第2話 日常 ②

 2040年には、数十年前の「病院」や「薬」はもはや存在しない。万全な体を手に入れた人類は病気とは無縁になったからだ。しかし、機械で作られた体は、まれに機能に支障が出ることがある。そういった場合は、システムエラーを起こしているか、ウイルスに感染しているかだ。前者はバグを修正する専門の調整師を訪ねる。後者は薬を飲む代わりに、ウイルスに感染した体からウイルスを除去するアプリをインストールする。あるのは調節センターと研究所、そして脳外科のみだ。

 その日、日本有数のエラー調整センターに、キドラは足を運んでいた。キドラはその施設の前に立ち止まったまま、数分そこから動かなかった。


「…………………。」


 じっとキドラが入り口を見つめていると、その入り口が開いて、中から赤髪の青年がバタバタと走ってきた。いや、飛んできたと行った方が物理的には的確だろう。


「キドラ~!!」


 赤髪の青年が、情けない声を出しながら金色の青年に近づいていく。


「おまえ~黒い感情発するなよ……センターの感知器が鳴り出して院長が警備隊に連絡しかけるとこだったんだぞ! TPが警備隊に捕まるとかそれこそ前代未聞だよ~!」


 赤茶髪の青年が怒り気味にそう言う。青年のいう感知器とは各センターに設置が義務付けられているものであり、外部からの「不安」「憎悪」「敵意」といった負の感情を感知した際に、それを知らせるものだ。  

 基本的には、そのような感情を持ったところで、周りには感知されるのだから、その感情をなかったことにすることが普通だ。すなわち、感情のコントロールを自らに行うのだ。しかし、中には「革命」を起こそうとして感情を垂れ流しにしたり、感情操作を行って周りを騙そうとする連中もいる。そういったやつらを取り締まるのが各センターに雇われた「警備隊」だった。

 キドラは、その「警備隊」の取り締まりの対象にされかけていたのだった。国の英雄であるTPが警備隊に捕まるなんて前代未聞である。そういうわけもあって、青年は心配そうにキドラを見つめていた。


「ノア」


 キドラは、ノアと呼んだ青年を見つめた。そして脳内で念じる。


ー毎回、分かってるだろ? 俺がおまえを呼び出すためにわざとやってるのは。で、ジェルキド博士は何処にいらっしゃる?


「おい! キドラ! 面倒だからって脳内通話はやめろよ! 寂しいだろ~!」

ー必要ない。おまえには、ジェルキド博士をお呼びしてもらうためだけに会うのだから。


「もー!! 親友だろ、俺たち! 泣いちゃうかんなぁ? てか、博士はいま他の対応中だよ。尊敬している博士をわざわざ外まで呼び出すなよ」


ー中には入りたくない。やつに会いたくないからな。

ー本当にキドラはカーラ博士嫌いだよな。

ーおまえも脳内通話やってるじゃないか。

ーしかたないだろ! 聞かれたらやばいんだから。

ー便利だな。これ。

ーああ。だが、あまり見つめ合ってると疑われる。


 キドラが頷いた。脳内通話は基本的に念じた相手としかつながらない。そのため、調整センターといった公的機関の目の前で長時間脳内通話のみを使用すると、謀反を疑われるのだ。憎悪のない「革命」も珍しくはないから、あまり見つめ会わない方が疑われなくて済むだろう。

 キドラが漸くその口を開く。久しぶりの友人の声に、ノアは嬉しそうに笑った。


「せっかく便利な機能なんだがな」

「やっぱり直接話した方が、距離が縮まる感じがするよな~」

「そうか? ああ、そうだ。博士に伝言を頼む。いつものところへ来てくださいと」

「りょ!」

「では、またな」

「え、もう帰るの!?」

ーノアに用がなくなった。


 そう念じて去るキドラに、ノアが苦笑いする。


ーまたなー! 今度、飯行こうぜ!

ー考えとく。


 それだけ言うと、キドラはノアに背を向けてさっさと去っていった。


「あいつ、俺の親友、でいいんだよな?」


 不満げな、自信なさげな声がぽつりと取り残されていた。


           ◇


 色鮮やかな花が並ぶ庭園の、木製のイスにキドラは腰掛けていた。大抵の建物がIoT化している中で、その場所は異質な空気を醸し出していた。さっさと開拓しろとキドラの回りは言った。しかし、キドラは、その場所を理由はないが気に入っていた。

 そもそも生命活動を支えるものが脳とインターネットとなったいま、緑の存在価値はそれほど高いものではなかった。空気が汚れようが、脳に必要なグルコース、水、酸素、さえあればよく、それすらも簡単に製造できる。もはや、自然は娯楽であって、人間の共存相手としては完全に捨て去られていた。

 心まで機械化してしまいつつある人間には、もったいないくらい儚くも愛しいそれを、キドラはじっと眺めていた。

 キドラにとっても、なぜ先代の人間が花に惹かれたという記録が残っているのか理解できなかった。確かにキドラにも美しいということは理解できる。だが、同じものは3Dで製造できるし、むしろ人工物の方は長持ちする。

 キドラが脳内でインターネットにアクセスする。電子化された書物をスキャンすると、「趣」に関するデータが抽出された。

 昔は、どうやら、花にも終わりがあったからこそ、その散りゆく様を「風情のあるもの」として捉えたようだ。

 なぜ、散るのが美しいのかーー。

 キドラは考える。だが、考えてもなおわからなかった。


「ふむ。なんだかまた面白いことを考えこんでいるようじゃのぅ」


 庭園に、渋い落ち着きのある声が響き渡る。キドラが声のした方向に体を向けると、白髪の老人が立っていた。サイボーグ化が進み、体も人工的なものになった今、容姿のカスタマイズは基本的には自由だ。同じ容姿の個体が複数いると混乱が生じるため、登録された他者のデータと重ならないことと、申請や変更の手続きさえすれば姿を変えることも可能だった。

 姿を変える人もいれば、サイボーグ化が世間で浸透した時点の姿をコピーした人もいる。老人は後者の人間だった。彼曰く、初心を忘れないためだという。老人の姿を選択するのは珍しい方で、それ故、老人の姿を見たら誰でもすぐに個体を識別しやすくなるのだが、そんな目印がなくとも、キドラにとってこの老人は数少ない大切な人の一人だった。


「ジェルキド博士、ご無沙汰しております。お忙しいのに、お呼び立てしてしまい申し訳ありません」

「よい。おまえがやつを嫌ってるのは分かるからのぅ」

「う……私情で申し訳ありません」

「いや、嫌いなやつに憎悪を知られる方が危ない。気にするな」


 キドラがジェルキドに深々と頭を下げる。それに笑いながらジェルキドが近くに腰掛けた。


「それでじゃ。今回はどうしたんじゃ? どこかエラーでもでたか?」

「いいえ。ただ、こいつを見てやってほしいのです」


 そう言ってキドラがイスの下に手を入れて、何かを取り出す。猫そっくりの姿をしたAIだった。


「猫型AIか。どうしたんじゃそれ」

「数ヶ月前に拾いました。こいつは今では俺の相棒です。」


 そう言って、キドラが猫型AIを膝に置いて、その背中を撫でた。


「なにしとるんじゃ?」

「こいつは家族ですからね。調べたんです。そうしたら昔の人々はこうやって猫をペットとしてかわいがっていたらしいので」

「なるほど。ふむ、それにしてはさっき椅子下から取り出さんかったか?」

「はい! 猫は狭いところが好きらしいので。昔の人々の動画を見たんですが、たいてい狭いところにいるか膝の上でした」

「ふむ。まあ、ちょっと方向性ずれとるかもしれんがよかろう。まあ、中にはそういうやつもいるのは知っとるが、AIを奴隷と見なさないとは、やはりおまえは変わっとるのぅ」


 どれ、貸しなさい、と言って博士が猫型ロボットを調べはじめた。

 この時代、AIは人類のサポートに特化していた。かつては、進歩しすぎたAIによる人類殺戮テロが懸念されていたが、今や人類はAIと同程度の能力を身体に組み込んでいる。むしろAIに不可能な「思考の柔軟性」を持つ人間は、あっという間にAIを支配し、AIへ脳内から直接命令しては雑用をやらせるようになった。言葉を選ばないとしたら、まさにAIは人類の奴隷と化していたのだ。

 もちろん中には、数十年前のペットに該当する愛玩用の動物型AIも存在する。しかし、動物でさえサイボーグ化した今、どちらかというとペットや家族といった考えよりも、サポート用AIという認識の方が広く流通していた。

 だが、キドラにとって、その猫は奴隷ではなかった。大事な友だった。

 キドラが心配そうに、猫と博士を見つめる。脳内で交わされる会話もなく、ただその場に沈黙が流れていた。


「…………………」

「…………………」

「……………ふむ」

「………どうですか? 直りますか?」

「接続がうまくいっていないようじゃ。おまえの家のパソコンを借りるぞ」

「はい」


 ジェルキドが猫型AIを持ったまま、庭園の向こうのキドラの住みかへ入っていく。それを見ながらキドラはぼんやりと思考に沈んでいった。

 人間の姿が変わってから、経済も大きく変わった。今や通貨は使われていない。ある労働に対する「価値」やそれに見合う「対価」は主に依頼者と請け合い人の「満足度」を調整して決められる。もし、仮にある依頼者が「害虫苦情」を依頼して、その仕事ぶりに7割の満足度を抱いたなら、請け合いに7割に該当する報酬を「対価」として払わねばならない。何が「対価」に該当するか人によって異なる。バーチャル高級料理のチケット……。燃料……。人によってピンからキリだ。

 ジェルキドは欲のない方だ。きっと今回もバーチャル肩たたきなんて言うのだろう。それが非常に申し訳なくて、キドラが項垂れたときだった。後ろから声がかけられた。


「できたぞ。完璧じゃ」

『お直しいただきありがとうございますにゃ』

「博士! ありがとうございます!」

『おお、キドラさま! 私めを拾ってくださったあなた様とこうしてお話できるとは幸せですにゃ!』

「ロキ!! 無事で良かった!」


 猫型AIを抱きかかえて、その頭を優しく撫でるキドラに、ロキと呼ばれた猫型が頬擦りする。それを微笑ましそうに博士が見つめていた。 

 キドラの優しく撫でる手付きも、気持ちよさそうに目を細める猫型も、それは脳が見せる錯覚に過ぎない。しょせんはデータのやり取りに過ぎないはずだった。それにも関わらず、確かにキドラたちは胸の内から満たされていた。

 まるで昔の人間に戻ったようなそんな錯覚さえ覚える光景だった。


「どれ、わしも経験してみるかのう。」


 博士がサイボーグの手を猫型の頭に伸ばした。

 そのときだった。

 彼らがいる地面が、目映い光を放ち、彼らを包囲したのだ。その眩しさにキドラたちの視覚の感覚受容チップがエラーを起こす。防衛機能がオンになり、彼らの視界がブラックアウトした。


「!? なんだ、この光は! 博士ご無事ですか!」


『にゃにゃにゃにゃーんですかこれ!』


「エネルギー爆発か!? まさかIoTテロか!?」


 三者の声は光に包まれて消えていったーーー。

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