第13話

 クロアが放った全力の拳が、竜胆隼人りんどうはやとを凶行に走らせた昏い想いを――物理的に――捉えた。


 「ゲャァァァーーー……」


 いつか聞いたものとよく似た、断末魔の叫びを上げて霧散していく憑き物。

 今ならその奥にある竜胆の声が聞こえたような気がするクロアだった。




 重くなり始めた身体を実感して、吸血鬼としての力が弱まりつつあることを自覚するクロア。

 彼には吸血鬼の力が濃いうちに、もう一つ、やっておくことがあった。


 「っ……」


 声を押し殺し、左手に刺さった刃を抜き取る。


 プチュッと音がして、少しだけ血が飛び散ったものの、すぐに傷が塞がり始める。

切れていた筋繊維や欠けていた骨が修復されていく奇妙な感覚。


 10秒ほど経ったところで、体内に残っていたらしい刃の欠片と思われる小さな金属片がいくつか吐き出された。

 髪は完全に黒く戻り、鋭敏になっていた感覚も普段通り。

 最後に、表面の傷が治ったちょうどその時、身体が本来の重さを思い出したのだった。


 色んな事がギリギリになったことを反省しつつ、殴りつけた竜胆の様子を伺う。

 息は――している。

 念のため、その手に握られていたカッターを回収しながら、


 「おい、起きて、竜胆。……起きろ!」


 軽く頬を叩いて、目覚めを促す。

 彼が倒れたのは中庭の芝の部分ではなく、遊歩道。

 敷かれている砂利がクッションになっただろうが、頭を強く打ち付けた可能性もあった。


 「ぷはっ!」


 呼吸を思い出したように荒い息を吐きつつ、寝ころんだまま琴無を見上げる竜胆。

 そのまま、しばらく息を整えていた彼は、やがて、ゆっくりと起き上がった。


 「大丈夫そう?」

 「ああ……」


 琴無の問いに、呆然としつつも頷く。


 「俺、緋能登に告白して……、その後、それが勘違いで――」

 「そう。それから多分、ショックで気絶した」


 竜胆が混乱しているうちに、それっぽい話を吹き込む。


 「そっか。起こしてくれて、ありがとうな。……ところで、琴無。お前、なんでここにいるんだよ?」

 「あー、それは、ほら。『影から見守る』って言ったから」

 「……おまえ、やっぱり緋能登ひのとと――」

 「あのー……」


 男子2人のやり取りを遮るように、遠慮がちな声がかかった。

 竜胆が気まずそうに、琴無がちらりと見た先。

 そこには、噴水に座って苦笑する緋能登夏鈴ひのとかりんの姿があった。




 「あ、ごめん、忘れてた。待って、緋能登さん」


 彼女にそう聞かれた琴無は、噴水近くにある水飲み場でハンカチを濡らす。

 色は濃紺。ラフォリアが「たしなみ」と言って琴無に持たせているものだった。


 「顔、泥ついてるからこれで拭いて」

 「あ、ありがとう……。泥……?」


 疑問に思った緋能登が拭いてハンカチに移った汚れを確認する。

 しかし、濃紺という色のせいで、それが泥なのか、それとも別のものだったのか、分からなかった。


 「洗って返すね。ていうか、『忘れてた』って、地味にひどくない?」


 湿ったハンカチを足元のカバンにしまいながら、そう、不満の声を漏らす彼女。

 態度や口調からも余裕そうに見える。

 が、神社での一件が身に染みている琴無には、


 「えっと、いつから見てた?」


 それを確認する必要があった。

 飛び散った血、カッターの刃が刺さった手を見せないために目を閉じているよう彼は緋能登に指示した。

 しかし彼女は今、目を開けている。

 そのタイミング次第では、トラウマ系の場面を見ているかもしれない。

 そして、もしそうなら、今の彼女の態度もあの時同様、空元気かもしれないのだ。


 そんな琴無の問いに、


 「その……倒れてる竜胆くんと、こう、仲良さそうに、見つめ合ってたあたり……?」


 目を逸らして言った緋能登。

 秋空に例えられることも多いその内心を、琴無が懸命に推し量っていた時だった。


 「緋能登っ」


 竜胆が歩いてくる。


 ビクッと見た目でもわかるほど強張こわばる緋能登の体。

 今回はそれを、竜胆もきちんと見て、理解できた。

 少し離れたところで立ち止まった彼は、


 「ごめん! めちゃくちゃ、怖がらせた!」

 「えっ?」


 そう言って全力で頭を下げた。


 「いや、俺マジで、どうかしてた……」


 そんな彼の姿に、琴無もこのタイミングだと判断し、緋能登と、竜胆に対しても頭を下げる。


 「それについては、俺も。告白を勧めたのは俺なんだ。だから、ごめん。竜胆も、俺が焚きつけるみたいになって、ごめん……」

 「えっ……え?!」


 状況が飲み込めていない様子の緋能登。その視線が竜胆と琴無を行ったり来たり。

 一方で竜胆は、琴無の謝罪に待ったをかけた。


 「いや、告白しようって思ったのは俺だ」

 「そうだけど。竜胆が焦るような言い方をあえてした――」

 「いや、俺がお前の思惑通りに動いたとは言わせない。あくまでお前は、俺の背中を押しただけだ」

 「竜胆……」


 憑き物が落ちたように、とはまさにこのことなのかもしれないと、感心する琴無。

 見れば、漂っていた黒いもやは、きれいさっぱり無くなっている。


 「それに、それを認めると、琴無が緋能登の彼氏として余裕あるやつ、みたいになるからな」

 「「……え?」」


 竜胆の発言に、声が重なってしまう琴無と緋能登。


 「ん? お前ら付き合ってるんだろ?」

 「いや、違うけど……?」

 「うん。そもそも私、今は誰とも付き合う気、無いし、付き合えないと思う――」


 そこまで言って、緋能登は朝練の時に部活の先輩、霧島健きりしまけんが言っていたことを思い出した。


 『聞いたんだよ。緋能登、好きな人がいるんだろ?』


 知らないところで、誰かが噂を広めている?


 単なる勘違いで広まっているならば、仕方ないのかもしれない。

 でも、そうでない可能性も十分じゅうぶんにあった。


 実際、折り悪くその噂を耳にした竜胆は、彼氏である琴無が自分を泳がせたのではないか、馬鹿にされたのではないか、と疑念を深めるに至ったわけで。


 琴無はそこに、“誰か”の悪意を感じている。

 まだ緋能登を取り巻く悪意――呪いは、解決していない。


 そう判断して、彼は竜胆に聞いてみる。


 「竜胆。その噂、いつ、誰から?」

 「それ、私も気になってた!」

 「確か……放課後すぐ、だな。女子たちが話してるのを聞いた」

 「なんて言ってたの?」


 緋能登の突っ込んだ質問。

 まだ彼女に対しては気まずさがあるのか、少し歯切れ悪そうにしながらも。

 竜胆は2人に、噂について話し始めるのだった。

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