第12話 

 何かに憑りつかれたように、竜胆隼人りんどうはやとが振り下ろすカッターの刃。

 それを受け止めようと差し出された手のひら。


 振り下ろされた刃はやすやすと肉を裂き、奥にある骨をも刺し貫く。

 飛び散った血が噴水と、緋能登夏鈴ひのとかりんの顔に飛び散った。




 強く目を瞑り、反射で動いてしまった手を顔の前に掲げたまま、その時を待つことしかできない緋能登。

 が、どれだけ待っても痛みは襲ってこない。

 ふと、頬を伝う生暖かい液体があった。


 少しだけヌメッとして、鉄臭いそれを確認しようと――


 「目を開けるな、緋能登さん!」


 すぐ近く、少し高い位置から聞こえた声。

 奇しくもそれは、あの日、あの夜。

 自分を助けてくれた、あの男子生徒――琴無望ことなしのぞむの声だった。




 竜胆との約束通り、緋能登には失礼だと思いつつも、木のがある場所、つまりは蔭で様子を伺っていた琴無。

 告白が上手くいくことが最善だったが、残念ながら、失敗した。


 そして、状況は最悪の方向に転がっていく。

 故意ではないだろうが、緋能登がこじらせ男子の急所を突いてしまった。


 カッターを持って来ていたのは竜胆の意思に違いない。

 それでも、常時なら緋能登を傷つけるようなことはしなかったはずだ。

 が、積もり積もった負の感情が“憑き物”となって竜胆から理性を奪った。


 琴無は確信する。

 あの夜、緋能登を襲った生霊は、鬱屈とした竜胆の想いの思念体だと。

 憑かれている竜胆の見た目や態度、まとう空気感も同じ――。


 って、早く緋能登さんの無事を確保しないと。


 思考を振り切り、行動を起こす琴無。

 緋能登が部活に行っているうちに、念のためにとラフォリアからもらっておいた小さな小さな瓶を開ける。

 日の光で焼けないよう、慎重に中の液体――ラフォリアの血を飲み干す。


 すぐに訪れた変化。

 琴無の髪の付け根付近が少し白く染まる。

 軽くなる身体。

 五感が鋭くなり、視界が嫌にまぶしい。


 そんな不快感に構わず。


 もって、1分ぐらいかな……。


 木の蔭から飛び出した吸血鬼――クロア。

 すんでのところで緋能登と竜胆の間に割った彼の左手のひらが、振り下ろされた凶刃を受け止めたのだった。






 体の中に異物が入っている強烈な違和感。

 切り傷特有の、鈍く響くような、文字通り体の芯に響く痛み。

 加えて、吸血鬼としての特性が少し強めに出ているため、露出している手や顔を西日がじりじり焼く。


 「っ……」


 思わず、声を漏らしてしまう。


 「だ、大丈夫……?」


 結果、緋能登に心配をかけてしまった。

 自分の迂闊さを反省しつつ、


 「大丈夫だから、目を閉じたままじっとしてて」


 言い含める。

 2、3滴ほど、背後にいる緋能登の顔にクロアの血が飛び散っていた。


 カッターが貫通した手のひらに、飛び散った血。

 今の状況を見れば、誰もがトラウマになること請け合いだろう。


 これが例えば通りすがりのヒーローであれば、格好もつくのだが。

 今回、竜胆をたきつけたのはクロア。

 実質、この状況を作り出したのは彼自身だと言える。


 加えて、イケメンの先輩の告白に感化され、生霊となってある程度落ち着いたはずの竜胆の感情。

 それを再燃させたのも、自分かもしれないと彼は考えていた。


 『お前、緋能登と付き合ってるのか?』


 その疑念や焦り。


 そして、何よりも。

 先ほど、怒りに任せて言っていた竜胆の言葉に意味があるとすれば。

 まだ緋能登を取り巻く悪意が解決していない証拠でもあった。




 カッターを力ずくで引き抜こうとする竜胆。

 その刃が動くたびに痛みと違和感がクロアを襲う。


 パキリ。


 音がして、カッターの刃が折れる。

 反動で引き抜こうとしていた竜胆の体が、後方によろけた。


 まずは、竜胆を……。


 体勢を崩す彼に駆け寄り、手加減した右手の打ち下ろし。

 祈るように、みぞおちと思われる場所を殴りつける。


 昨年までただの一般人だったクロアこと、琴無。

 特別な戦闘技術があるわけでもない彼に、狙って相手を行動不能にできるすべなど無かった。


 「ぅっ!」


 口から息を漏らした竜胆が後ろに倒れる。


 動く様子は――ない。


 それを確認してすぐ、クロアは彼に憑りつくソレと対峙する。

 ふよふよと地上2mあたりに浮いているように見える黒い霧のような“憑き物”。


 幸い、前回、緋能登を襲ったように完全な形のある生霊にはなっていない。

 しかし、それと同程度の暗い昏い感情が渦巻いて、頭と下半身の無い、人の上体を形作っていた。


 「お前に、容赦はいらないよな」


 言って、実体がないはずの、その胴体部分めがけた、クロアの右ストレート。

 琴無であれば、見えるだけで触れられない霊や怨念。

 しかし、クロアになった今、ある程度形を持つほどの思念体になったソレに対しては――。


 確かな手応え。


 「クゥオォォォーーー!」


 口が無い憑き物の絶叫が響いた。

 が、まだ黒い霧は晴れない。


 血が薄い……。


 吸血鬼としての力が前回――神社で生霊を倒した時――よりはるかに弱いのだ。

 しかし、まだ日のあるうちはこれが限界。

 これ以上特性を強くしてしまうと、日に焼かれて動けないほどの痛みを受けるか、最悪、灰になって死んでしまう。


 「カァァァーーー」


 と、クロアに対して、今度はソレが右手を振り下ろす。

 その指先は猛禽類の爪のように鋭くとがっている。

 相手に触れられるということは、相手から触れられるということでもあった。


 やばいっ!


 憑き物越しに見える緋能登に心配をかけないよう、漏れそうになる声を必死でこらえて回避行動をとる。

 左に転身しつつ、上体を後ろに反らす。


 黒い爪がなびいた前髪をかすめるも、ギリギリで回避。

 むしろ、彼のなかでは、同じように浮き上がった制服の前衣が無事なことの方が高評価。

 体の傷は吸血鬼の力で、ある程度はどうにでもなる。

 しかし、制服はそうはいかない。


 買い直しにお金がかかる!


 け反り、倒れそうになる体を、右足を後ろに出して支える。

 そのまま無理せず屈んで、体勢を憑き物と正対できるように立て直すクロア。


 そして、右手の爪を振り下ろした体勢で隙だらけのソレに対して、右手を振り上げ——膝の曲げ伸ばしの力も加えた、アッパー。


 思わず握りしめてしまった左手が、刺さったままの刃を食いこませる。

 走り抜ける鈍痛。


 それでも、痛みを興奮という鎮静剤で押し殺して。

 クロアは、全力の拳を憑き物に向けて放った。

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