第9話

 着替えを済ませた緋能登夏鈴ひのとかりんが広い運動場に着くと、そこにはすでに、ちらほらと朝練にいそしむ生徒たちの姿があった。


 私立御伽話しりつおとぎわ学園には校舎のそばにある第一グラウンドと、専用バスに乗って行く第二グラウンドがある。


 今朝、緋能登がいるのは第一グラウンド。

 授業でも使用される、業者の手が入った黄土おうどのグラウンドだった。

 小石などが取り除かれたそこは走りやすく、球技などもストレスなく行なえるように整えられている。


 早速、陸上部と合流するにした緋能登。

 女子の顧問を務める高橋和江たかはしかずえに挨拶を済ませ、運動場の隅に座る。


 気持ちよさそうに走る他の生徒たちを羨ましく思いながら柔軟をしていると、1人の女子生徒がやってきた。

 緋能登とは中学からの付き合になる陸上部のマネージャー、弥生芽衣やよいめいだ。

 その手にはA4用紙サイズの黒いボードがある。


 「おはよう、夏鈴ちゃん」

 「おはよう、芽衣。ほら、見て!」


 そう言って立ち上がった緋能登が、弥生の前で軽くジャンプしてみせる。

 足はもう大丈夫だから跳ばせて、という彼女なりのアピールだったのだが、しかし、


 「ていっ」

 「いたっ」


 弥生の手刀が緋能登の額に炸裂したために中断させられた。


 「病み上がりなんだから無茶しないの。そんなことしても、今日は跳ばせないよ? 高橋たかはし先生にも言われてるし」

 「むぅ、残念……」


 アピールが無駄に終わり、すごすごとストレッチを再開する緋能登。

 そんな彼女に、弥生が手元のボードに留めていた紙の数枚を示した。


 「えっと、夏鈴ちゃんには……これ、昨日言ってたやつ。捻挫した時のリハビリの仕方」


 そこにはネットから拾ってきたのだろう、『捻挫した時の注意点とリハビリ』と書かれたページのスクリーンショットが数枚にわたってカラープリントされていた。


 「もう?! 感謝!」

 「今日に間に合わないと意味ないから。一応、高橋先生にも確認してもらったから大丈夫だと思う」


 スクリーンショット数枚と練習メニューをクリアファイルに入れた弥生は、それを緋能登のそばに置く。


 「いい? くれぐれもさっきみたいに無茶しないこと。それが近道だって、覚えといてね」

 「はぁい……」


 弥生に釘を刺される形になった緋能登。

 他の部員のもとへと向かうその背中を見送り、改めて資料に目を通す。


 「うわ、家でできるヤツも調べてある……、さすが芽衣。えっと、痛みが無くて、テーピングだけだから――」


 頼れるマネージャーの仕事に驚きつつ、サッと目を通していた時。

 幸か不幸か、それが調べたネット記事のスクリーンショットだったために、それが写っていた。


 用紙の上の方にある、いくつかの検索タブ。

 そこには『捻挫 直し方』『捻挫 リハビリ』『足ひねった 対処法』と並んでるが、その最後に『呪い』『都市伝説』について調べていると思われるタブがあったのだ。


 「呪いと、都市伝説……?」


 緋能登は最初、自分にかかった呪いを弥生が解こうとしてくれているのではないか、と考えた。

 しかし、弥生には呪いについて相談した覚えがない。


 あるいは。


 私がそういうの、好きだから、とか……?


 納得できる理由を必死で探す、緋能登。

 自分のオカルト趣味については、長い付き合いで、よく会話のネタにもしているため、弥生は知っているはず。


 そして、優しく頼りになる彼女であれば、趣味を合わせようとしてくれてもおかしくは、無い。


 「おかしくない、よね……?」

 「何がおかしくないんだ?」

 「うわっ!」


 疑念の沼にはまりかけていた緋能登に声をかける人物がいた。


 銀縁の眼鏡をかけた端正な顔に、無駄のない引き締まった体、高い身長。

 長い手足はストライドを大きくし、踏み出す一歩で他者より有利をとることが出来る。


 そう彼こそ。


 「霧島きりしま先輩、お久しぶりです!」


 霧島健きりしまけん、その人だった。




 「先週ぶり、くらいなんだけどな。足、もう大丈夫なのか?」

 「はい! お陰様で……ってこれ、なんか違いますね」

 「そうだな。元気そうで良かったよ」


 思った以上に普通に話せたことを内心喜ぶ緋能登。


 「それで? さっきの話。何がおかしいんだ?」

 「あ、えっと……」


 霧島の言葉で、緋能登は弥生への疑念を思い出す。

 『呪い』という単語。

 そして、彼へぶつけようと決めていた問いも思いだした。


 「先輩は、呪いについて、何か知りませんか?」


 緋能登の性格を表すように、ひねりの無い、真っ直ぐな質問。

 霧島を疑いたくないという、彼女の意思の表れでもあった。


 お願い、普通に「なんだそれ?」とか返して!


 という彼女の願いはしかし、


 「――知らないな。何かあったのか?」


 妙な間を置いてそんな返答をした霧島によって、裏切られることになった。


 「……何か、知ってるんですね?」

 「いや、知らない。なんだ、呪いって。そう言えば緋能登はそういうの好きなんだってな」


 今度はよどみなく否定してみせた霧島だったが——。


 嘘だ。


 異性の言葉に含まれる意味合いに敏感な緋能登の勘が告げている。

 だからだろう。


 「でも、何かあったなら、前みたいに話しぐらいは聞く――」

 「大丈夫です」


 緋能登の口から驚くほど冷たい言葉が漏れた。


 「あ、えっと、本当に大丈夫です! そうなんですよ、私、最近怖い話にはまってて」


 すぐに取り繕うものの、それが意味の無いことだと、彼女自身が一番よく理解している。


 「……やっぱりもう、俺じゃダメなんだな」

 「――え?」

 「聞いたんだよ。緋能登、好きな人がいるんだろ?」

 「え、いや、そんなはずないです。ていうかその話、誰から――」

 「霧島先輩! そろそろジョグ、始めます!」


 妙な噂の出どころを探ろうとしたとき、いつの間にか戻って来ていた弥生の声がかかった。


 「あ、また夏鈴ちゃんを口説いてるんですか?! 前にも言いましたけど、早く諦めてください!」

 「はいはい、マネージャー。またな、緋能登」


 霧島が陸上部員たちの集団に混じっていく。

 やがて彼らは、ジョギングを始めた。


 「かっこいいしモテるんだから、さっさと諦めればいいのに……。ね、夏鈴ちゃん?」


 いつものように笑ってくれる親友の真意が、分からなくなってしまった緋能登。


 「うん……」


 ぎこちなく頷きを返すことしかできない。


 緋能登にかけられているという『呪い』は少しずつだが、確実に。

 彼女の日常を侵食しつつある。

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