第1話 日常 ①

 西暦2040年、人類のテクノロジーは大いなる進歩を遂げた。人間の脳は直接コンピューターに接続され、それに合わせて身体は機械へと融合され、人は完全なるサイボーグへと変化を遂げた。

 人は共有したいメッセージや風景を、直接脳に送受信することができるようになった。

 人は自身の感情をコミュニケーションの相手と共有し、相手の本心を正確に解析できるようになった。

 人は嫌な記憶は抑制し、無駄な感情を消すことができるようになった。

 人は記憶や思考をバックアップすることによって、忘却や注意散漫によるトラブルを激変することに成功した。

 人類は20年余りで完全に変わり果て、人々も意外と迅速に環境の変化に適応していったのだ。


           ◇


 そんな完全な変化を向かえた世界で、最大の欠落とも言えるのはテクノロジーの悪用による凶悪犯罪である。できることが増えた分、おぞましい事件も多発した。

 脳内アクセスによる、第三者への不正成り代わり被害。はたまた、国の機密事項への不正アクセスによる情報流出。あるいは、脳間信号へのハッキングによる、脳組織の停止テロ及び殺害。 

 脳とインターネットがつなることは、人類にとってプラスの可能性のみならず、最悪な厄災をももたらした。

 そこで、犯罪者たちを撲滅する組織への期待は当然高まり、そんな中設立されたのが、世界共通のテクノロジー犯罪対策組織TP(Technology Police)である。

 TPの組員は、凶悪犯と闘うために脳以外がテクノロジーで形成された完全なるサイボーグである。彼らはサイボーグの体を人並み以上に使いこなし、屈強な体と明晰な頭脳を悪用する犯罪者たちを取り締まっていく。彼らがいることで、テクノロジーの恩恵は、その弊害を上回る状態を保たれていた。 

 もはや彼らは新世界の守り神であった。 


           ◇  


 通常、TPはその名誉ある組織を表すかのように、金属加工を施した派手な見た目をしている者ばかりである。髪は混色で、目は多彩。そして、髪型やサイボーグの形状は複雑な構造をしている。

 だからこそ、何の加工もせず、体は金属特有の色に包まれた男はTP内ではかなり目立つのだ。


「本当にさ、キドラって地味だよね」


 ピンクの髪をベースに黒、緑、白を等間隔に投入した男がそう愚痴をこぼす。その目は、左は赤く、右は紫だ。髪型は左右にギザギザであり、体はこれまたカラフルな金属。なんとも個性的な見た目をしていた。  

 だが、TPにとってはこれでよいのである。むしろ、TPという立場であるからこそ、見た目の華やかさというものは重要な要素でもあった。

 対して、非難をぶつけられている男は、銀色の髪に、黒い結膜と真っ白い瞳を持つ、サイボーグ自体もいたってシンプルな男だった。キドラと呼ばれた男が、無表情で自身を揶揄ってきた男を一瞥した。


「おしゃれを楽しめないんじゃ、TP失格じゃないかい? 全く、一緒に働く僕たちのことも考えてほしいよ。恥ずかしい」

「だから、何回言わせる。不必要だ」


 淡々と言葉を放つキドラが不満だったのだろう。黒とピンクの混じった髪の男と、白と緑の混色の女がさらにキドラへとつっかかる。


「てめえこそ何回言わせるつもりだぁ? 俺らの中で一番優秀なてめぇは、いわばTP、もっといえばチームの顔だろ! 自覚持てよ」

「トレンド教えてあげようか? 今は黒よ! 黒をベースに、オレンジとかもおしゃれよねえ!」


 キャキャと盛り上がる同僚たちにため息をつきながら、キドラが自身の髪をなでる。50ミクロンの太さに揃えられた金属は意外と座り心地がよいらしいが、生身の触覚を捨て去ったキドラにとっては、「鋭利的危険度: 低」というデータを習得するだけだった。色に関しては、それこそキドラはどうだってよかった。昔は日本人は黒髪が一般的だったようで、今の時代もそれに合わせて黒に染める者も多い。しかし、キドラにしてみれば、金属単体の色にさらに色を加えていくことについて、必要性を全く感じなかった。


「それが、強さにつながるのか?」


 キドラの疑問が自然とその口から発っせられる。強さしか興味のないキドラにとってはごく自然な感想であるそれも、キドラに引け目を感じている同僚たちにとってはそうではない。キドラの言葉に敏感に反応した彼の同僚たちが、顔を歪めて怒りを口にしようとしたときだった。

 彼らの耳元のピアスが騒がしく鳴り響いた。


"東の方向、E-013番地にてAIBTの暴走を確認。問はただちに暴走の阻止を実行せよ。"


「やべえ!事件だ!どこだって?」

「まてよ、そろそろ……お!送られてきたぜ!」


 先ほどまで髪トークで盛り上がっていた男たちの脳内に、事件発生場所が地図として送られてくる。その地図を元に男たちがいざ出陣しようとしてピタッと立ち止まった。


「まて、キドラのやつ、どこいった?」


 黒とピンクの髪の男の問いに、女が答えた。


「警報と同時に向かったみたいよ。」

「本当かい? また手柄横取りされるじゃないか!」


 男たちは女に続いて、慌ててその場を飛び出していった。


           ◇


『AIBT暴走事件: 確認しますか? Yes/No』


 脳内の通知を開けば、そのような選択肢が現れる。Yesを選択した場合、脳はその情報が載ったサイトや映像とリンクする。Yesを選択した人々の脳内ではまさに暴走する新幹線の姿が写し出されていた。

 中にはそれをモニター化して、空上に映像を写し出している人々もいた。 

 全ての物体がIOT化した現在、それはあらゆるものがインターネットとつながっていることを意味する。至るところでカメラモードで撮影された現状が人々の脳内に流れ込んできた。


「うっわぁ、ひでぇ。」


 誰かがそう口をこぼす。そこには、空上を走る一本のAIBTが暴走する様子が写し出されていた。

 AIBTはAI搭載型のbullet trainを示す。テクノロジーの力だけで走る新幹線は科学の発達した先でも需要がなくなることはなかった。むしろ、体内に蓄えた燃料の消費を押さえるために頻繁に活用されていた。 

 一昔前は、新幹線や飛行機などの高速移動機関は人間の体に負担をかけるおそれがあった。ゆえに、窓際は一番重力のかかる場所として、マニアたちは倦厭したという。

 それが、体が頑丈になった今、新幹線は早いもので時速960kmでの移動が可能になった。これは20年前の3倍に値する。そんな高速化に特化した乗り物が、犯罪組織によって不正操作されるという事件は、この時代、何も珍しいことではなかった。 


『またもや、AI搭載型の乗り物が犯罪組織によってジャックされたようです! TPの到着に期待が高まっています。』


 映像を見ることを選択した人々がそれを見守る中、放送局の実況が流れる。その言葉を発端に、人々はヒーローの到着に胸を踊らせていた。

 そのときだった。速度をさらに上げる新幹線に向かう、一つの影をカメラが捉えた。


「来ました! 我らがヒーローです! またしても、事件発覚からの素早い対応です!」


 報道局員の言葉に至るところで歓声が上がった。そして、その高まりはとあるTPの名前がつげられたことでさらに熱気を帯びるーー。


「あれは……ヒーローの中のヒーロー、期待の星、キドラだぁぁぁ!!」


 途端に、あたりは熱狂に包まれた。

 だが、当の本人はそんなものどうでもいいようだ。至るところで沸き上がる歓声の中、キドラは暴走した新幹線の横にピタリとくっつきながら、脳内をインターネットに接続し始めていた。キドラの脳内に新幹線の型のモデルが情報として流れ込んでくる。新幹線の設計の詳細がわかると、キドラはすぐに仲間へと脳内通話をかけた。


ーキドラだ。遅いぞおまえら。

ーあんたが早いのよおばか!

ーまあ、いい。新幹線の型を特定した。無線の発信源は頭部、後頭部の計二ヶ所のようだ。今からそこを破壊し、新幹線を停止させる。

ーまちなさい! 急に止まった場合、爆発するとの情報があったわよ! 周波数を検知して爆発するの! 犯人たちは速度を上げたり爆発ギリギリのところまで急激に速度を落としたりして楽しんでいるのよ!

ーそうか、では今から脳内を新幹線に接続し、爆弾を解除する。

ー馬鹿やろう! おまえの脳が犯人にハッキングされたらどうするんだ! 爆弾の有無は特定犯に任せろ!


 同僚の叱責にキドラが黙り込む。手早いのは脳内を新幹線に接続して爆弾の有無や位置を探ることだ。しかし、万一の場合もある。同僚の言うことももっともだった。だが、爆弾が特定されたと同時に爆発させられる危険もないではない。まさに一刻を争う状況だった。


ー何キロ以下になると爆発するんだ?

ー700km以下。

ーならおかしいな。今新幹線に密着しているがさっきの速度は700だった。はったりではないのか?

ーだとしても! 乗客がいる以上、下手なことはできないわ! もうすぐで着くから! まってて!

ー乗客がいなければいいんだな?

ーは?


 いうやいやな、キドラが高速で走る新幹線の数ヶ所を破壊した。新幹線の各部分の繋ぎ目が破壊されたことで、またたくまに走行部分と乗客の座る部分とが分断される。

 乗客の座る部分を持ち上げた男を地上70mの線路に残し、新幹線は走り去っていった。


ー今客と走行部を切り離した。

ーはあ!?

ー設計図から切り離せそうだったからな。設計図情報と視覚情報を照合した結果変異はなかった。爆弾は座席にはないと判断した。そこでとりあえず客の座る部分を切り離しただけだ。爆弾がある部分はどこかへ走り去っていったからそっちでどうにかしてくれ。

ーはあああ!??


 キドラの同僚が叫ぶのと同時に、呆気にとられていた放送局員が慌てたように放送を開始していた。


           ◇


「あー。脳内通知開いたらまたキドラかよー。」

「No押せばよかった! 見なきゃよかった! くそ!記憶削除してぇ!」

「馬鹿ね!規律として脳内記憶はいじったらダメよ!」

「わかっとるわ!俺の真意を確認してから言え!」


 キドラが所属するTP協会はもちろん、全国のTP協会もまた、新幹線の話題で盛り上がっていた。

 キドラとは別のチームでも、キドラの話題は組員たちの刺激となっていた。関心、嫉妬、呆れ、いろんな感情がキドラに関しては生まれる彼らもまたTPの一員であり、TPの規律は守らねばならない。嫌な記憶や感情も下手にアクセスせず、また、むやみに精神を乱してはならない、との規律に必死にしがみつきながらも、彼らの口から恨ましげな感想が出るのは常のことだった。


『おい。くだらぬことでいちいち騒ぐな。』


 悔しがる声や感嘆の声が響き渡る中、無機質な音声が響き渡った。TPたちが声のした方を振り返ると、大きなパソコン上で、派手な身なりをした男のアバターがゆらゆら揺れている。彼こそ、日本最強のTPと言われる男だった。


『問のキドラはいるか?』


 男が画面越しからキョロキョロと辺りを見渡す。キドラの姿を探しているその男こそ、かつてTP内で最強と唱われた男だった。今やその肩書きはキドラに譲ることになったが、それでもその最強の男の存在はTP内部では広く知られていた。

 その最強の男には今や肉体(機体)がなかった。サイボーグとはいっても、この時代はまだ電子脳は実用化されていないため、あくまで脳は細胞でできていることが前提である。もし、なんらかの場合サイボーグの体と一緒に脳がやられたとしたら、それは生身の死を表すと同時に、電子体としての生誕を意味する。すなわち、生身の体のときに取っておいた記憶のバックデータを元に、第二の人生をコンピューター上で生きることになるのだ。それは、完全な電子回路が脳を再現するようになるまで、変わらないだろう。『はやく、肉体がほしい』と画面上の男がつぶやいた。

 それに同情したようにTPの数名が画面を見つめる。画面上で生きる男の元には複数のチームからアクセス中の表示があった。

 だが、肝心の「問」が見当たらない。


『いないだと? 俺が最強のときはめちゃくちゃ尊敬の眼差しを向けてきたくせに。最強じゃなくなったら用済みなのか?』


 画面上で男がしゃべると、その横に『寂』の文字が現れる。厳つい男の横にその感情である『寂』の文字が現れるのを、TPたちがひきつった顔で見つめていた。

 余計な感想が筒抜けにならないよう、脳が直感的に感想を抱く前に一人の男が慌てて口を開いた。


「問は受諾を拒否してるんですかね。強制に切り替えますか?」


 一人の男の言葉に画面越しから男が了解すると、さっそく彼らのいる部屋のモニターに、「問」のモニターがつながった。


「もしもし!」

「はいはい。全く、またかい……」

「お宅のヒーローはどこだ?」

「キドラでしょ。今スリープモードなんすよ」

「おい、聞いたぞ。あいつ高速で走る新幹線をうまく乗客の座る部分だけ切り離したんだってな」

「いや、サイボーグてそこまでできるのかよ!」


 一人の男の言葉に沈黙が訪れた。もちろん、そんな高等なことは、いくらサイボーグやテクノロジーが発達した現在でも実質不可能だ。

 まず第一に設計図を照らし合わせたとしても、きれいに乗客の座る部分だけを切り離すなんてことはできない。それにうまく切り離したとしても、あの横に長い機体を持ち上げるにはサイボーグの力では到底無理がある。

 ピカ一の勘と空間認知能力。底知れないパワーとバランス感覚。それら全てに恵まれたキドラだからこそできた奇跡だった。

 もはや、大半のSFが実現化した今、TPたちにとってのSFはキドラという男そのものだった。


「いや、バケモンかよ!!」


 キドラの同僚の一人がツッコミを入れると、他の面々も大きく同意を示した。


「とにかく秘訣を聞き出さねぇと! 早くキドラ起こしてこいよ!」

「だから完全にスリープモードなんすよ」

「はあ? 俺らには関心もないってかあのやろう! 天才だか何だか知るか! なめやがって!」

『おまえらがやつをいじめるからだろ。』


 画面上の男が、悪い顔でTPたちを見渡す。それに苦笑いしながら、黒とピンクの髪の男が答えた。


「まあ、俺らも嫌みを言いますけど、それもあいつは嘘だって知ってるはずですよ。なんにせよ、敵意があるかどうかなんてやつにはわかるんですから。」


 それに画面上の男が、苦笑いで答えた。

 確かに、嫌悪や悪意といったものはたちまちデータ化されて、相手に即座に知られてしまう。脳内がインターネットにつながれている以上、脳内放出物質の割合によって、その感情は相手につつぬけになってしまうのだ。

 単純に感情を知られたくない相手とのデータ送信をブロックすれば悟られないのだが、逆に言えば、それは相手と距離を置きたい旨を安易に伝えてしまうことと変わらない。

 それならばそのような感情は捨ててしまった方がよいということで、感情操作によって無駄な感情を排除して、そのまま他人と付き合いを続けることも多い。数十年前の腹の読み合いは、もはや伝説であり、滑稽な道化としてエンタメの対象となっていた。

 しかし、TP構成員は、情報共有と正確なデータによる判断のために、記憶操作は全面的に禁止されている。したがって、キドラへの表面上の嫌みも、実は仲間愛から来るものだと本人は自覚しているはずだろう、と男たちは言うのである。


『敵意がなければいいてもんかねぇ。』


 画面上の男が呟くが、それを気にする者はいなかった。







            

            ◇

   

 単純でシンプルで完全な世界。それが2040年の姿だ。

 複雑な人間関係も、データで客観的に見ればいとも容易くその関係を整理することができる。自殺や他殺も激変し、人類は己の進化に歓喜していた。

 人類は着実に神の領域へと近づいているのだと大勢が確信していたのだ。

 人類こそ至上ーー。それが2040年の共通概念だった。

 そしてそんな中、最も神に近い男がいた。

 その男の名は99型01番キドラである。

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