ちゃんと目、見て

見たいけど見たくない

 通う大学間違えたかな、と最近思うことが増えた。


 別に2年生になった今、急に思い始めたわけではない。入学したときからまあ、入学する大学間違えたかもとは思ってはいた。それでも、小さいころから悩まされてきたこのやっかいな性質が改善するのならと、神野じんの教授の熱烈すぎて若干怖い勧誘にのって入学したのだ。


 入学した後知った話だが、神野教授は第六感研究の第一人者らしい。五感以外の、まあなんていうか不思議な現象みたいなものを研究していて、霊的現象、超能力、果ては土地に根付く言い伝え、伝説みたいなものも追いかけている。


 フットワークが異常に軽く、講義なんてほっといて身一つでフィールドワークに出てしまう困った人なので、研究室はおろか大学内にいることすら珍しい。大学内ではSSR神野と呼ばれているとかなんとか。


 そんな変人教授が私を大学に勧誘した理由は、私自身が持つ第六感の研究の為。どこで聞きつけたのか、高校まで押しかけてきて、うちの研究室で僕と握手!と現役女子高生だった当時の私に迫ってきたことが昨日のように蘇る。できれば思い出したくなかった。


 私の第六感というのは、他人の感情がよめること。


 考えていることが全てわかるというわけではないが、目を見て会話すると、相手の心臓のあたりに怒りなら赤、喜びなら黄色というように、なんらかの色が浮かび上がる。その色の範囲が大きくて濃いほど、その人が強く抱いている感情、みたいなことも一応わかる。


 小さいころから、この第六感で、見たくもないのに色んな人の感情を見てきた。


 人間って、表情と感情が全然違うことが多い。笑顔で話していても、感情の色は淀んだ灰色のこともある。妬みと蔑みと嫌悪がどろどろに混ざった気持ち悪い色。目の前の相手のことが、心から嫌い、という色だ。


 別に全員が全員そんなわけではないというのもわかっている。でも、小さいころから他人の感情を見てきた私は、きっちり人間不信になってしまった。こんな人間離れした能力、誰にも話せないし。


 誰にも話していないこの能力も、何故だか神野教授に発見され、もしかしたら能力を使いこなせるようになるかも、なんて甘い誘い文句につられてこの大学に入学したわけだが、未だ使いこなせる兆しはないまま1年と少し経った。


 第六感研究室、なんて怪しさの塊でしかないこの研究室のコンクリの壁も見慣れたものだ。今日も教授はいない。1年時から研究と称して雑用係を仰せつかっているので、どこに何があるかなんて教授より知っているけど。


「あれ、今日も先生いないの」


 お茶でも淹れようかと戸棚を探していたら、ぼろい木製のドアがギィ、と音をたてて開いた。白いパーカーを着た嶋野しまの先輩が後ろ手にドアを閉めながら入ってくる。


「今日は島根の方にヤマタノオロチ捕まえに行ってますよ」


「いや、死んでるだろヤマタノオロチ」


 やたらでかいリュックをドサっとイスに置く。4年生って就活があるからそんなに授業ないはずでは。なんだろうこの大荷物。


平山ひらやまも大変だね、毎回」


「いえ、もう慣れましたから」


「そっか」


 嶋野先輩は私以外の第六感研究室のメンバー。私がこの大学に入学したときから、この研究室には教授以外は私と2学年上の嶋野先輩の2人しかいない。とはいえ、ゼミに所属できるのは3年生からなので、正規メンバーは先輩だけだ。


 初対面は最悪で、1年生の時、教授につれられこの研究室に入ったときの「ああ、先生の新しい実験対象か」という先輩の言葉に自己紹介する気も失せた。


 しかし、長身で捉えどころのない、とっつきにくい雰囲気の嶋野先輩は、一見冷たいが、話してみれば良い人で、この能力のせいで積極的に人と関わりたがらない私に、大学内の穴場さぼりスポットや、単位取得が比較的楽な教科を教えてくれたりした。


 おそらく面倒見の良い人なのだが、ぶっきらぼうな言い方と、整った顔立ちなのに無表情なところが人を寄せ付けないのだろう。結構誤解されやすい人だということが後々わかった。それまであまり他人と関わってこなかった私にとって、嶋野先輩と過ごす時間は心地よくて、何より楽だった。


 しかし、教授不在のこの研究室の、大体毎日私と嶋野先輩しかいないこの空間が最近は少し気まずい。


「平山はもう卒論の内容考えてるの?」


「いえ、そろそろ考えないといけないのはわかってるんですけど」


 卒論も選択肢はなくこの研究室所属のまま書くことになるだろうから、3年生に上がる前にテーマくらい決めておきたいが、別に第六感自体に興味があってこの研究室に入ったわけではないので、いまのところなんにも決まっていない。


「そういえば、平山がなんでこの研究室にいるか知らないんだけど、俺」


「ま、まあいいじゃないですか」


「先生がつれてきたってことは、なんか興味あることとかあるんじゃないの」


 それをテーマにすればいいんじゃない、と先輩が呟く。


 この研究室につれてこられた理由を、先輩に話したことはない。教授も特に言おうとしなかったし、私が話したところで理解してもらえるとは思えなかったからだ。


 初対面の時、たまたま目があって見てしまった先輩の感情の色は、全く興味のない透明。他人にあまり興味がないタイプの人らしかったし、今までのように、親しくしすぎて見たくもない感情の色を見てしまうのが怖かった。


 それと、最近教授との研究で知ったことだが、私は特定の相手に向けた私自身の感情の色も見ることができるらしい。頭の中で特定の人を思い浮かべて、鏡で自分の目を見ると、他人のそれと同じく、自分の心臓にも色が浮かぶのだ。


 今まで、鏡を見ることはあっても、大体濁った色だったし、特定の人に向けた感情によって自分の感情の色が変化するなんて気が付かなかった。確かに、苦手なクラスメイトを思い浮かべると灰色になるし、好きな俳優のことを思い浮かべると黄色になる。


 実は、試しに嶋野先輩のことも思い浮かべてみたのだ。


 結果は、小さいけど濃いピンク。自分で思った以上に私は先輩のことが好きだったらしい。


 人を好きになることなんて人生で初だったから、戸惑った。ピンクなんて、好きな人がいると話していたクラスメイトの女の子でしか見たことがなかったし。頭にはクエスチョンマークが何個も浮かび、先輩のことを考えると恥ずかしくて眠れなくなった。


 そんなことがあってから、できる限り嶋野先輩を避けるように過ごしていたのだが、そういうときに限って教授はいつも以上に帰ってこないし、先輩と遭遇する頻度も高い。


 正直もう期待したくない。自分の気持ちを自覚してしまったからこそ、先輩が私をどう思っているかなんて、知りたくないのだ。もうすぐ卒業してしまうなら、なおさら。楽しかった思い出だけで先輩とお別れしたい。


 この能力のせいで嫌な思いをするのはもう散々。これからも誰とも深く関わることなく、そこそこで暮らしていきたい。


「平山ってさ、俺の目見ないよね」


「え?」

 

 背中から、先輩の不機嫌そうな声が聞こえる。


「話してる時も、こっち向いたと思ったらすぐ目線そらすし」


「えーと、私人見知りで」


「もう2年も一緒にいるのに?」


「正確には1年と数か月ですね」


「俺、平山のことかわいがってきた自信あるんだけど」


 かわいがる、ってなんか飼ってる犬とかに言うやつじゃなかったっけ、と、混乱する頭が考える。確かに、気持ちを自覚してからなるべく先輩の目を見ないようにしてきた。


 机を挟んで向かいに座っていたはずなのに、近くに先輩の気配を感じて振り返れない。


「ねえ、こっち向いて」


 気が付けばすぐ後ろから声が聞こえる。お茶を入れるタイミングを失って、手に収まったままの急須をぎゅっと握る。これ、教授のお気に入りだから、割れたら教授怒るよな。


「そんなに俺の事嫌いなの」


「…嫌いじゃないです」


「じゃあこっち向いて」


 優しく腕を後ろに引かれ、先輩と向き合わされる。


「さみしいな、かわいい後輩に避けられて」


「避けてないです、別に」


「じゃあ顔あげて、俺の目見て」


 腕はまだ先輩の大きい手に掴まれたまま、観念して先輩の目を見る。


 私より20cm以上身長の高い先輩を見上げると、目を細めて笑っていた。


「顔赤い」


「うるさいですよ」


 先輩の左胸のあたり、白いパーカーの上には、淡いピンクが浮かんでいる。


 期待しちゃうじゃないか、こんなの。





 


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