第22話

 琴無望ことなしのぞむが予測する、呪いの効力が発揮されるその時までおよそ半日。

 時間は限られている。


 朝、陸上部の練習に参加する緋能登夏鈴ひのとかりんは、出来る限りのことをしようと息巻いていた。


 「おはよう、夏鈴ちゃん。これ、今日のメニュー」


 クリアファイルを手にやってきたのは陸上部のマネージャーの1人、弥生芽衣やよいめい


 「おはよ、芽衣! って、ひどい顔だよ? ……まだ寝不足?」

 「あはは、そうなんだぁ……。でも夏鈴ちゃんは元気そうだし、もう大丈夫かも」


 よく見なくともわかる、目元の深いクマ。昨晩、よく眠れない理由でもあったのだろうか。

 呪いではないとしても、弥生には抱えている問題がありそうだと琴無が言っていたことを思い出す緋能登。


 「……もし何か困ってるなら、話しぐらい聞くよ? 芽衣は私の、大切な友達だから!」


 嘘偽りのない想いを伝え、力になることが出来ないかと聞いてみる。

 しかし、ロブを揺らしながらフルフルと首を振った弥生は、


 「大丈夫だよっ! 夏鈴ちゃんは自分の心配だけしてて!」

 「あ、芽衣!」


 そう言って、逃げるように走り去ってしまう。

 今の緋能登は身体的にも精神的にも、見送ることしかできない。


 もし彼女が自分を呪うとして、果たしてその動機は何なのか。

 呪いには強い動機が必要だと琴無は言っていた。

 だとすれば、弥生の動機がどうしても分からない緋能登。それゆえに、弥生が犯人だとは思えなかった。




 1時間ほどして、朝練が終わる。


 「緋能登、まだ足、治って無いだろ? 手伝おう」

 「霧島先輩! ありがとうございます」


 黙々と器具を片付けていた緋能登に話しかけてきたのは、霧島健きりしまけんだった。

 2人でハードルやバーなどの比較的軽く、数が多いものを黙々と体育倉庫に運ぶ。

 所定の場所にそれらを片付け、礼を言った緋能登に対して。


 「マネージャー……弥生と喧嘩でもしたのか?」


 眼鏡の奥の瞳を逸らしながら、ためらいがちに聞いた霧島。


 「いえ、そんなことは! ただ、芽衣、最近、心配ごとがあるみたいで……。それについて聞いてみただけです」

 「そうか」


 短く相槌を返すのみで、考えている様子の彼に緋能登は聞いてみることにした。


 「何か、思い当たること、ありませんか? もしくは芽衣から聞いていたり」

 「……無いな。一番仲の良い緋能登に話さないことを、どうして俺に言うと思う?」

 「そう、ですよね」


 霧島については呪っていた当人ではなく、関わっているとしても、協力者だろうと緋能登は考えている。

 彼が自分を呪う理由があるとすれば、振られたことへの逆恨み、あるいは嫌がらせ。

 しかし、こうして話そうと――以前の関係性に戻ろうと努力してくれる彼には、緋能登から見て、強い動機と呼べるものが無いように思えた。


 もう1つ。

 琴無と緋能登が犯人の仕業と思い、また、竜胆が暴走する要因にもなった「緋能登が誰かと付き合っている」という噂を、霧島が伝聞形で話していたこと。


 「そう言えば、先輩。この前言っていた私が誰かと付き合ってるって話、誰から聞いたんですか?」

 「……誰だったか」


 目を逸らす霧島。

 根が真面目だからだろうか。この人は本当に嘘が下手だと、緋能登は思う。今までの全てが演技だとすれば、もう緋能登にはお手上げだが、どうやら彼は、例の噂を特定の“誰か”から聞いたようだった。

 そして、それ以前にそういった噂が無かったことから考えて、誰よりも早くその噂を知ったことになる。

 彼が噂を広めた当人だとしても、そのメリットが無い。もし「霧島と付き合っている」という内容であれば、話は変わってきたのかもしれないが。


 「もし、その人が今、呪いのせいで苦しんでいますって私が言ったら、先輩は名前を教えてくれますか? 私、その人を助けたいんです」

 「……悪い」


 言えないということ。


 「命に係わるかもしれないと言っても、ですか?」

 「ああ。俺はまだ、呪いなんてものを信じ切ってはいない。緋能登の捻挫が偶然だと言われても納得できるからな」


 秘密を守ろうとする義理堅い性格、オカルトを信じ過ぎない霧島に、安心する緋能登。


 思わずこぼれた彼女の笑みを見て、眼鏡の位置を一度直した霧島は、


 「俺が言うのもなんだが、犯人探しみたいなこと、やめないか? 緋能登らしくないように思うが」


 そう提案する。

 彼が知る緋能登夏鈴という後輩は、明朗闊達めいろうかったつを地で行く人物。

 “その人”を助けたいというのも嘘ではないと、彼は確信している。

 いつも笑顔で、真っ直ぐ。そんなところに惹かれたのだ。

 今も未練が無いと言えば、嘘になる。だからこそ、緋能登には傷ついて欲しくない。

 そう思っての提案だった。


 しかし、同時に、霧島の知るこの後輩は――。


 「すみません……」


 予想通りの返事に、思わず安堵の息を漏らす霧島。


 「そうか。緋能登には断られてばかりだな」

 「あはは……本当に、すみません!」

 「いや、俺の言い方が悪かった。……ダウン、始めようか」

 「はい!」


 自ら振られた時の傷を抉る結果になってしまったが、不思議と気まずさは感じていない。

 それは彼が、失恋を克服した証でもあった。




 そして、緋能登が最後の1人、岸間時子きしまときこに会えたのは、その日の昼休みだった。

 前回をしたときに交換しておいた連絡先に、会いたい旨を送ったのだ。

 すぐに既読はつき、


 『ちょうど良かったわ。私も話をしたいと思っていたの。昼休み、中庭で会いましょう?』


 と、返信が来たのだった。


 「来て頂いて、ありがとうございます」

 「ええ、大丈夫よ。場所、取っていてくれてありがとう」


 人気のベンチ席。先に来て場所を取っておいた緋能登が、岸間が座れるように場所を空ける。


 「先輩のお話から聞いてもいいですか?」

 「いえ、緋能登さんの方からでいいわ」

 「わかりました」


 岸間が昼食のサンドイッチに口を付けた後で、緋能登も弁当を食べ始める。


 「単刀直入に。岸間先輩――呪いについて、何か知りませんか?」


 ちらりと岸間の反応を伺いながら、緋能登は聞いてみる。

 驚いた表情を見せた岸間。刹那に見せた緊張。

 その意味を緋能登が探るよりも早く。


 「そう、もう知っているのね。私がおまじないをしようとしたこと」

 「そうですよね知りませんよね! じゃあ――え?」


 あっさりと自供した岸間の態度に、緋能登は呆気にとられることになった。

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