第7話

 琴無望ことなしのぞむ竜胆隼人りんどうはやとと話していたころ。


 日も傾いた病院からの帰り道を、緋能登夏鈴ひのとかりんは歩いていた。


 事前に医師にも言われていたことだったが、もうその手に松葉杖は無い。

 今はテーピングをして、患部を固定するだけ。

 見た目には、もう治ったように見えることだろう。


 「念のためだからって、大げさだったんだよね。みんなにも余計な心配、かけちゃった……」


 少しの歩き辛さをこらえつつ、歩を進める緋能登。

 早くしないと、じきに日も暮れてしまう。


 彼女の家と病院は学校を挟んで逆方向にある。

 そのため家に帰るにはもう一度、学校の前を通ることになった。


 放課後、部活をする生徒が帰るには早く、用が無い生徒が帰るには遅い時間。

 自然、正門を出入りする生徒の数は少ない。


 だから、緋能登を待ち伏せていたその人物は、足を引きずる彼女を見つけることが出来た。




 「ちょっと、いいかしら? あなたが緋能登夏鈴さんね」

 「え、はい」


 正門の前で突然話しかけられ、面食らう緋能登。


 「私、3年の岸間時子きしまときこ

 「あ、はい! 初めまして……?」


 言いながら、どことなく見覚えがあるような気がして、緋能登は記憶を探る。

 そうしているうちに、本人から答えが示された。


 「言いづらいんだけど、実は少し前まで、霧島君の彼女だったの」

 「――あっ! あー……」


 霧島の応援に行ったときに見かけたのだと思いだす緋能登。

 同時に、霧島が自分に告白するために『彼女』と別れたという噂を思い出した。

その『彼女』がこうして話しかけて来た時点で、内容はある程度予想できてしまった。

 思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 「立ち話もなんだし、駅前のマック、行こっか。私が奢るわ」

 「……はい」


 暗くなる前に帰りたかった緋能登だったが、今回ばかりは断るわけにはいかなかった。




 私立御伽話しりつおとぎわ学園の裏門を出て少し行くと、最寄り駅とそこから続くアーケード型の商店街がある。

 今は夕食前ということもあり、たむろする学院生や、地元の買い物客でごった返していた。


 そんな商店街にあるファストフード店。

 ジャンキーな香り漂うその一角で、緋能登はバニラシェイクを飲んでいた。

 誰かと話したり、遊んだりするのが好きな彼女。

 だが、振った相手の彼女、しかも先輩を前にしている現状には、さすがに気まずさを覚えていた。

 本来、香るはずのシェイクのバニラ風味も感じられず、ただただ甘いだけの飲み物になっている。


 「少し聞きたいことがあったから、もう帰っちゃった可能性もあったけど、ダメもとで正門の前で待たせてもらっていたの」


 そう話す岸間はポテトとホットコーヒーを注文し、スマホを片手にそれらに口を付けている。


 「食べないの?」

 「――いただきます」


 緋能登は笑顔が不自然にならないように気を付けながら、ありがたく頂くしかなかった。


 しばらくして、スマホを脇に置いた岸間が切り出す。


 「それで――」

 「は、はいっ」


 雰囲気を察し、緋能登の声とポニーテールが飛び跳ねる。


 「緊張しないで? 別に文句を言いたいわけじゃないの」

 「そ、そうなんですね。……良かったぁ」


 岸間にそう言われたこともあり、緋能登は一度シェイクに口を付けて、落ち着くことにする。

 そして、改めて岸間と向き合う。

 毛先がゆるくカールした明るい髪と、少し垂れた目元が優しそうな先輩。


 彼女は、真っ直ぐに緋能登を見て、問いを投げかけた。


 「私が聞きたかったのは、どうして霧島君を振ったのか。彼、顔も性格も、十分じゅうぶん魅力的だと思うんだけど?」


 その質問に誠意をもって返そうと、緋能登は時間をかけて言葉を吟味し、答える。


 「実は私、中学の頃、ストーキングされたことがあって。その時から男子が苦手なんです」


 コーヒーの入ったコップを傾けて、その答えを聞いていた岸間。


 「そうかしら? その割には、霧島君も含めて部活の男子とも仲良さそうだったけど?」

 「どれも事実です。話す、くらいであれば問題ないんです。けど……、好意を向けられると途端に気持ち悪くなります」


 嫌な記憶を思い出し、身をすくませる緋能登。顔色も悪くなる。

 それが演技ではないと判断したのか、岸間は「そう……」と短く返事をするだけだった。




 自分が誘ったのだから家まで送るわ、と暗くなった夜道を緋能登は岸間と歩いている。


 道中、「そう言えば」と、思い出したように岸間が緋能登に尋ねる。

 奇しくもそこは、神社の境内へと続く石階段の前。

 人気のない一本道を街灯の明かりだけが照らす。


 「霧島君も心配してたけど、松葉杖、大丈夫なのね。足、もう治ったの?」

 「あ、いえ。もう少しです。でも、明日からまた部活に参加はできそうです」

 「そう。良かったわね」


 恋敵ともいえる自分を心配してくれる岸間に、懐の深さを感じ取る緋能登。


 「話し辛いならいいんだけど、どうしてケガしちゃったの?」

 「練習中、考え事してたらくじいちゃって。その後、無理して走ったら、悪化しちゃったみたいです」

 「どうして、無理をしたの? 陸上部は、その辺り、気を付けてるものなんだろうけど……」

 「あ、えっと――」


 真実を言おうか迷う緋能登だったが、先輩ということ、また、心の奥にある負い目から、話すことにする。

 最初、ケガは小さかったこと。暗くなった帰り道で、お化けに追いかけられたこと。トラウマのこともあり、それが怖くて、全力で逃げたこと。

 それでも、クロア――琴無については話さなかった。


 終始、話を黙って聞いていた岸間。

 緋能登が語り終えたところで、口を開く。


 「そう……。大変だったのね」

 「はい、お化けとか信じられないかもですけど……」


 元々のオカルト好き、実体験、加えて、クロア――琴無という存在があったからこそ、緋能登は信じた。


 だから。


 「大丈夫、信じるわ」


 そう言って笑った岸間も似たような経験があるのかもしれないと親近感を覚えることになった。


 話しているうちにいつの間にか一本道を抜け、緋能登の自宅のマンションが見えてきた。


 「家も近いので、ここで大丈夫です」


 岸間も緋能登の言葉の意図をくみ取る。


 「そう。じゃあ私もここで。……くれぐれも、夜道には気を付けてね、緋能登さん」

 「はい、ありがとうございした……?」


 当然のことを言われて首を傾げる緋能登を置いて、優しい先輩は夜の闇に消えて行った。

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