第6話 「司書の仕事」01
降り注ぐ太陽で、破壊の限りを尽くされた「ジャック・ポット」の悲惨な有様が映し出されている。多少のオイタもねじ伏せ、店を守ってきた「ジャック・ポット」のマスターは眉間に皺を寄せていた。
昨晩、「カニバル・ハンニバル」の正体である「魔道書」と、クラウディオによる戦いにより、彼の店は廃墟になった。
「完璧な廃墟になっちまったな、おい」
沈黙するクラウディオを横目に、マスターは呟く。マスターに無事なバーテン服を借りたクラウディオは黙するほか無い。
破壊したのは自分であることは事実である。怪物退治のためとはいえ、「ジャック・ポット」を廃墟にしたのは己なのだ。顔にこそ出ないが、クラウディオは罪悪感に苛まれ、体力もごっそり持っていかれたため頭がぐらついていた。
「本来あなたが割り込まなければこちらで壊れていたのはドアとドアがぶつかった壁ぐらいで済みましたからねぇ」
「だとよ、クラウディオ」
「魔道書」をパラパラとめくる月乃の言葉はとても穏やかである。あの超常的な力を見て、そして体感した後では彼女の言い分は正しかろう。クラウディオはぐぅ、と喉の奥で唸るしか出来なかった。
店と備品の修理費、営業できない日の分の売り上げ――店の目に付くところにある酒は、ガワだけが本物であるものが多く、中身はランクが落ちるが数が多い。
クラウディオは頭の中で具体的な金額をはじき出そうと唸っていた。
「それでマスター。ひとつご相談があります」
「魔道書」に目を通し終わったらしい月乃はぱたん、とそれを閉じ、その顔に聖人のような笑みを浮かべる。
「修理費はわたくしが支払います。ですので、彼をわたくしに売ってくださいませんか?」
月乃は「彼」とクラウディオに手を向ける。マスターは眉を上げ、クラウディオは目を見ひらいた。
「売ってくれ、というのは言い方がよくありませんね……修理費の肩代わりにからだで払っていただきたいだけです」
「俺に身売りしろと……?」
さすがに月乃の言葉に動揺したクラウディオが声を上げるが、月乃にスルーされてしまった。月乃はいつの間に取り出したのか、質のよさそうな万年筆でさらさらと連絡先をメモに書きつける。そして胸元から何かとりだし、それを連絡先のメモと一緒にマスターに渡した。
「少ないですがこちら修理費の一部と言うことで。刑事さんにもこちらから説明しておきますわ。事後処理はおまかせください」
マスターは手の中のそれを見て驚きを浮かべる。マスターの指より小さいそれは金だった。表面には「Fine Gold」「999.9」「100g」と刻印されている。マスターのつまんだそれにクラウディオは唖然とする。
「修理費についてはそちらの連絡先に請求してください。見積もり等でましたらわたくしの代理が対応しますので」
マスターは渡された金を掲げ、よくよく観察した。満足するまで調べた後、マスターはそれを胸元にしまう。
「こちらとしては店が直るならそれでかまわん」
「ありがとうございます。助かりますわ」
交渉は成立してしまった。
クラウディオは繁華街でバウンサーをするような訳ありな身分である。このような扱いもある意味有り得なくはないと心の隅にあった。しかしあまりにも変わり者な彼女の発言に、クラウディオは顔を手で覆いたくなった。
――こんな華奢な女相手に身売りなんて……普通、逆じゃないのか?
何を考えているかわからない笑みを浮かべたままの月乃は自分以上に「いかがわしい」立場の人間らしい。そう見当を付けたクラウディオは腹を決めた。
じたばたしたところでどうしようもない。そう思っていると月乃が手を差し出してきた。
「それでは、諸々説明は明日にいたしましょう。よろしくお願いします」
「……」
握手を求められているのだろう。
己より二回りは小さい、日に焼けていない手が出されている。得体の知れない女ではあるが、思わぬところで被ってしまった借金を肩代わりすると言った人物なのだ。恩人には代わり有るまい。
「……ああ、よろしく頼む」
月乃の手を握ると、反対の手には戦いの最中、手にしていた「魔道書」を開いていた。
途端、月乃と繋がった掌が熱くなる。ほんの一瞬のことに驚き、握手を終えた右手を見るとそこには熊の爪痕のような模様が浮かび上がっていた。思わずその模様と月乃の顔を交互に見るクラウディオに、月乃は笑顔で言い放った。
「逃げても必ず見つけますので、踏み倒すなんて考えないでくださいね?」
大層穏やかで、言葉に圧もない。
それなのに逆らうことはできない空気を醸し出す。逃げる気は無かった。だが逃げられる気がしないという言葉が、クラウディオの頭に浮かんだ。
「……ああ、わかった」
そう答えると満足そうに彼女は頷き、メモを手に乗せてきた。それを見てみれば住所が書かれている。
「はい、それで今日はもうお疲れでしょうから、明日の昼、メモの住所に来てください」
そう、それだけ言うと彼女はマスターに頭を下げ、大事そうに「魔道書」を抱えて去ってゆく。
すっかり高くなった太陽は晴れやかで、青い空には薄い雲がのびていた。
まったくもってめちゃくちゃを言う彼女に丸め込まれているだけのような気がしたクラウディオは、深くため息をついた。
「まあ、今日は帰ってゆっくり休むこった」
クラウディオの背中を軽く叩くマスターは、無事だった青タマネギのティーカップの埃を払い、回収していく。
「服は別に返さなくてもかまわない」
クラウディオはマスターのその言葉を聞き、そのままアパルトマンへの帰路につく。食事をすることもなく、からだについた汚れを落とすだけでベッドに倒れこむ。一晩のうちに起きたことがめまぐるしすぎたからだ。
疲れで意識はあっという間に融け、次の朝日が昇るまで目覚めなかった。
そして残念なことにクラウディオの手には月乃に付けられた印が刻まれたままである。再びあの信用ならない女に会わなければならないことに、頭が痛くなりそうだった。
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