機械少女と影
霧が街を覆って、
煌めく月光が闇を切り裂く夜に
人影が1つあった。
着ている黒いロングコートが夜と同化している。
人影の背はそれほど高くないが、
異様な緊張感を放っていた。
1歩進む度に辺り一体の気温が急激に下がり、
凍てつくようだった。
人影は人気のない住宅街を歩いている。
街頭が道を明るく照らしていた。
そのうち、
人影はありふれた一軒家の前で影が止まった。
表札には「初芽」と書かれている。
人影は口元を歪ませ、愉快そうに家を眺めた。
目の前には胸の高さ程の塀があり、
家は二階建てで、電気はどこもついていない。
大小様々な窓があり、登れそうな突起はない。
辺りを見回し人に見られていないか確認した後、
人影は勢いをつけ塀によじ登り、その上に立った。
腰に隠していた
2本のナイフを抜き、壁に飛びつく。
両手のナイフを壁に深く刺しこみ、
柄の部分を足場にして跳んだ。
二階の窓のサッシを掴む。
3本目のナイフを抜き、
窓に打ち付けガラスを突き破り部屋に侵入した。
ここは丁度寝室だったらしい。
寝ていた老年の男が物音に驚いている。
次の瞬間、人影は男を蹴り飛ばした。
男は身体を打ち付け、鈍い音がした。
人影はナイフを男の首へ押し当て、言った。
「死ぬ前に、何か言い残す事とか、ありますか?」
男は身体を震わせ、表情は恐怖に満ちていた。
声すら出ないようだった。
「特に、無いみたいですね」
部屋の壁に血潮が広がった。
「楓君、楓君起きなよ」
楓、僕の名前を呼ぶ声が煩わしく頭に響く。
窓から見える空さ明るかった。
テーブルに突っ伏して寝てしまったようで、
身体の節々が痛くて重たかった。
どうも寝不足なようで、視界がぼやける。
「ほら、しっかりする!」
声と共にいきなりすごい力で肩を叩かれた。
想定以上の音と痛みに驚き目が覚める。
後ろを見ると、薺が立っていた。
「お、おはよう」
「うん、おはよう」
薺は笑顔を見せた。
痛む肩をさすっていると、
ふと、何故僕はこんなところで寝ていたのか、
疑問が頭をよぎった。
「あれ、薺、昨夜どこで寝たの?」
「君のベッド」
「なるほどね」
ベッドは1つしかない。
きっと昨夜の僕は、彼女と一緒に寝るのは
いかがなものかと思い、
テーブルで眠ることにしたのだろう。
それにしても、居候の立場でありながら
堂々と主人のベット
で眠るその度胸には感心せざるを得ない。
「ねえ、楓君」
薺が上目遣いで話しかけてきた。
直感的に、何か嫌な予感がする。
「何?」
「朝ごはん作って」
まさか、料理出来ないのでは、と勘づいてしまう。
「いや、君の仕事でしょ?
そもそも家事と料理する代わりに」
僕が言い切ら無いうちに、薺は言い放った。
「私なんかが料理なんかしたら食材が可哀想だよ」
僕は深く溜息をついた。
それから僕はキッチンへ向かい
コーヒーを淹れ、薺はテレビの電源を入れた。
コーヒーの香りが部屋中に広がり、
テレビに映ったニュース番組では
レポーターが熱心に事件の概要を語っている。
良い朝だ。
やはり、1人で過ごす朝よりも2人の方が良い。
こんな時間が永遠に続けばいいのに。
感じられた幸せに浸った矢先、
「楓君!ジャック・ザ・リッパーだよ!」
薺の声が爽やかで澄み切った
朝の雰囲気と空気を切り裂いた。
テレビには映っているのは
二階建ての一軒家だった。
二階の窓が破られていて、
表札には「初芽」と書かれている。
レポーターは語る。
昨夜、この家で
一人暮らしをしていた男が殺害された。
死因は斬傷による出血死らしい。
僕は薺に質問した。
「これの犯人のどこがジャックなの?」
「格好いい暗殺者といえば、
切り裂きジャック様でしょ」
「格好いい?」
「うん、かっこいい」
ふと、僕は思いだした。
薺の苗字は、被害者の男と同じ「初芽」だ。
そして、薺の体には無数の傷跡があった。
テレビを凝視する彼女の横顔には、
悲しみや喜びがぐちゃぐちゃに混ざったような
感情が浮かんでいた。
「薺、コーヒーでも飲む?」
僕が聞くと、彼女は答えた。
「甘いやつなら」
時刻は朝の五時、私は眠りから目が覚めた。
壁にかけられているカレンダーによると
今日は5月6日らしい。
昨日はあの男の子、青木 楓と沢山話をした。
その中で、機械の体と傷を見せるために、
彼にありのままの姿を見せた。
私は見てくれは完璧な美少女のはずなのに、
結局、特に何をされることも無かった。
少し不満だ。
別にそういう事をされたかった訳ではないが、
まるで私に魅力が無いみたいじゃないか。
機械なのが、駄目だったのか。
傷が、痛ましかったのか。
「とりあえずここで寝といてよ」
彼はそれだけ言って
部屋の電気を消してしまったのを思い出した。
私は可愛いはずなんだけどな、
そういう風に作られてるはずなんだけどな。
ベッドから起き上がり、辺りを見渡す。
窓を見つけ、
景色を見てみると綺麗な朝日が登っていた。
鏡みたいに私の顔が窓に反射して見える。
「うん、寝起きも可愛い。私」
愛らしい唇、高い鼻、
ハッキリとした二重に宝石みたいな瞳。
計算されつくした可愛さだ。
可愛いの究極、結論と言ってもいい。
私の顔には傷が無かった。
彼は意図的に、顔は避けていたらしかった。
窓から少し離れてみる。
体中の傷が思っていたよりグロテスクで、
私は目を背けてしまった。
機械人形は再生能力を持たない。
破れた皮膚も勝手には治らない。
しばらくは、このままだ。
「さて」
まだ朝も早い。
私は二度寝をする気分にもならず、
面白半分に彼の素性を調べる事にした。
そこに制服がかかっているのがみえる。
近くにリュックも置いてあった。
恐らく、彼の学校用のものだろう。
少しやる気が出てきた。
ここは一男子学生の部屋だ。
探せば、恥ずかしいポエムなんかが
どこかに隠してあるかもしれない。
早速私は寝室の角にあった学習机に取り付いた。
引き出しから出てきたのは
大量の教科書、ノート、テスト。
テストの点数は
今に近づくほどに低くなっている。
特に最近のは覚える気すら
無いように思えてしまう。
次に先程見つけたリュックに手をつけた。
生徒手帳を発見し、中身を確認する。
名前は「青木 楓」
彼は高校二年生らしい。
高校へはここから歩いて行ける距離にある。
夢中でやっていると、
辺りにあるものは全て漁ってしまった。
結局、ポエムやそれに近いものが
見つからなかった事に落胆した。
お腹が鳴って、空腹に気づいた。
彼に朝ごはんをねだらなければ。
私は立ち上がった。
彼との朝は、
かつて私がここへ来る前に過ごした
楽しかった日々を思い出させた。
それと同時に、日に日に変わっていった
以前の主人の記憶も蘇る。
彼は死ねて、幸せだったのかもしれない。
「行ってきます」
薺との朝の時間を過ごし終え、僕は言った。
「行ってらっしゃい、学校頑張ってね」
薺はそう言って送り出してくれた。
その笑顔に励まされて、
身体が軽くなったように感じる。
彼女の笑顔には人を元気付ける力があるらしい。
流石は機械人形だ。
その笑顔も、計算され尽くされたものなのだろう。
ドアを開けると、
眩しい朝日が僕を出迎えた。
自転車に跨り、高校へと向かう。
僕は無事に
始業のチャイムまでに教室に滑り込んだ。
これから、苦痛な学校生活が始まる。
気が重くなり睡魔が僕を襲った。
僕はあと1年の命なのだ。
勉強なんて、意味も必要もない。
本来ならこんな所に用は無いのだが、
「よお楓!今日も眠そうだな、隈すごいぞ」
「おはよう楓。夜、何してたの?」
僕は2人の問題児を抱えていた。
彼らの名前はそれぞれ水仙 秋斗と、竜胆 秋奈。
秋斗は茶髪で背が高く、
明るい性格で演劇部に入っている男だ。
パッと見の印象は良く話しやすいのだが、
不思議と友達は少ないらしい。
一方、
秋奈は腰までの長い綺麗な黒髪が特徴の女の子だ。
いつも穏やかで、部活はやっていない。
彼女は僕や秋斗とは違い、友達も多く、
順風満帆な学校生活を送っているイメージがある。
2人は、数少ない僕の友達だ。
高校に入ってしばらくして、
ろくに友達も出来ず一人だった
僕に近づいてきた変わり者達でもある。
あれは昼休み、
教室で一人弁当を食べていた時の事だった。
「ねえ、楓君。お昼一緒に食べようよ」
声をかけられた。長髪の女の子だった。
第一に、何故僕なんかと
昼食を共にしようとするのか、
という疑問で頭がいっぱいになった。
が、とりあえずOKしてみるか、と思い、
「いいよ」とそう答えようとすると、
「あー!竜胆ズルいぞ。青木を独り占めか?」
とやけに迫力のある声が飛んできた。
見ると、長身の男が立っていた。
女の子はその男に言った。
「ふふ、良いでしょ」
「ズルい!俺にも青木君くれよ」
「半分こしちゃおっか?」
僕はたまらず言った。
「いや、死んじゃうから」
2人が笑った。
笑顔が見られて、嬉しくなった。
これが僕と彼らとの出会いだった。
それから彼らはよく僕の席へ話をしに来るようになって、段々と距離が近くなっていった。
いつの間にか僕は楓、と
呼ばれるようになり、
僕も彼らを名前で呼ぶようになった。
そして、僕らは沢山の思い出を作った。
遊園地へ行ったこと。
夏祭りで花火を見たこと。
クリスマスパーティーをしたこと。
沢山、遊んだこと。
三人で過ごした1年間は楽しかった。
今現在、2人は僕の病気の事を知らない。
もし、あと1年でお別れだと伝えたら
どんな反応をするだろうか。
面白そうではある。
だが、僕はそれを話すことは無い。
決めているのだ。
最期までこのままの関係性で、
いつも通りの2人と
一緒に生きていたいと思っているから。
だから僕は、明日もここへ来なければいけない。
僕の毎日は同じ事の繰り返しだった。
寝て起きて、
高校へ行き2人と会って、アパートへ帰る。
2人との時間は確かに楽しかった。
が、いつの間にか、
ガムのように、
噛み続けているうちに味はしなくなってしまった。
同じような日々を繰り返し続けると、
いつか人は生きる意欲を失ってしまう。
今ある幸福に飽きてしまう。
だから僕は、病気になったのだ。
「じゃあな」
「ばいばい」
と手を振る2人に「またね」
と言って手を振り返した。
自転車に跨る。
僕は今日も1日分の高校生活を処理して、
アパートへと帰っていく。
帰り道は、やけに早く到着したように感じた。
鍵を開けて、乱雑に靴を脱いで玄関に散らかし、
リュックをぶん投げて寝室のベットに倒れ込む。
いつものこの一連の流れを
僕は何度だって繰り返してきた。
でも、今日からは違う。
鍵を開けて、乱雑に靴を脱いで玄関に散らかし、
リュックをぶん投げた直後、
「おかえり、楓君」僕を呼ぶ声がした。
「ただいま、薺」と返すと、薺は
「疲れた顔してるね。膝枕でもしようか?」
と言って悪戯な笑みを浮かべた。
薺との毎日は、悪くないかもしれない。
疲れきった僕を労わってくれる存在は
少しうざったく感じるが、案外癒しになった。
「じゃあ、お願いしようかな」
と言ってみる。
「お、2日目にしてようやく
私の魅力に気づいたね?」
「冗談なんだけど」と笑ってやった。
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