第11話

 放課後。

 中庭の噴水広場で、緋能登夏鈴ひのとかりん竜胆隼人りんどうはやとに告白(?)されていた。


 「ひ、緋能登って、俺の事好き、だよな?!」

 「ごめんなさいっ! ……って、え?」


 もしここで、竜胆がまっすぐに好意を伝えられる人物なら、そもそも、刃物を持ち出すほど歪んだ片思いをこじらせてはいない。


 緋能登も緋能登で、予想外の言葉に混乱する。


 自分が彼を好いていると、一方的に、思われてたの……?

 それって、中学の時と、木下くんと同じ――。


 結論にたどり着く前に、首を振って強制的に思考を止める緋能登。

 そして、自分に言い聞かせる。


 大丈夫、大丈夫……!


 気丈に振舞って、恐怖心から自分を遠ざける。


 「え、俺と緋能登って両思いなんじゃ?」


 そんな状態の彼女に、己の発言に気を配る余裕などあるはずが無かった。


 「私が、竜胆くんを……? どうしてそんな、……?」

 「ぁえ? 勘違い……?」


 勘違い。

 それは、一方的で歪んだ愛情を向ける相手にとって、最も効果的な言葉。

 同時に、その手の人間に面と向かって言うにはあまりにも危険な言葉だった。


 「え、だって……」


 力ない笑みを浮かべて、言葉を漏らす竜胆。

 しかし、すぐに”あり得ない”事実を否定する。


 「いや、だって……。だって! 相談に乗ってあげただろ?!」

 「そ、それは……――」


 言いよどむ緋能登に、彼はなおも自分勝手な“告白”を叫び続ける。


 「俺にだけ、笑ってた! 俺の前でだけ、泣いてただろ?! 俺だから本音を言ってくれる! 俺のことが好きだから、俺が頼りになるから! 緋能登と俺、2人で一緒に御伽話おとぎわに入ってからもそうだ! 見かければ声をかけてくれた! 笑ってくれた! 最近はあんまり会えなかったけど、……でも、そんなんじゃないだろ! そんなことで俺たちの関係は変わらないはずだ! そうだろぉ、緋能登ぉ?!」

 「り、竜胆くん。やめて?」


 そのあまりの剣幕に、緋能登の足が震える。

 それでも必死に、興奮状態にある竜胆を落ち着かせようとする。


 彼が語った内容は、緋能登にとっての当たり前。

 誰かと話すときは笑顔を心掛けているし、本音で語ろうともする。

 で、同郷の竜胆を見かけたなら、挨拶だってする。

 何も特別なことは、無い。


 泣いてしまった時は弥生やよいをはじめとする親友、他のクラスメイトも多くいた。

 緋能登が御伽話学園に来たのも、学校からの距離や偏差値を考えて。

 進路を決めた時はまだ、男性の多い満員電車での通学など、考えることすらできなかった。


 もし竜胆の言葉に本当のことがあるとすれば。

 緋能登が中学からずっと変わらず、彼の事を友達だと思っていたことぐらいだろう。




 「『やめて』……? なんでそんなこと言うんだよ? ……俺がこんなに好きなんだ! 緋能登もそうだろ?! なぁ! 何か言えよ!」

 「やめてっ」


 これ以上、友達が醜悪なモノになる姿を見聞きしたくないと、目を閉じ、耳を塞ぐ緋能登。


 そんな彼女になおも愛を届けようと、望む答えを引き出そうと、竜胆はさらに声を張る。


「俺の好きなとこ、あるだろ?! もう辞めたけど、テニスだって上手いし、話も聞いてやれる! 顔も悪くないと思うし、何より、誰より! 緋能登……いや、夏鈴のことが好きなんだ! だから――」

 「……るい」


 最終的に。

 恐怖と我慢の限界を迎えた緋能登が精一杯に絞り出した告白への返答は――


 「え?」

 「気持ち……悪い……!」


 決定的な拒絶の一言だった。






 人気ひとけが無い中庭に、運動場や校舎で部活動に励む生徒達の声や音が届く。


 しかし、緋能登と竜胆の間には、ただの1つも音が無い。

 底なし沼を形作るヘドロのような重い沈黙が、そこにはあった。


 ふと。

 その沼の表面を風がさらい、中庭にある生垣や植樹の葉を揺らす。


 もう終わった……?


 何も聞こえなくなったことを確認して、緋能登は耳を塞いでいた手をどけた。


 途端、さわさわと、木の葉が揺れる心地の良い音がする。

 じょろじょろと、あるいは、どぼどぼと。

 水面を叩く水の音が、心を落ち着かせてくれる。


 そんな自然の音に混じって。




 カチ、カチ、カチ――。




 歪な音が、風に乗って聞こえてきた。


 何の音……?


 そう思って、緋能登は音のする方を見てみる。


 あれ? こんなに、暗かったっけ?


 夕暮れまで、まだ余裕があると思っていた彼女。

 しかし、中庭は。中庭だけが。


 夜のとばりが下りたように、真っ暗。


 そして、その夜に紛れるように。

 人工的な鈍色を映す文房具――カッターを持った、醜い人間のようなものが立っていた。




 カチ、カチ、カチ――。




 カチ、カチ、カチ――。




 何度もその刃を出し入れしながら、ソレは人の言葉を話す。


 「気持ち悪い? 俺が?」


 うつろな目。

 半開きの口。


 「――調子に乗るな、ブスが!」


 緋能登を怯えさせるためだけに、狂気を帯びた声。

 明らかに正気を失った竜胆の、その姿は。


 数日前、あの日、あの夜。

 緋能登を追ってきた“何か”とそっくりだった。


 「俺に恥かかせやがって……」


 カチッ――。


 刃が伸びきった状態で、手を止めた竜胆。


 「ひっ……っ」


 その座った眼に射抜かれて、緋能登が身をすくませる。


 その姿をなぶるように、愉しむように。

 ゆっくりと、彼女に歩み寄る竜胆の口角が上がっていく。


 かと思えば今度は、その顔を憤怒の色に染め上げる。


 「お前が悪い……。勘違いさせるような態度をとる、お前がぁ! お前も、琴無も、テニス部の奴らもぉ! どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがってぇぇぇ!」


 積もり積もった鬱憤うっぷんを示すように、眉間に深く刻まれたシワ。

 目尻はあり得ないほど吊り上がり、口が下弦の弧を描く。

 今にも飛び出しそうなほど飛び出た、血管の浮く眼球。

 青白く、不健康そうだった顔が今は、紫色になっていた。


 「全部、全部ぅ! 俺が、壊す! 俺が、お前たち全員、殺してやる!」

 「や、やめて! 落ち着い――きゃっ!」


 必死に後ずさる緋能登の膝が急に折れ、噴水に腰掛ける形になってしまう。

 もう、逃げ場は無い。


 恐怖で体も思うように動かず、叫ぼうとしても声がうまく出せない。

 そもそも、ここには誰もいない。


 そして、最後に。

 感情の一切浮かばない、能面になった竜胆が、


 「――死ね」


 力を込めやすいよう逆手に持ったカッターを振り下ろす。


 ――ブチュ。

 ――ガリッ。


 鈍い音を響かせて、硬い骨と肉を貫く凶刃。


 飛び散る鮮血が噴水を赤く染めた。

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