第2話
「だから、お金、払って?」
笑顔で言う少年の、その言葉の意味を飲み込むのにかなりの時間を要する
「え、……え? お金?」
彼女からしてみれば、突然、よくわからない存在に襲われて、よくわからないうちに助かった。
そうして現実離れした出来事の後に、急にお金という現実的なものを要求されている。
軽いパニックだった。
「そう。俺も生活が懸かってるし、仕事としてこっちも人助けしてるから」
「そう言われてもなぁ……。一応、聞いてみるけど、いくら?」
「緋能登さん、高校生だよね? じゃあ……とりあえず3万円で」
「さ、3万……」
緋能登の中に、助けてくれた少年に対する感謝する思いはある。
可能なら払ってあげたい。
しかし、バイトもしていない高校2年の女子高生にはかなり大きな額だ。
「というよりなんで、私の名前。それに高校生って――」
知ってるの?
聞こうとして、緋能登は昼間感じていた視線を思い出す。
ひょっとしてこの少年がずっと自分を見ていたのではないかと。
そして、不安をあおり、助けたふりをして、お金を巻き上げようとしているのではないか。
さっきの変なやつも、声も、気配も。
すべて彼の演出ではないだろうか。
いや、そうに違いない!
理由を付けることで不安を取り除こうとする心理が、緋能登に間違った正解を導かせる。
「犯人は、お前だぁ!」
未だ尻をつきながら、芝居がかった仕草で言う緋能登に、クロアはため息をつく。
それが空元気だと分からず、クロアはぞんざいに対応をしてしまう。
「違う。俺じゃ――」
「じゃあ、どうして?」
だから急に、しおらしく聞いてくる緋能登の変化に面食らうことになった。
「どうして、ここにいるの? なんで私の名前、知ってるの?」
「それは……」
真実を伝えるべきか悩むクロア。
そうしているうちに自分の膝に顔をうずめた緋能登。
「答えて……っ!」
すがるような、怯えたような声で答えを求める。
その態度を見てようやく、緋能登に何か事情があることを察したクロアは態度を改め、1つずつ確かめるように問いに答える。
「怖がらせたなら、ごめん。まず……そうだな。どうしてここにって質問には、朝からずっと緋能登さんを見ていたから。心配だったから」
「や、やっぱり……いやぁ!」
しかし、クロアの答えを聞いて、緋能登が突然、身をすくませた。
その理由――緋能登のトラウマを知るわけが無いクロアは、そんな彼女の変化に焦る。
それでも、今ある情報で彼女のトラウマを予想し、最善手を考える。
彼女を追っていたモノ――怪異に怯えていたことから、彼女は自分とは違い、一般人だと判断できる。
恐怖に駆られ、逃げ込んだ先に現れた、自分。
彼女の名前を言って、払えそうな金額を要求すると、彼女は怯えだした。
タイミングから見て、名前を呼ばれたこと、もしくはお金に関することにおびえている。
彼女を追っていた怪異は、強い怨念を持った生霊だった。
加えて、彼女には今、生霊とは別に、何らかの呪いがかけられている。
恨まれたり、呪われたり。
人間関係のトラブルが、彼女にはある。もしくは、あった。
また、知らないところで自分が知られている・見られていることが彼女を怯えさせていた。
つまり、
――緋能登はストーカー被害に遭ったことがあるのではないか。
そう、クロアは推測した。
「俺は、別に、緋能登さんに好意があるわけじゃない。何もしない。あと、俺、緋能登さんと同じ学校、同じクラスだ」
努めて優しく、語りかける。
「……嘘! クラスにあなたみたいな白い髪の人はいない! クロアなんて子、聞いたことない!」
嫌々と、うつむいたまま多く首を振る緋能登。
「これ、生徒手帳」
そんな彼女に、クロアは身分証明書として携帯している御伽話学園の生徒手帳を証拠として示し、緋能登の足先に置く。
そうして差し出された朱色の装丁の生徒手帳は、緋能登もよく知るもの。うつむいたまま恐る恐る手に取り、開いてみる。
そこには黒髪のパッとしない少年の証明写真と名前がある。
「『
今日も授業などで琴無を見かけていた緋能登。
その時の彼も変わらず黒髪で気の弱そうな、ただの男子生徒だったはずだと心を閉ざす。
人懐っこい性格の緋能登。
男女関係無く、誰でも気さくに話すことが出来た。
その性格が災いし、中学の頃。
彼女は勘違いをした同級生の男子生徒からストーカー被害を受けたことがあった。
毎朝、机の中に偏愛をしたためた手紙が入っていたり。
体育の授業終わり。畳んで入れたはずの体操着がなぜか、家に帰って取り出してみれば、ぐちゃぐちゃになっていたり。
持ち物から変なシミができていたり、においがしたりすることもあった。
毎日感じる、視線、視線、視線。
少しずつ近づいて来る、誰かの一方的な愛。
挙句。
日が暮れた部活帰り。
ふと振り向いたそこにいた、クラスメイトの男子。
彼に「家まで送るよ」なんて言われた日には。
結局、緋能登の家の玄関先で待ち構えていたその男子生徒を警察が任意同行するまで、そのねっとりとした恐怖は続くことになった。
幸い、彼女にはまともな友人も多かった。
彼らのおかげで少しずつトラウマを克服し、本来の明るい性格を取り戻すことが出来た。
しかし、今でも、人の視線や気配に敏感になってしまう。それに、男の人と話すときはどこか、心の壁を作ってしまう。
そのせいで、同じ陸上部で憧れの先輩からの告白も、素直に受け取ることが出来ず、断ってしまった。
今も、目の前にいるのが男というだけで、緋能登の身体は警戒し、身構えてしまう。
全身が震え、目端はいつしか濡れている。
しかし、
「落ち着いたらでいいから。ゆっくり俺の顔を見て、確認して」
そう、先ほどから優しく、自分を落ち着かせようと話しかけてくれるその声は、緋能登が聞いたことのあるもので。
春の心地よい風が2人のいる神社を駆け抜け、汗をかいた緋能登の身体を程よく冷やし、落ち着かせてくれる。
意を決して、ゆっくりと。
恐る恐る。
自分を助けてくれた少年を見る。
膝を立て、彼女と同じ目線にしてくれているその顔は、
「……琴無、くん?」
髪色以外は緋能登の知る琴無望という少年だった。
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