静寂。


 日付変わって今日は土曜日。午前中は授業がある。

 緋能登に依頼完了の連絡だけして、早く寝よう。そう思いスマホを取り出そうとしたクロアだったが、本能に従って身を反らせる。


 刹那。

 先ほどまで彼の顔があった位置を、鋭い爪が通り過ぎた。

 見れば幽鬼が右腕を振り抜いた姿勢でいる。


 確実に倒したと思ったんだけど……。


 ひとまずバックステップで体勢を整えようと、クロアが一歩退いたとき。


 突如、幽鬼の腹が裂け黒い霧が噴出したかと思うと、新たに2本の腕が飛び出てくる。

 その指先にも鋭い爪があり、目の前には、予想外のことに硬直したクロアの身体があった。


 結果。

 真っ直ぐに伸びた幽鬼の2本の腕が、クロアの胴体と右胸部を貫通する。


 「がぁっ!」


 舞い散る血しぶき。

 次いで、喉奥を上って来た大量の血を吐きだすクロア。


 『馬ァ鹿』


 嘲笑するように言った鬼は、容赦なく腕を引き抜く。

 途端、噴き出す命の雫。

 ドバドバと音を立てて、公園の地面を赤く染める。

 しかし、少しすると、損傷した部分がみるみるうちに修復していく。

 吸血鬼にまつわる数ある伝説。その中の不死性を表した力だ。


 その様を訝しむ幽鬼の隙をついて、クロアが立ち上がろうと――


 『ゲヒャ!』


 したところで、鬼が凶手を振り下ろす。

 そのまま、倒れたクロアに馬乗りになって、鋭い爪を突き刺し、人外の膂力で叩き潰し、黄色い歯を赤く染めて肉を嚙み千切る。

 何度も、何度も。


 ザクッ。

 バキッ。

 ブチリ。


 深夜の閑静な団地に響く鈍い音。それに合わせて歌うように響く、幽鬼の狂笑。

 さながら、クロアという肉を使った鬼のリサイタルだった。




 そうして、狂気の音楽に幽鬼が酔いしれる一方で。

 座りこんだまま酸欠状態から脱しつつあった弥生は、声を聞いた。


 「ふふ。いい気味」


 見れば1人の小さな女の子がベランダの壁に腰掛けている。


 病的に白い肌。透き通るように白く、なめらかな髪。

 それと好対照な、フリルをあしらった漆黒のドレス――ではなくただの寝間着。

 月明かりすら無い、真っ暗な夜に咲くように“白”が揺れていた。


 「クロア……、私を脅すなんて、300年早い」


 階下を見下ろし、独り言ちるラフォリア。

 彼女は、自分の身をぞんざいに扱いがちな眷属にご立腹だった。

 よって、ヒマな時に調べたネットの知識で言う「分からせ」をしようと思ったのだ。

 もちろん自分が影に潜んでついてきている時点で、彼が死ぬことなどありえない、という確証あってのことだが。


 「これで、身体を大切にしてくれる? 再生にも限界と弱点がある。それに、人間ひとでありたい。そうでしょ、クロア?」


 とはいえこれ以上はになってしまう。

 それに、大切な眷属をこれ以上痛めつけられるのは業腹だ。

 雲間にこぼれた月光に、白い髪が躍った。

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