第7話 「司書の仕事」02

 月乃に渡されたメモに書かれた住所は、観光地にもなっている中心部から少し離れた場所だった。

 中心部の建物は歴史があるが色味が多く、絵本の中のような造りで、観光客がそれを目当てで来ることも少なくない。しかし中心部を離れれば、石造りの色彩の少ない建物ばかりになる。

 それでも壁に這わされた蔦や、植えられた花々で彩りが豊かになっている。

 そこも通り過ぎ、クラウディオはメモを頼りに小高い丘を登ってゆく。

 目指すは丘の上にはぽつん、と一軒家。

 植栽で彩られた家は二階建てで趣がある。オリーブの古木や葡萄畑を見下ろしてかなり遠いおとなりさんが見えた。おとなりさんまで徒歩数分かかる距離であるため、とても静かである。

「……」

 クラウディオは神妙な顔をしつつ、玄関前に立っていた。

 「からだで払え」と言った月乃の言葉から、念のためにシャワーを浴びてきた。清潔ではあるはずだ。そして少しためらい、しばらくしてようやくドアノッカーで扉を叩いた。

 少しばかり間が空いてから、足音が聞こえてくる。そして扉が開き、やわらかそうな長いスカートをふわりとさせて月乃が現れた。

 あのやわらかなジャスミンに似た香りをさせ、ゆるく編んだ髪を肩にかけている。

 今日はその腰に「魔道書」は下げられていなかった。

「お待ちしてましたわ」

「ああ……」

 月乃に招かれて家に入ると、外観とは異なり、築年数が浅く見えた。少し歩き、客間へ通されて違和感に気付く。

――家の中が、おかしい……

 遠目で見た家の大きさと、中に入ったときのサイズ感が異なっているようだったのだ。目測であるので確実とはいえないが。

 違和感に眉を寄せているクラウディオに月乃は笑いかけ、大きめのソファをすすめる。一度引っ込んだかと思うとトレーに茶と菓子、そして温かいタオルを乗せて戻ってきた。

「熱いので気をつけてくださいね」

 藍色の梅の花の描かれたカップとソーサーには紅茶が入っている。茶菓子は三日月型のクッキーだ。それらをじっと見つめるクラウディオに気付き、月乃は首を傾ける。

「もしかしてコーヒー派でしたか?」

 警戒していたクラウディオに、少し的外れなことを月乃は言う。指摘自体は正しいが、そういうことではなかった。

「紅茶が嫌いなわけではない」

「そうですか、よかった。召し上がって?」

 そのまま向かいのソファにかけ、月乃は茶を勧める。タオルで手を拭き、それから紅茶に一口、口を付けた。そしてクラウディオが三日月型のクッキーをひとつ、ふたつ口に運び、紅茶を飲み干す。松の実の素朴な味と渋みの少ないフレーバーティーだ。

 月乃は微笑んだまま何も言わず自分も紅茶に口を付けていた。

「それでは、あなたにしていただきたいことについて説明しますね」

 空になったティーカップをクラウディオが置いたタイミングで、月乃は口を開く。

 ようやく本題に入ると言うことで、クラウディオは気を引き締めた。

「平たく言うと、わたくしの助手になっていただきたいのです」

「……助手?」

「はい、助手です」

 「からだで払え」発言が頭にあったクラウディオは拍子抜け、同時に表情にこそ出さなかったが脳内で頭を抱えていた。

 とんだ勘違いである。

 要するに自分の元で働いて肩代わりした修理代を返せ、と言うことだと言うのを理解した。

「肉体労働も有りますし、あなたのような強い方、いてくださると助かるんです」

 擦弦楽器のような声は相変わらず緩やかに言葉を奏で続けるが、クラウディオは一度手を前に出し額に手を置く。

 今まで得た情報を整理し、疑問を潰していこうと考えた。

「まず聞きたい。『司書』というのは図書施設に在席する司書とは違うと言うことでいいか?」

「ええ、そうですね」

「具体的には昨日俺が戦ったような、『魔道書』という物を捕らえることをしていると言うことで間違いないか?」

「正確に言うと『魔道書』と呼ばれる物を確保・蒐集・管理すること、ですね」

 クラウディオは経験したとはいえ、ファンタジーな出来事に懐疑的だった。何せ今時代はネットワークが世界中に張り巡らされ、科学技術が席巻している。

 クラウディオの知る世界とは物理法則と科学の世界だ。信仰心というものも一応は持ち合わせてはいるが、それはあくまで精神と行動に現れるだけにすぎない。

――それが「魔道」だと?

 喉の奥で少しばかり唸るクラウディオに、月乃は説明を続けた。

「そもそも『魔道書』というものが何か、説明させていただきますね。『魔道書』というのは魔術師によって生み出された、超常的な力を持つ書物のことを言います。あなたもご覧になったでしょう?」

「ああ……」

 あの犬とも狐ともつかない怪物と、自分に憑依させられた力を思い出す。

 クラウディオは強い。

 恵まれた体格のみならず、格闘術も心得がある。心得のある達人や武装した人間であっても、素手のクラウディオを制圧することは容易くないはずだ。にもかかわらず『魔道書』は一撃でクラウディオに命さえ危うくする攻撃と、建物を廃墟にするほどの力を与えた。

 それほどのものがあるというなら、なぜ兵器としての運用がされていないのか、と言う疑問が浮かぶ。

 クラウディオが顎を擦る仕草に、その疑問を読み取ったのか、月乃は言葉を続けた。

「『魔道書』は魔術師自身の執念や妄執、欲望といったものを叶えるために生み出された力です。残念なことに魔術師は自分以外はどうでもいいと考えがちな人種なので、大体の人間は欲につけ込まれて飲み込まれますね」

 それこそあのナンパ男さんみたいに、と言う月乃の言葉に、頭の中を空にされたローレンの姿がよぎる。

「彼が何をしたかったかはわかりませんが、その欲につけ込まれて脳を奪われたのでしょう」

 よくあることなのか、月乃はそう言うとぬるくなった紅茶に口を付けた。

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