機械少女とお買い物
何処までも黒い、星も、月も雲に隠された夜に、
人影が一つあった。女だ。
おぼつかない足取りにふらふらと揺れる身体。
酒の匂いを撒き散らしながら、
女は一歩一歩移動していく。
周りは静まりかえった住宅街だった。
街灯の光が道を照らしている。
そして、道の反対からは
もう1つの人影が歩いてきていた。
人影の正体は、
背が高く、黒いパーカーに身を包み、
ジーンズのポケットに手を突っ込んでいる男だ。
顔には皺があり、
何者も寄せ付けないような威圧的な顔をしている。
女は向かってくる男の事など
気にもとめずに歩き続けた。
2人の距離は、段々と近づいていく。
2つの影が、すれ違った。
刹那、女の喉にナイフが突き刺さった。
女は驚き叫ぼうとするが、声は出ず激痛が走る。
声帯は既に切り裂かれていた。
女は倒れ込んだ。
男はカメラを取り出し、苦痛に藻掻く女を撮った。
炊かれたフラッシュの眩しい光が、
女の首に刺さる1本のナイフに
反射して輝いていた。
男はその場を後にし、ある居酒屋へ向かった。
居酒屋「花園」
そこで人と約束があったのだった。
店に入ると、「いらっしゃい!」
と威勢のいい声に出迎えられた。
夜も遅いのに賑わっていて、
人が溢れんばかりにいた。
辺りを見渡し、カウンター席に座る
丸眼鏡の女を発見した男は
彼女の隣に腰を下ろし、話しかけた。
「よぉ、朝顔ちゃん」
朝顔、と呼ばれた女は男に微笑んでみせた。
「こんばんは、弟切さん」
彼女は柔らかな雰囲気を纏う女性で、
背が高く、ボブの髪型が似合っていた。
年齢は20代くらいのように見える。
「じゃあこれ、今回もよろしく」
男は1枚の写真を彼女に手渡した。
彼女は写真を一瞥し、言った。
「相変わらず、凄いですね」
「そうでもねえよ?俺にかかれば簡単だ」
写真には、首にナイフの刺さった女の
苦しむ姿が映されていた。
「期限までに、届けておきますね」
「よろしくな」
男は酒を注文し、陽気に話し始めた。
「幼稚園はどうよ、上手くやってるか?」
「なんとかやってます。大変ですけどね」
「そいつは良かった」と男は笑った。
「もしどうしても困ったら、戻ってこいよ。
お前の銃の腕は、頼りになるからな」
朝顔は嬉しそうな表情をした。
「ありがとうございます。
でも、まずは幼稚園の仕事。頑張ってみますね」
あ、と声が漏れ、彼女は訊ねた。
「そう言えば、知ってます?殺し屋殺しの話」
「ああ、知ってる。
優秀な殺し屋に賞金がかけられるやつだろ」
「それですそれです」
朝顔はじっと男を見つめ、宣言した。
「あなたはいつか、私が殺すんですから。
それまでは、死なないでくださいね」
「もちろんだ。更々死ぬ気はねえよ」
男は自信あり気に笑った。
「ねえ、これ似合う?」と聞く薺に、
僕は「いいんじゃない?」と返した。
もう10回以上はこの会話をしている。
一体、何回このやりとりをすればいいのだろうか。
会話をする事に、気が遠くなっていく。
時間の進みがいつもの数倍遅く感じた。
うんざりする僕を尻目に、
薺は楽しそうに服を選んでいる。
僕らは休日を利用し
ショッピングモールへ来ていた。
目的は薺の生活用品を買い揃えることだ。
あの日薺を拾った時には、
彼女は服や歯ブラシなどの
道具を一切持っていなかった。
おまけに、1円の金も無かった。
彼女が唯一持っていたのは、
リュックの中に入っていた
謎のごついカメラだった。
そのカメラについて、
彼女は「パクってきた」と
自信満々に言っていたが、
使い方はわからないようだった。
2人でいじくってみたが微動だにしなかったので、
今は机の引き出しの奥深くに仕舞いこんである。
服を物色していた薺は2着の服を手に取り言った。
「ねえ、楓君。これはどう?似合う?」
「あー、うん。似合うんじゃない?」
「ふーん。じゃあ、こっちは?」
そう言い、彼女は服を見せてきた。
「似合う似合う」と適当に返す。
流石の僕も、
こうも何度も似合う似合うと言わされると
流石に気が滅入ってくる。
反撃の意味も込めて、
わざとらしく棒読みで
「あー似合う似合う」と言ってみた。
すると、薺の表情が一瞬、
すごく悲しそうな表情をしたように見えた。
僕は予想外の反応に驚き、言葉が出なくなった。
すぐに謝らなきゃ、と思い彼女の方を見ると、
先程の表情とは打って変わって
いつもの笑顔がそこにあった。
薺は子供を諭すように僕に言った。
「女の子の買い物は確かに長いし面倒臭いし
付き合うの大変かもしれないけど、
最期まで頑張らなきゃダメだよ。
そんなんじゃなきゃモテないよ?」
「ごめん」
弱る僕を見て、薺は口角を上げた。
「条件付きで許してあげる。
私に1番似合う可愛い服、
君が選んでくれたら、いいよ」
僕は承諾するしかない。
「いいけど、あんまり期待はしないでね」
それから僕は、
落ち着いた色のロングスカートやカーディガン、
英語の入ったかっこいいTシャツに
ブラウスにワンピースなど。
何が気に入るのか分からず様々な服を購入した。
特に何か口を出す訳でもなく、
じっと隣で選ぶのを見ていた
薺の視線がいちいち気になった。
服を購入し、
僕らは服屋を出て、次は食品売り場へ歩き始めた。選んだ服が気に入ってもらえているのかどうか
不安で仕方なかった僕は薺に訊ねた。
「色々買ったけど、服、どう?
これでも一生懸命選んだんだけど」
「真剣に選んでくれてたしなんでもOKだよ。
際どいやつも無いし、
それにみんな可愛いし、完璧完璧」
「なら良かった」
僕は胸を撫で下ろす。
食品売り場へ歩きながら、
ふと、僕は薺の体について疑問に思った。
「そういえばさ、
薺の体って機械なわけだけど
人間のご飯でちゃんと動きつづけられるの?
ガソリンとか油はいらないの?」
「私のスーパーテクノロジーを
舐めないでほしいな。ほんとに人間と一緒だよ。
食事からエネルギーを摂るから、
ちゃんと食べて寝る。それで動けるんだ。
ちなみに、栄養バランスも大事。
我が家の料理長の楓君にはほんとに助かってる」
「料理当番って君のはずなんだけどね」
薺は笑い、話を続ける。
「ちなみにね、私背は伸びないの。
構造的にね、縦には伸びないみたいで。
でもね、胸は大きくなるよ」
「君を作ったヤツは
何でそんな機能を付けたんだろうな。
変態じゃん」
「そしてね」と言い、
薺は僕の耳に口元を近付け囁いた。
「エッチな事も出来るよ?」
僕は彼女を鼻で笑ってやった。
一通り買い物を終え、
女の買い物に酷い目に遭わされた僕は、
さらに大量の荷物を両手に持たされ歩いていた。
一方、薺は沢山買い物が出来てご機嫌な様子。
僕らはアパートへ歩いて帰る途中だった。
既に日は落ちかけていて、
夕陽が世界を赤く照らしていた。
十字路を曲がった。
ここから僕らのアパートまでは一本道だ。
「楓君、今日はありがとう。楽しかった」
隣を歩く薺が話しかけてきた。
その時、僕は重い荷物を持たされていて辛いのに
彼女は手ぶらで、嫌味を言いたい気分になった。
「そりゃ楽しかっただろうね。全部僕の奢りだし」
彼女は少し顔を強ばらせる。
「いや、ほら。君の愛する私の為だから。
プラスに捉えてよ、プラスにさ」
「いや愛してないんだけどね」
そう言うと、薺はふふふ、と笑った。
「楓君。君の買ってくれたTシャツ。英語書いて
あったでしょ?なんて書いてあったのか分かる?」
服屋で選んだ
あのかっこいいTシャツのことか、と気づく。
が、なんて書いてあったのか
分からないまま選んだので意味は分からない。
僕は答えた。
「さあ?わかんない」
「ちょっと文字崩れてたから、分かんなかったか。
すごく簡単な文章なんだけど。
正解はね、あい、らぶ、ゆー。だよ」
「知らなかった」
「楓君も男の子だね」
「うるさいな」
薺の高い笑い声が辺りに響き渡った。
「まあ、でも本当に
楓君と買い物出来て楽しかったよ。また行こう?」
そう言い、微笑んでみせてきた。
「その時は、ちゃんと自分でお金払ってね」
念を押し、薺の方を見た。
その時の、
夕陽に照らされた彼女の横顔が
見蕩れるほどに綺麗に見えた。
僕の脳裏に、この時の光景が深く深く焼き付いた。
ふと、記憶が蘇った。
雨音が響いている。
僕が薺を拾ったのが
この道でだったことを思い出した。
そういえば、
あの時買った苺と生クリーム、
冷蔵庫に入れっぱなしだ。
帰ったら、シフォンケーキでも作ろう。
僕と薺の、2人で。
僕らは並んで、共に歩いている。
不意に、赤い風が僕らを撫でた。
その風に乗って、甘い香水の匂いがした。
私は、昔からあまり男の子に興味が無かった。
周りの子は、
誰と誰が付き合っているだとか、
誰が誰を好きだとか、
そんな話が好きみたいだけど
私には理解が出来なかった。
常々思っていた。
好きって何だろう?
恋をしているらしい女の子は、
まるで魔法にでもかかったかのように
想い人を見つめた。
想い人の事ばかり話した。
想い人に近付く自分以外の女の子を呪った。
恋は人を狂わせる。
恋は、呪いとか、そういう類にすら見えた。
嫉妬にまみれて何も見えなくなって、醜い。
私は、そうはなりたくないから、
絶対に恋なんてしないと決めていた。
恋なんて愚かだ。
そう思っていた。
君に、会うまでは。
楓。あなたは、私の全てを狂わせた。
好きだよ、楓。愛してるよ。
私が高校生になって、
君を一目見た瞬間に衝撃が走った。
不思議と目が離せなくて、ドキドキした。
私、このまま死ぬんじゃないか、
って勘違いするくらい心臓が暴れた。
その時、知った。これが恋なんだって。
初めて感じる鼓動と君の姿が
私の1番深いところに刻みこまれて、
ずっと頭を離れない。
どんなに頑張っても、離せない。
だから私は、
少しでも君に近付きたくて、言ったんだ。
「ねえ、楓君。お昼一緒に食べようよ」
びっくりしてたね。
勇気、出したんだよ。
沢山可愛くなる努力もしてさ。
それから、一緒にいる時間が増えて、
名前で呼び合うようになって、
私達は友達になれた。
まだ友達だけど、いづれ君に告白するんだ。
「好きです」って。
楓。君との毎日は本当に楽しくてさ、
ずっと隣にいられて、私は嬉しかった。
なのに、見ちゃったんだ。
可愛い女の子と、2人きりで歩く君の姿。
すごく悲しかったんだよ。
だから、教えてほしい。
あの女は、誰?
私のこと、どう思ってくれているの?
霧が街を覆って、
煌めく月光が闇を切り裂く夜に、
人影が一つあった。
それの着ている黒いコートが夜と同化している。
人影は2本のナイフを弄び、
古いアパートの屋上に立っていた。
夜風が吹いている。
コートの影がゆらゆらと揺れていた。
「ジャック・ザ・リッパー、ね」
人影は口元を歪ませた。
「僕は、誰かにとっては巨悪な殺人犯。
だが、また誰かにとっては、
憎い人間を殺してくれたヒーロー。
やっぱり、この世に正義なんてものはないな。
もしあるとすれば、それは自分の信じるもの、だ」
人影は夜の街を見下ろした。
ポツンポツンと街灯が光っている。
人影は景色を眺めながら、
過去の自分に思いを馳せた。
殺しを初めてもう3年以上経つ。
かつて面白半分に始めたこの仕事が
自分の天職だとは思っていなかった。
やってみると、
案外人間の命を奪うことは容易かった。
初めから、簡単に、一瞬でやれた。
正確な数は記憶してないが、
恐らく、日本各地でもう100人以上は
殺しているだろう。
おかげで、金は山ほど稼げた。
一生働かなくても生きてけそうなほどだ。
まあ、あと1年で死ぬのだが。
考えていると、
住宅街を歩く2つの影を見つけた。
女と、ジーンズに手を突っ込んでいる男だった。
それぞれ逆方向から歩いてきている。
2つの影がすれ違う。
刹那、女の喉にナイフが突き刺さった。
悲鳴をあげられることもなく、
男の殺しには一種の美しさがあった。
「やるなあ」人影の若い笑い声が辺りに響き渡った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます