第5話

 深夜、某所。

 その人物はベッドの上に座り、手にしていたクマの人形を見つめていた。

 クマの腹には一度刃物で裂かれた後、赤い毛糸で縫合し直された跡がある。

 そして今、そのはらわたには、ある人物の髪の毛と、土が入っていた。


 表情のない、つぶらない瞳。

 その瞳は、いびつな微笑みを湛えて拳を振り上げる主人の姿を映していた。


 これは1つのお呪い。

 これは1つの憂さ晴らし。


 1か月間ため込んだ鬱憤を拳に込めて、振り下ろす。

 殴りつけるたびベッドの上で飛び跳ねるクマの、その足を。

 何度も、何度も、何度も、何度も。


 殴り続けるその表情はしかし、険しいものではない。

 むしろ、笑顔。

 楽しそうに、ただひたすらに、笑っていた。


 翌日、アイツは足を痛めて入院した。

 湧き上がる幸福感。


 しかし、後日登校してきたアイツにはまだ、笑顔を見せる余裕があるらしい。


 足りない。


 味わった苦しみを、アイツにも。

 恨みは、加速する。






 緋能登夏鈴ひのとかりん琴無望ことなしのぞむの提案を蹴った翌日の早朝。


 誰よりも早く登校した琴無は教室の一番廊下に近い列、その真ん中の自席で突っ伏していた。


 彼が早朝に登校したのは、単に強い日差しを嫌っただけではない。

 緋能登について知っているだろう、1人の人物に接触するためだった。


 『謹んで、お断りします!』


 昨日の放課後、そう言って緋能登に断られた琴無。

 彼女に理由を尋ねれば、


 『だって、私が誰かの恨みを買っちゃって、起きた問題なんでしょ? だったら、私の問題。そのせいで琴無くんが危ない目に合うのは違うと思う』


 と、真っ直ぐな目をして言った。

 暗くなる前に帰りたいという彼女の申し出を無視するわけにもいかず、昨日はそこで話を終えることになった。


 『とりあえず、本当に危なくなったら頼っちゃうかもしれないけど、それまでは私が出来る範囲で頑張るよ。あ、お金は……どうにかするから、心配しないで』


 去り際、松葉杖をつきながらも、器用に手を振った緋能登。

 一応、少し離れた位置から彼女の帰宅を見守った琴無だったが、このままでは自分が不審者として通報されるのも時間の問題。

 そうなれば今度は琴無自身が、緋能登を怖がらせることになるし、たとえ警察に事実を伝えたとしても虚言だと言われてお終いだ。


 どうしたものか……。


 考えていた琴無の耳が、教室の扉が開かれる音を捉える。

 やがて入ってきたのは、学校指定のジャージ姿をした1人の女子高校生。

 部活の朝練に来たのだろう、荷物を置きに一度、教室にやってきたようだ。

 彼女こそ、琴無が待っていた人物でもあった。


 「おはよう、弥生やよいさん」

 「あ、琴無くん! おはよう。早いね」


 弥生芽衣やよいめい

 少し赤い髪をロブと呼ばれる長さで切りそろえた女子。

 琴無は、彼女がよく緋能登と行動を共にしている姿を見ていた。

 緋能登が所属する陸上部のマネージャーでもある彼女であれば、何か知っているかもしれない。

 そう思って、琴無は彼女を待っていたのだった。


 「ごめん、ちょっといい?」

 「うん? どうしたの?」

 「えっと、緋能登さんについて聞きたいんだけど」

 「夏鈴ちゃん? 好きなタイプぐらいなら答えてあげられるけど……」


 緋能登について聞かれることに慣れているのか、困ったように弥生が答える。


 「その前に。弥生さん、緋能登さんと仲いいけど、学園に入る前からの知り合い?」

 「うん、そう。中学では一緒に陸上やってて、今は選手とマネージャー」

 「弥生さんはもう陸上、しない感じ?」

 「まぁね。中学でも限界感じてたし、でも陸上は好きだから、せめてー、みたいな。ダサい、かな?」

 「そうでもない気もするけど……」

 「そこはせめて、言い切ってよ……」


 口説きたいわけでは無いので、そう言われても困る琴無。

 続いた沈黙を気まずいと思ったのか。

 それとも、朝練の時間が近づいて来たのか。

 弥生が先に切り出した。


 「って、私の事より! 夏鈴ちゃんがどうしたの?」

 「ああ、うん。実は俺、緋能登さんが好きでさ」


 いくつかの思惑を込めて、心にもないことを言う琴無。


 「やっぱり、そうなんだ!」


 そんな彼の内心を知らず、納得した様子を見せる弥生は、そこで表情を曇らせる。


 「でも、だったら今は、告白しない方がいいかも」

 「それはまた、どうして?」

 「夏鈴ちゃん、先月の頭くらい前に、陸上部の先輩の告白、断ってるから……」


 琴無にとって、初耳の情報を教えてくれた。


 「そうなんだ。知らなかった」

 「え、琴無くん知らないの?!」

 「あ、うん」

 「どうしよう?! えっと……今の無し?」

 「さすがにそれは」


 明らかにやってしまったという感じで、弥生があたふたしている。

 が、少しして、観念したように言い訳をした。


 「霧島きりしま先輩って言うイケメンの先輩が、わざわざ彼女さんと別れてまで告白したって、上級生でも結構噂になってたから、てっきり……」

 「なるほど……」


 意外と興味のない噂は入って来ないものだと、琴無は実感する。


 「その先輩が俺よりイケメンとか、そういう話?」

 「琴無くんがイケメンかどうかは置いておいて……」

 「そこは、嘘でもいいからイケメンだと言って欲しかった」


 今度は琴無が落ち込んだ。

 弥生なりの仕返しかもしれない。


 「入部した時から夏鈴ちゃんの相談に乗ってあげてた霧島先輩でもダメだったんだから、少なくとも今、告白しても、うまくいくとは思えないかも。夏鈴ちゃんにも事情があるし……」


 事情、というものは恐らく、先日緋能登が神社で見せた震えの正体――トラウマの事だろうと琴無は推測する。


 「あ、ごめん! そろそろ朝練に行かないと。まだ話あるなら、お昼にでも話、聞くよ?」

 「……いや、いいよ。とりあえず、告白は考え直してみる」

 「頑張って! 私、応援してる!」


 マネージャーとして選手を支えたり、応援したりしているせいだろうか。

 頑張ってという姿がやけに似合う女子だと思う琴無。

 彼は1人、静かな教室で思考に耽る。


 愛憎は呪いや霊につきもの。

 案の定、緋能登にも少なからずそうした問題があることがわかった。


 呪いをかけている犯人かどうかは別として、「霧島先輩」がカギを握っている可能性が高い。


 お金を払うと約束してくれた人物が死んでしまっては、徴収できない。


 そう自分に言い訳をして、依頼人(仮)のために探偵の真似事を続ける琴無だった。

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