第42話 恋心

 決戦の日まで後4日。

 王宮はどことなく緊張感に包まれていた。

 しかし、そんな中でも空気を読まずに自由奔放に振る舞い続ける男たちがいた。キドラとシークだ。

 まるで戦いの日など忘れたかのように下らない会話を交わす彼らに、回りはあきれた視線を寄越すのだった。

 そんな彼らには関係の変化があった。キドラがアイリスへの好意を自覚してからというもの、キドラは訓練終わりによくシークと話をするようになったのだ。


「脈なしだよね~絶対脈ないよね~」

「脈拍を計ってやる。手を貸せ」

「違うわ! 何物理的に計ろうとしてんねん!」

「っ!? おい急にキャラ変するな! 俺のない脈は確実にあがったぞ!」

「あーもー! キドラと話すとまじでカオスってくる~。違うよ! アイリスが俺を好きな可能性はなしだよね、てことだよ!」

「なんで急にそっちの話になる!?」

「はじめからそっちの話なんですけどぉ~!」


 軽く会話を交わしながらも、キドラは内心、ひどくモヤモヤとした気持ちになっていた。


「……尾状核が活性化した」

「胸がキュンとしたと言って? 尾状核がなんのことかは知らないけど恋バナでは胸がキュンとしたもしくは胸キュンて言ってぇ!?」

「尾状核はな、脳幹の外側、大脳基底核にある本能を司る部分だ。人が切ない気持ちになるときはだいたいそこが活性化しているんだ。尾状核が活性化されると、オキシトシンやアドレナリン物質が分泌され、交感神経が活発化されるため、心拍数と血圧が上昇する。ゆえに、心臓がある者は切ないときにそこがキュンとするように感じる。まあ、俺はないが」

「あの胸のドキドキの正体とか知りたくないから! なんなの? 俺は堅物ド真面目研究一色脳科学者と恋愛トークしてんの? え? なんか冷めてくるじゃん! せっかく楽しいのに!」

「楽しいのか? アイリスに好かれている可能性がないていう話だったよな?」   

「俺をMとでも言いたげな感じだね。どちらかというと俺はどえ「やめろ。聞きたくない」


 その先は言わせまい、とキドラが遮る。それに笑いながらシークが切な気に口を開いた。


「俺はさ、アイリスはキドラのこと嫌いじゃないと思うんだ。むしろ脈ありだと思う」

「ああ。……はぁ!?」

「……驚きすぎだろ」


 信じられない者を見るようにキドラがシークを見つめた。それに面白そうに口角を上げてシークが「絶対そうだ」という。

 だが、もちろんキドラはそんなこと信じられるわけなかった。


「アイリスとは脳内がつながっていないゆえ、アイリス対俺の気持ちはデータにない。無責任なこと言うな」

「ははっ。またそれ? 恋愛はさ、客観的に計れるものじゃないよ。自分で自分が嫌になるほど振り回されちゃうのが恋じゃん……馬鹿みたいだけど、相手が自分を好きかどうか考えるのも楽しいんだよね」


 床に座り込んだ男たちが互いに顔を見合わせる。一方は実に愉快そうに笑い、もう一方は怪訝といわんばかりに表情を変えないでいた。

 愉快そうに口をにやけさせた男が立ち上がり、窓際へとゆっくり歩いていく。

 窓下を見渡した男が何かを見つけたように声をあげた。


「お! あの子かわいい~! 『拡大魔法ズームイン』! ………お!? んー……雰囲気は好きだったけどねぇ」

「何やってんだおまえ」

「えー? かわいい子探し? 楽しいよ?」

「馬鹿なのか……?」

「男はさ、どうしても視覚的に好き嫌いを決める生き物なのさ~。女は居心地のよさを求めるてよく言うよね。男は切り替え早い、女は引きずるともさ。……だから、俺アイリスのこと切り替えられるし?」


 シークが窓の方を見つめたままそう言う。そんなシークを見ながら「強がるのもまた男の傾向」だなんてデータがあったことをキドラは思い出していた。

 キドラの時代ともなると、不老不死の段階まできたことで、恋愛への執着もすっかり変わってしまっていた。子孫繁栄の本能も廃れ、本来男や女が生まれながらにもっていた異性への追及も薄れていった。

 よくいえば、伝統的な「女らしさ」や「男らしさ」は廃れ、異性間のみならず同性間の恋愛も娯楽として普及した。悪くいえば、それはただの娯楽だ。昔のように熱狂的に心が燃え上がるものや障害を経ての深いつながりは軽薄になってしまった。

 つまりのところ、キドラはシークがうらやましかったのである。

 切な気に余韻に浸るシークの腰部をキドラが蹴りあげる。


「いてっ! 何するのさ~」

「なんか腹立った」

「理不尽な理由~」

「さあ、自主練するぞ」

「ま、まって! 恋バナもう終わり? アイリスがユーを好きかも、て話気にならない?」

「不確かな情報を鵜呑みにするつもりはない」

「いや……キドラも結構恋愛脳に染まってきてると思うよ?」


 シークがそう指摘すれば、キドラは怪訝な表情でシークに目をやった。そんなキドラをシークがじっと見つめる。

 しばらく見つめ合った状態になり、キドラが視覚的に気持ち悪さを覚え始めたときだった。


「よし! 決めた! 俺、アイリスに思い伝えるよ」

「! ……早まるな、傷つくぞ」

「失敗を前提にしないでくれる~?」


 シークがじっととした目でキドラを見るが、キドラは肩をすくめるだけだった。


「ま、でもさ。4日後決戦じゃん。何があるかわかんないよね。だからさ、伝えたいことは伝えておいたがいいでしょ?」

「悪い結果を想定するな……」

「絶対てないからさ。俺、後悔したくないの。だから……今日の夜伝えるから、キドラも伝えるなら好きにしなよ」

「……勝手にしろ」


 キドラがぶっきらぼうにそう吐き捨てる。それにシークはただ溜め息を漏らしていた。





            ◇





 シークの宣誓を受けたキドラは、なぜか落ち着けずにいた。なにせ、シークはアイリスの初恋だという。初恋の記憶は印象強く残るとかいうデータもあるため、確率的にはシークの想いが成就する可能性も高い。

 そして、別にキドラを不安にさせる要素があった。まだキドラがアイリスへの恋心を認識していなかったとき、アイリスはシークに恋人がいるのかを聞いてきたのだ。それはすなわち、アイリスが気にかけているのはシークということではないのかーー

 シークとアイリスが結ばれるイメージが脳内を駆け巡ったとき、キドラは思わず部屋を飛び出していた。

 二人の位置情報を検索して、キドラが二人がいまいるであろう場所に向かう。データが示したのは、宮殿と庭をつなぐ渡り廊下で、向かいに噴水やバラ園があるそこは、まさに告白にはうってつけの場所だった。

 邪魔をすることだけを考えて、キドラが渡り廊下へと飛び出す。そこには、向かい合うアイリスとシークの姿があった。


「おい、まてーー……」


 キドラが間に割り込もうとしたそのとき、アイリスをシークが抱き締めた。

 キドラの足がその場で停止する。ああ、そういうことか、とキドラが状況を飲み込んだとき、アイリスとシークが二人揃って振り向いた。


「あれ、キドラ?」

「え、キドラさん!?」


 二人の声がキドラにかけられる。

 それにキドラは顔をあげることはできないで、ただ、ポツリとつぶやいた。


「おめでとう」


 シークの目が見開かれる。


「え……」

「よかったな」

「あ。ち、違う!」

「恋愛とかなくても生きていける。だから俺はそこまでなんとも思わない」

「違うんだって! キドラ、聞いてよ」

「よかったじゃないか。俺には構うな!」

「だから、違うって……あーもー……フラレたんだって!」

「よかったなっ!!……は?」


 今度はキドラが目を見開く番だった。


「一つの区切りとして抱き締めさせてもらったんだ~。てことで、……頑張りなよ」


 最後だけキドラにのみ聞こえるようにして、シークはキドラの背中を叩いた。「後から祝わせて」なんて言い残してシークは立ち去っていく。

 慌ててキドラが顔を上げれば、不思議そうな顔をしたアイリスがキドラを見つめていた。





            ◇





 キドラが部屋に戻れば、シークがよっと手を上げてキドラを出迎えた。


「おめでとう」

「俺もダメだった」

「……そっか、本当におめでとう……え!? ええ!?」


 シークがばっとキドラの肩を掴んだ。


「どゆこと!?」

「……そのままだ」

「アイリスはキドラが好きなんじゃないの?」

「『好きな人がいるんです』て言われた」

「俺と一緒じゃん……」


 どういうことだ、と二人顔を見合わせる。お互い同じ言葉でフラレたのだ。

 しばらく見つめ合った後、キドラは小さく溜め息を吐いた。


「揃って体よくフラレたってわけだろ」

「……」

「定番の断り文句らしいぞ。検索したら出てきた」

「……」


 再びキドラが溜め息を吐く。シークは下を向いたまま、無反応だった。いい加減認めろ、とキドラがシークの肩を叩こうかしたとき、それより早くシークが顔を上げた。


「もし……もしもだよ……もしも、アイリスの好きな人が魔王軍側だったらどうする?」

「何をーー」

「金髪の吸血鬼に会ったことある?」

「ある。おまえの秘密をわざわざ教えてきたからな」

「なんで彼が俺の秘密を知ってるか気にならなかった?」

「……そういえば、なんでだ?」

「俺の腹違いの兄だからだよ。正確には二卵性の双子だ」

「は?」


 キドラの瞳とシークの瞳が重なった。

 そのままキドラが虹彩認証を行えば、そのデータ結果はシークだと示される。だが、前にも似たようなことがあったのをキドラは思い出した。

 偽物のシークが二晩キドラに恋バナをしにやってきたことがある。その時の正体が実は吸血鬼だとしたらーー。


「あのときの偽物がおまえの兄で、実はおまえに化けてアイリスに会いに来ていたということか?」

「吸血鬼は、同じ血が流れる者そっくりに化けることができる」

「まて。そもそも、おまえと双子というならおまえも吸血鬼なのか?」

「違うよ。母が俺たちを身籠ったとき、吸血鬼に襲われたんだ。そのときに吸血鬼の血が流し込まれたんだけど、その血は兄の方に流れたわけ。後継者争いを重症を負ったことを理由に降りたのがそいつ。なにせ、後継者争いに乗じて混血のあいつを消そうとしたのが父上なもんだから、あいつはすっかり向こうに寝返ったわけ」


 複雑な事実をさらりと述べるシークに、キドラの顔がどんどんしかめられていく。


「アイリスが魔王軍側に好意寄せるのはまずいんじゃないか?」

「まずいどころじゃないよ。最悪だよ」


 シークの重い返事に、キドラは頭を抱えた。



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